第二章4  『対峙』

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第二章4  『対峙』

 和真、みさえに続き、晴斗まで殺された。殺人鬼はやはり実在する……。残された早希と大は呆然と晴斗の死体、泣き伏す共子を見つめた。了と西村は、扉の外から部屋の状況を覗いている。 「西村さん、こりゃ、マジでやばいっすね」 「ああ」同意を求められた西村は、言葉数少なめに答えた。西村を以ってしても、このありさまは深刻で、酷いものに映った。動物などではない。あの斬られ方は武器を用いた仕業だ。しかし、犯人がいるとして、この密室でいったいどうやって殺した? 佐々木が鍵を掛けたのは確かに見ていた。〈呪い〉の二文字が頭を過る。 「嘘、なんで晴斗まで。呪いってなんなの。誰が殺したの!」早希が声を上げた。  共子は両手にべっとりとついた血を見つめ、震え始めた。 「死んでない。晴斗は死んでない。こんなの現実じゃない」 「共子……」早希が近づこうとするも、「もう、いや!」と共子は床を蹴り、その場から走り出す。 「おい、どこいくつもりだ」扉の前に立ち塞がる佐々木を、共子は手で押しのけて部屋を出る。そのまま、中庭へ行くと、勢いを止めることなく、森のほうへと駆けていってしまった。 「共子、待って!」  早希は急ぎ、暗闇に消えていく共子を追いかけた。了と西村は、佐々木の手前、後を追う素振りを見せたが、想像以上に早希の足は速い。日中、暑さの中で穴を掘り続けたことに加え、元々大学生たちのことなど、どうでもいいと思っていた二人は、早々に足を止め、共子と早希が入っていった暗い森を見つめた。  仲間のうち三人も殺され、二人はいなくなった。どうすればいい、周りにはヤクザたちしかいない。一人取り残された事態に狼狽える大は、柱にかけてある懐中電灯をさっと掴み、走り始める。これ以上逃してたまるか、と佐々木が大の手首を掴んだ。 「おまえら、ふざけんのも、いいかげんにしろよ」  ここで捕まったら殺される。大はバスケ部で鍛えた持ち前の力を発揮して、佐々木を力いっぱい蹴り飛ばした。地面に倒れる佐々木を見届けることもなく、一目散に早希たちを追い駆けていく。  了の隣を大が通り過ぎていった。了は大を止めることなく、手を額にあて、大の後ろ姿を眺めながら、のんびりと佐々木の傍へ戻ると、「ああ、行っちゃいましたね」と他人事のようにぼそっと言う。  地面で呆けていた佐々木は、目を覚ましたように立ち上がり、「いっちゃいましたね、とか言ってんじゃねぇよ。どうすんだよ、こういうときは!」と怒鳴った。 「いや、どうするもこうするも」 「追いかけるに決まってんだろ。は、や、く、い、け」佐々木が森を指差し、上下に揺らした。 「追いかける必要、ありますかね。あいつらの仲間を殺したやばい奴が森の中にいるかもしれないんすよ。だとしたらですね。放っておいても、すぐ殺されますって」了は明らかさまに嫌そうに言った。 「あのなぁ、まだそんなこと信じてんのかよ」と佐々木が呆れ果てた顔をする。 「だって、現にあのチャラ男も殺されたじゃないっすか」了は部屋のほうを見つめ、反論した。佐々木はそれに関しては何も答えずに、話題を戻す。 「さっきも言ったが、あいつらには俺らの現場、見られてんだよ。殺すにしても俺らが殺して、しっかり落とし前つけねえと意味ねえだろ。いいから、とっとと捕まえて来いよ! もちろん、あんたもだぞ」と佐々木が西村にも念を押す。  了は、おめえが逃がしたんだろうが、という思いはいつものように心に仕舞い、「はいはい、分かりましたよ。じゃあ行きましょっか、西村さん」と西村を向くと、西村は真剣な顔つきで、佐々木のことをじっと見つめていた。 「なんだよ、じろじろと」西村の視線に気付いた佐々木が訊く。 「嫌な予感がする。一緒に来たほうがいい」と西村が答えた。 「あ? 俺はもうさっきの追いかけっこで充分だよ。ここで待ってるから、さっさと捕まえてきて下さいよ」 「ここにいたら死ぬって、言ってもか」 「はぁ? おいおい。あんたまで、あいつらが言ってたこと信じてるってわけ? 勘弁してくれよ。俺はね、ああいう類の話は一切信じないタチなんだよ」 「いや、昼間あんなに嫌がってたじゃないっすか」適当すぎる佐々木の物言いに、了の口からは心の声が漏れてしまった。 「あ? うっせぇな。これはこれ、それはそれなんだよ。動物に襲われたんだろ、こんなもん。それに百歩譲ってその変態野郎が実際にいたとしてもだ」佐々木は懐から銃を取り出して掲げると、「コイツでなんとかする。だから心配しないで、とっとと捕まえてきてくださいよ」とニヤリと笑った。  西村の先刻から続く嫌な予感は、まだ収まってはいなかった。佐々木に対して好意は持ち合わせてはいない。だが、義理を大切にする世界に身を置く者として、世話になる組長の息子は死なせるわけにはいかない。  一方で、佐々木が人の言うことを素直に聞く人間ではないことも、嫌というほど知っていた。どうしてよいものかと思案を巡らせてはみるが、最善の結論は見出せなかった。 「なんだよ、その顔は。ほら、急いだ、急いだ」 「どうなっても知らんぞ」 「ったく、しつけえな。早く行けよ」 「西村さん。行きましょう」了が西村を促す。やり場のない苛立ちを抱え、西村は了とともに去っていく。  佐々木は、二人の背を清々とした表情で見つめた。 「ったくよ」と、たばこを取り出すと火をつける。たばこが煙る右手首には、あの模様が浮かび上がってきている。痣……、手の形をした痣だ。佐々木は気付くことなく、一人、ログハウスへと戻っていく。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  好きだった晴斗はもうこの世にはいない。共子は何も考えられなくなっていた。このままどこかに消え去りたい。そんな思いを抱きながら、共子は薄暗い森の中を駆けていく。  懐中電灯の僅かな光が、ちらちらと共子の背中を照らしている。なんとか共子の姿を捉えながら、早希と大が追っていた。 「共子、待ちなさいって!」  早希の声を無視して、全力で走ってきた共子も体力が尽きてくると、じわじわと足取りが重くなっていき、立ち止まった。手を膝につき、乱れた呼吸を整えている間に、早希と大が追いついてくる。早希は手を掲げ、獰猛な動物を警戒するように、共子に歩み寄っていった。 「共子、どうしたの? 怖いのはわかるけど、今は皆で居たほうがいい。ね、戻ろ」 「あそこに居ても、きっと殺される」 「そうかもしれない。けど、一人でいるよりは、助かる可能性も高いだろ」と大も説得に参加する。 「もう、どうでもいい」共子は首を横に振った。 「どうでもいいって、どういう意味?」  共子は俯くと、唇を噛み締め、おもむろに話し始める。 「早希にも言ってなかったけど」 「うん」 「私ね、晴斗のことが好きだった」 「え?」前触れなく言われた共子の告白に、早希は動揺を隠せない。共子の気持ちをなんとなく察していた大は、やはり、といった表情でうなずいた。 「だから、今回の旅も参加したの。でも、晴斗はみさえのことが好きで。みさえが殺されたときの晴斗を見て、すごく悲しかった。それでも、晴斗が生きてればって。でも結局、晴斗も殺された。だからね、戻って殺されようが、ここで殺されようが、もう、どうでもいいの! 放っておいて、私のことなんか!」  早希は早足で共子に近づくと、頬を平手で叩いた。 「馬鹿! どうでもよくなんて、ない! 晴斗たちのことは悲しいよ。好きだったなら、余計悲しいよね。共子の気持ちも分からなくもない。でも、あたしたちはまだ生きてる。大事なのは、共子が、あたしたちが生き残れるかどうかでしょ」 「早希に分かるはずない。もう私には大事なことなんてない! どうでもいいったら、どうでもいいの!」  大は二人の声で、今にも殺人鬼が声に気付き、来てしまうのではないかと、おどおどしながら、二人の仲裁を試みる。 「二人とも、言い争ってる場合じゃ――」 「黙ってて!」大は二人に揃って怒鳴られると、口を噤むしかなかった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※  佐々木はログハウスのキッキンで一人、咥えたばこをしながら、冷蔵庫を漁っていた。大学生たちが持ち込んだであろうビールを見つけて取り出すと、軽くステップを踏みながら、リビングへと移動した。  朝から大変な一日だった、と言わんばかりにソファに沈みこむように座る。ビールのコマーシャルさながら喉を鳴らして、ぐびぐびとビールを喉に流し込み、たばこを吹かした。  普段は臆病な内面を持つ佐々木だったが、育ってきた特殊な環境からか、どこか頭のネジが外れたところがある。部屋の隅に和真とみさえの遺体が安置されていることなど、気にする様子もなく、佐々木は自宅感覚で寛いでいた。  風で揺られた窓が、ガタガタと音を出している。佐々木は両手をソファに掛け、仰け反って天井を見上げた。 「何が殺人鬼だよ、あほらしい。来るなら来いってんだよ」と年齢とはそぐわない、まるで昭和の酔っぱらったサラリーマンのような口調で愚痴を吐き、ビールを口にしていると、木が軋む音が鳴り、寝室へと繋がる扉が独りでに開いていく。佐々木は、直ちに缶を机に置くと、銃を抜き、扉に向けて構えた。 「誰だ!」  部屋には外から吹く風が入ってくるだけで、人影はない。立ち上がると、脅えた腰つきで、扉まで辿り着く。覗き込むように扉の外を見るが、やはり誰の姿も見当たらない。ちっ、風か、と銃を懐に入れ、扉を閉めた。  佐々木がソファに戻ると、ビールを口にする間もなく、また扉が音を立て開く。今回は何も言わずに扉まで駆けて行くと、一気に開け、廊下を通り、中庭へと飛び出した。 「ふざけんな、出て来い!」佐々木は銃を誰もいない空間に突きつけた。佐々木の問いかけに返答は無く、風に揺られる葉の音だけが聞こえてくる。 「いるのは分かってんだ。びびってんじゃねぇぞ。出て来いよ!」  すると、風がぴたっと止み、静けさが訪れた。先ほどまで聞こえていた木の葉の音も、鳥や虫の鳴き声も聞こえない、不自然なほどの無音。  気味が悪い状況に、佐々木の威勢は失せていった。しきりに目を左右に動かして辺りを警戒すると、唾を呑む。ガサガサッと森から葉が揺れる音がする。佐々木は間を入れずに銃を向けると、ありったけの銃弾を喚きながら撃ち込んだ。最後の銃声が鳴り止み、カチカチと引き金を引く音だけが鳴り続ける。佐々木が動作を止めると、静けさが戻ってきた。  生暖かい空気がまとわりつき、佐々木のシャツは汗でぐっしょりと濡れた。思った通りだ、いやしねえんだよ、そんな殺人鬼なんざ。と思いつつも、弾が切れたのは心もとない。弾倉を入れ替えようと上着を探るが見つからない。 「くそっ」  弾倉の数をリビングのテーブルで数えた際、置きっぱなしにしてしまったのを思い出す。佐々木は前のめりになりながら、リビングへと急いだ。なんで、今日はこんなに走らなきゃなんねえんだ。廊下に駆け登り、扉に手をかけようとした時に、誰もいないはずの内側から扉が閉められた。  佐々木はドアノブを握りしめ、力いっぱい捻るも、ぴくりとも動かない。中には誰もいないはず……。と考えている内にログハウスのすべての部屋の電気が消え、空に浮かぶ月が雲に隠れると、周囲は完全な暗闇と化した。そして、例の雄叫びが聞こえてくる。くそ、またこの音か。となると、次は……、と学生たちが襲われた際の手順を思い出す。佐々木は中庭から回り、玄関へ向かおうと手探りで進み始める。  ズシン。ぞっとする重い音が背後に聞こえると、佐々木は足を止めた。  嫌なものは確証を得たときほど見たくはないが、同等に見たいという欲求も生まれてしまう。佐々木は恐々と自身の体に抗うように振り向いていく。  月を覆っていた雲が流れていき、明かりが差し込んでくる。そこには、朽ちた黒い布に全身覆われ、鋭利で巨大な鎌を持つ人影が、佐々木の目と鼻の先に立っていた。背丈は二メートル、鎌を含めると三メートル以上に感じる。佐々木は人間離れした禍々しい人影を見上げると、即座に本能から勝てないと悟り、気持ちとは真逆な笑みをこぼす。 「はは、本当にいやがった」  化け物などいないという概念は覆った。それ以外の説明がつかないのだ。降参だ、とばかりに空の銃を放り投げ、佐々木は懐から財布を取り出す。 「金か? 金だろ? いくらほしい?」がたがたと揺れる手で財布から札束を抜き、数えた。 「ほ、ほらよ。三十、いや四十万はある。これでいいだろ、な」佐々木が札束を差し出すが、鎌を持つ者は受けとらず、ただ佇んでいる。  業を煮やした佐々木は、札束を投げつけると、「なんか言えよ! 俺の親父、誰だか知ってんのか。もし俺を殺したら、確実におまえも死ぬんだぞ!」と凄んでみせる。実際に佐々木が父親に頼み、脅した者、殺した者の数は知れなかった。殺人鬼に動じる様子は微塵にも感じられない。自分の恫喝が通用しない世界があることを初めて知った。  月の光は布で覆われて見えにくかった顔の部分をも照らしていく。それは人の顔ではなく、鬼だった。実際には漆黒の色をした般若の仮面だったのだが、周りの暗さと恐怖心から、少なくとも佐々木には、鬼としてそれは映った。面から覗く紅い目は佐々木をぎろりと睨みつける。  佐々木は悲鳴を上げながら後退していき、倒れるように地面に尻をついた。鬼の面をつけた殺人鬼は静かに手にした重量感のある鎌を両手で掲げていく。それを振り下ろされればどうなるか、顛末は想像に難くない。 「おいおいおいおい、マジで何が欲しいんだ。言えよ、頼むよ。やっぱり金なんだろ? はした金じゃないよな、いくらだ? 三千万までならなんとかなる。いや、なんとかする。だから、な? なんでもやるから、助けてく――」  佐々木の訴えに対する返答は、無機質な動きで振り下ろされた鎌だった。鎌は佐々木の脳天に突き刺さる。絶叫は鎌が頭から胴体を瞬く間に斬り裂くことで、聞こえることはなかった。真っ二つに分かれた体が左右に倒れると、殺人鬼は鎌を振り抜き、血を拭った。そして、森を見つめる。大学生たちが、ヤクザたちが向かっていった暗い森を……。
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