第二章3  『雄叫び』

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第二章3  『雄叫び』

 ログハウスのリビングから奥に進み扉を開けると廊下が見える。廊下の右側には早希と共子、みさえ、大と晴斗、そして和真の順に割り当てあられた四つの寝室があった。廊下の左側は何もなく、そこから中庭へ出ることもできる造りになっている。今頃は中庭で持ち寄った具材でBBQをして盛り上がっている予定だった。自然の中で焼く肉は美味い、ビールが最高だ、などと和気あいあいとしながら楽しんでいるはずだったのだ。状況は一変し、それすらも儚い夢となった。  各自の部屋には、簡素な木製のベッド、机と椅子が設置されていた。大と晴斗が泊まる予定だった部屋に明かりが灯っている。部屋の中では晴斗が手足と胴を椅子にロープで括りつけられていた。 「ふざけんなよ、出せよ! 大、早希、共子、助けてくれよ!」晴斗は助けを求め、踠いている。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  キッチンにいる早希は背後を気にしながら、窓のカーテンをそっと開け、晴斗が拘束されている部屋を気掛かりな様子で盗み見ていた。うっすらと晴斗の助けを呼ぶ声が部屋から漏れている。キッチンからは廊下へ通じる扉はない。窓も大人一人が通るには小さいため、早希はもどかしそうに、胸に手をあてた。  リビングではヤクザたちが大と共子を監視している。晴斗の件は捕まえたことで片が付いたとはいえ、依然、事態が変わったわけではない。皆に痣がないとはいえ、殺人鬼が襲ってこない補償などない。 「何も、縛らなくても、よくないですか」キッチンから戻った早希は命令で取りに行かされたビールを渡しながら、ヤクザたちに伺いを立てた。 「あのままじゃ、暴れ続けるだけだ」西村は早希を見ずに一蹴した。 「彼らの言う通りだ。それに一人で逃げようとした晴斗が悪い。仕方がないさ」大が首を横に振ると、早希は不服そうな顔をした。 「そんなことより、問題はこれからどうするか、ってことだけどよ」と了が話し始めると、すかさず佐々木が茶々を入れる。 「だけどよ。じゃねえよ。何でおまえが仕切ろうとしてんだ」 「すんません」 「で、どうする気だ、これから」西村は、さも当たり前のように、佐々木を無視して大学生たちに訊ねた。  佐々木は疲れも溜ってきた上、西村に言い返すには気力がいる、と仏頂面をして黙り、ビールを開けると、聞く側にまわった。大は早希と共子から頼られている視線をひしひしと感じ、やむなく代表して答える。 「どうするって言われても。そもそも僕らには選択肢なんてないですよね。こんなことにならなくても、監禁する予定だったんでしょ」 「いや、俺たちもこんな面倒事には付き合っては、いられん。得体の知れない奴を相手にしても、得をすることは何もない。おまえらは、おまえらで、好きにすればいい」 「それはありがたいですけど。車の部品を返して貰ったところで修理なんてできないから、どの道、車が使えない。僕らも朝までここで待つしかないですよ。今出ていっても、夜の森では、迷うだけと思いますし」 「だけど、ここにいたら。みさえたちを殺した犯人が来るかもしれない」共子が怯えた表情で言った。 「いや、それは大丈夫だと思う。これまでの経緯や共子の話を整理しても、変な痣さえなければ、襲われることもないはずだ」と淡々と伝える大に、早希が引っ掛かりを覚えた。 「痣がある晴斗はどうするの。襲われても、殺されても、いいってこと?」早希が迫る。 「いや、そういう意味ではないけれど」大はたじろぐと、視線を逸らした。 共子は晴斗が拘束されている部屋のほうをちらちらと気にした様子で見ている。  痺れを切らした佐々木が口を挟む。 「おまえら全員、びびり過ぎなんだよ。大体さっきも言っただろ。そんな化け物だの、殺人鬼だの。そんなもん、端からいねえんだよ。それに西村さん。あんたもあんただよ。なに勝手にこいつらのこと、逃がすとか言ってくれてんの。寝ぼけんのもいいかげんにしてくれ。こいつらには現場見られたんだぜ。甘過ぎるだろ」  見られたからには殺す……。佐々木の言葉の続きを連想した大学生たちに緊張が走った。  佐々木は、たばこに火をつけると、「これが、あれほど恐れられた鬼の西村の姿かと思うと泣けてくるな」と煙を西村に吹きかける。 「てめぇ!」佐々木の態度に耐え切れず、了が椅子から立ち上がると、間髪を入れずに佐々木も椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、了に胸を押し当てた。 「何だ、てめぇ! やんのか。俺と、親父に? 歯向かおうっていうのか、あ?」  佐々木に気概を示すことはできたが、背に感じる組長の威光には耐えられず、了は目を反らしてしまう。 「いえ。そんなつもりじゃ、ないっす」  佐々木は唾を床に吐き捨て、了から離れると、たばこを咥えたまま、西村に顔を近づけていく。 「頼みますよ、西村さん。子分の一人ぐらい、ちゃんと躾けといてくださいよ」  西村は何も答えなかったが、事情を知らない早希たちにすら、西村の怒りは伝わってきた。一触即発の二人。張り詰めた空気を感じながら、了、早希、大は落ち着かない様子で見守る。リビングの部屋の奥では、寝室へと通じる扉が、ひっそりと閉まっていった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  寝室では暴れることに疲れ果てた晴斗が、「頼むよ、外してくれよ。殺されるのやだよ」と嘆いていると、扉の鍵が開く音に気付く。 「だ、誰だよ」晴斗は不安そうな目で扉を見やる。  扉は少し開いたところで、止まり、隙間からは手が伸びてくる。人差し指が、入り口の近くに設置されている電気のスイッチを下ろすと、部屋は闇に包まれた。扉がきしむ音を出しながら、開いていく。待ってくれ、俺が何をしたっていうんだ、何の恨みがあって……。廊下の電球で人物のシルエットが浮かび上がってくるも、顔までは識別できない。人物は早足で距離を詰めてくる。晴斗は目を閉じ、「殺さないで!」と声を上げた。  しばらくしても、体のどこにも痛みを感じない。晴斗が片目を開けると、そこには共子の姿があった。 「え、共子ちゃん?」安堵と驚きが入り混じった声で晴斗が言う。  共子は人差し指を口にあて、「静かにして。ロープ外すから」と指示を出す。晴斗は黙って首を上下に振った。共子は晴斗の後ろに回ると、手を縛っているロープをほどき始める。 「サンキュ、共子ちゃん」晴斗は共子に顔を向け、小声で言った。少しの間、ロープと格闘していた共子は、手を止めると、なにやら思いつめた顔つきで晴斗の背中を見つめた。  動きを止めた共子に気付いた晴斗は、「ロープ、固いよね。その辺に鋏とかあればいいんだけど」と辺りを確認する。 「……みさえのこと」共子が口を開いた。 「え、みさえ?」思いがけない言葉に晴斗は戸惑いを見せる。 「みさえが死んだとき。晴斗、かなり動揺していたよね」共子が訊ねた。  なぜ今みさえの話題を? 名前を言われただけで、手にした頭の記憶が蘇ってくる。みさえの話はしたくない。けれど、答えずにもいられない。 「してた、ね」 「そんなに好きだったんだ、みさえのこと」なんでそんなことを、と聞き返す前に晴斗は共子の気持ちを理解して、口を噤んだ。  晴斗は小学生のころから、街で芸能プロダクションのスカウトマンに、よく声をかけられるほど、容姿が整っていた。モテるのは当たり前の日常を過ごし、中学、高校時代は来るものは拒まずの精神で、次から次へと彼女を取り換えていった。  大学で、みさえと出会い、好きになってしまったのは、晴斗自身にとっても意外な出来事だった。みさえの見た目は、それまで言い寄ってきた子たちと何ら変わりなかった。そのうち告白されるのだろうと、出会った当初は高を括っていたが、一向にみさえが靡く気配はなかった。そうなると面白くはない。しびれを切らした晴斗は、自分から口説きに行き、結果、振られてしまう。その時点で、晴斗の負けが確定した。みさえを目で追うことを止められなくなり、気持ちも日々、膨らんでいった。  この旅行でも、みさえのことで頭がいっぱいになってしまい、以前の自分であれば、勘づいたであろう共子の気持ちを、このタイミングまで分かってあげることができなかった。  共子が止めていた手を動かし、ロープをほどいていく。微かに聞こえる縄の擦れる音が、晴斗の居心地の悪さを増長させていく。 「こんなことして、見つかったら、共子ちゃんもやばくなるよね。ごめん」と晴斗は話を逸らして、共子を心配する素振りを見せた。 「放っておいたら、殺人鬼が来るかもしれない。先輩やみさえみたいに殺されるかもしれない。私、晴斗が死んじゃうなんて、絶対に嫌だから」 「共子ちゃん……」  共子が縄をほどき終えようとすると、「おい!」と男の怒鳴り声が部屋に鳴り響く。二人は慌てふためき、扉を向くと、部屋の電気が付けられた。眩しさに目を閉じた共子と晴斗が、次第に光に慣れてくると、得意げな顔つきで、扉の縁に腕を組み、寄りかかっている佐々木の姿が見えてくる。 「何、勝手なことしてくれちゃってんだよ。ヤクザ舐めてんのか、あ?」勘が当たったことが、よほど嬉しかったのか、佐々木は軽快な足取りで二人に近づいてくる。 「おまえ、なんか様子が可笑しかったからな。俺の観察力、舐めんなよ」と佐々木は共子に粋がった。  晴斗は首を後ろに小さく傾けると、「共子ちゃん、ここは俺がなんとかするから、逃げて」と囁く。 「晴斗……」 「今だ、行って!」晴斗は引きちぎるようにロープをほどき、佐々木に襲いかかる。佐々木の両手首を掴むと、「逃げろ、共子ちゃん!」と叫んだ。共子は逡巡するも、部屋を出ていく。 「待て、こら!」佐々木は共子を止めようとする。晴斗は懸命に佐々木にしがみつき、離さない。  晴斗が掴んだ箇所が手首だったため、佐々木の指の自由は利いた。佐々木は右手を懐にねじ込むと、銃を掴み取る。晴斗の抵抗で、銃口を定めることはできないと分かると、撃つ代わりに銃の底で頭を殴り、晴斗を気絶させた。 「くそ、手間かけさせやがって。そこで、大人しくしてろ」佐々木は捨て台詞を吐き、襟を正した。  部屋を出て、扉に鍵を閉めたところで、「大丈夫か」と急に声をかけられた。佐々木は慌てた様子で、振り返り、銃を構える。西村が共子の腕を掴んだまま、こちらに歩いてきている。  佐々木は、よく捕まえてくれた、という言葉を飲み込み、「あ? 大丈夫に決まってんだろ」と西村に威勢を張った。それから、怯える共子に首を向け、「逃げ切れると思ったのか?」と目を据える。 「晴斗は、殺したの? 殺したんでしょ、人殺し!」共子が睨みつけた。 「ふざけんな。ヤクザだからってな、そんな、ホイホイ殺すわけねぇだろ。ま、痛い目には合わせ――」と佐々木が言いかけたところで、森のほうから、異様な雄叫びが轟いた。獣のような、人のような、あの不気味な雄叫びだ。 「この音」共子はそう、ぽつりと言うと、はっと息を呑む。 「晴斗が、晴斗が殺されちゃう! お願い、助けて!」西村へ、佐々木へ、懇願した。 「は? 助けるも何も、あいつは部屋ん中で気絶してるんだぜ。それに、扉も閉まってる。何から誰を助けりゃいいってんだよ」  雄叫びは少しづつログハウスへ間を詰めるように近づいてくる。 「せめて、鍵を開けて!」 「馬鹿か、おまえは。逃がさねぇために閉じ込めたんだよ!」 「馬鹿はあんたよ! いいでしょ、開けてくれても。お願い、お願いします。晴斗を助けて!」 「人を馬鹿だの、助けろだの。言ってること、めちゃくちゃだな」  雄叫びは三人の傍まで近づくと、ふっと消え去る。底気味悪い静けさ。言い争いを止め、三人は周りを見た。 「嫌な感じだ」西村はサングラスに手をかけて呟く。ヤクザの世界で幾度となく修羅場をくぐってきた西村の勘がそう言わせた。以前所属した組の組長は鉄砲玉によって殺された。あの早朝に感じたものに似ている。そして、勘は見事に的中した。扉の中から聞こえてきた晴斗の悲鳴が、それを実証した。共子は西村の手を振り払うと、扉へと急ぎ、ドアノブを捻るが、鍵のせいで開かない。 「晴斗! 大丈夫? ねぇ、返事して!」共子は扉を叩いて呼びかけた。  晴斗の声を聞きつけた、早希、大、そして二人を見張っていたはずの了もやってくる。 「すいません、西村さん。こいつら、勝手に飛び出してきて」と了が申しわけなさそうに、佐々木ではなく、西村に向かって頭を下げた。 「共子、どうしたの」早希が心配そうな顔で訊く。 「早希、晴斗が殺されちゃう。きっと犯人が、殺人鬼が来たんだよ」と共子は言った後、大を見て、「晴斗を助けて!」と寄り縋る。 「勝手なことすんじゃねぇぞ!」佐々木は大学生たちを諫めるが、大は無視して、勢いをつけ、扉を蹴破った。普段は見ることなど、ほとんどないのに、今日は何度も見過ぎたせいで、見慣れてしまった赤い液体が目に飛び込んできた。部屋では晴斗が壁にもたれた状態で苦しんでいる。胸のシャツは斬られ、下の肌も骨が見えるほどぱっくりと斜めに大きく裂け、そこから、血が溢れ出ていた。共子が大を押しのけ、晴斗に駆け寄る。 「晴斗!」  共子は咄嗟に血が出ている箇所を抑えた。指の隙間を血の生暖かい感触が伝わっていく。どんな刃物で斬られたらこんな傷口になるのか……。傷口は閉じることができないほど開いてしまっている。血を流れ出るのを食い止めることはできない。 「やだ、やだ、やだ! 晴斗! 死なないで!」 「お、お……」  何かを伝えようとしたのか、晴斗は口を開けるも、言い切る前に力尽き、目を開けたまま息を絶えた。あっという間の出来事だった。晴斗の死を受け入れられない共子の目からは止めどなく涙がこぼれてくる。 「そんな、いや。晴斗、死なないで!」  共子の慟哭が夜の森に響き渡った。皆はただその光景を見守ることしか、できなかった。
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