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「佐々木さん、佐々木さん、誰か救急車を呼んでください」
まだ温かい血が流れている。徳田は階段を地下まで駆け下りる。車路を一階まで駆け上がる。海岸通りに出た。左右に目を凝らす。本牧方面に自転車が走っていく。毛糸の帽子を被っている。徳田はピンときた。佐々木を怨むなら金城か名城の犯行だろう。自転車を追い掛けた。自転車はマリンタワーの先を右折した。徳田は手前の路地をジグザクに近道した。まっすぐ行けば中華街、谷戸橋を渡っている。元町に入るつもりか、徳田はタクシーの前に出て急停車させた。一万円を出した。
「悪い運ちゃん、あの自転車を追ってくれ。後でもう一万出す」
「はいよ」
物分かりの言い運転手で助かった。すっかり日が暮れた。自転車は中村川沿いを進んで一旦停車した。名城は後ろを振り返った。交通量は多いが人通りはほとんどない。名城はバッグに忍ばせていた柳葉包丁を中村川に投げ捨てた。そして煙草を咥えた。
「どうぞ」
徳田がライターを点けて名城に声を掛けた。名城は煙草を捨てて走り去ろうとするが徳田が後部荷台を掴んで離さない。自転車を下りて走った。
「逃げても無駄だ名城さん。私はあなたと鶴見の居酒屋で飲んだことがある。席は違うが同じ泡盛を頼んだ。自首しなさい、付き合ってやる」
名城はバッグをまさぐるが柳葉包丁は捨てたばかりである。
「あんたは黒木が頼んだ探偵だな」
「ああそうだ、依頼人を小川に殺された。どうして今になって佐々木さんを刺した?佐々木さんはテニアン島からの帰還者の家々を慰問する旅に出ることを決意したばかりだ。受け入れられるかどうかは分からないが、あの悲劇を終焉させるための唯一の方法が慰問だ。あなたが佐々木さんを殺しても終わらない。むしろ憎しみが深くなるだけだ。あなたが自首して生きて出て来れたなら慰問をする運命の人だよ」
名城は佐々木の心中を知らされて少し動揺した。しかし小川が死んで佐々木が生きているのは理不尽のような気がした。何故、こうなったかを佐々木に忘れさせるわけにはいかない。誰のためでもなくただ邪魔だから死んでいった家族同胞があまりにも惨めである。
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