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「そうですか、肉親との別れは辛い、年の離れた妹を想う兄の気持ちはさぞ辛かったでしょう。もしかしたらあなた以上に苦しんでいたかもしれない。私はお兄さんに洞穴の中で世話になりました。もうほとんどが玉砕して駄目だと言うときに励ましてくれたのがお兄さんでした。『頑張るぞ、生きて帰るぞ』とあの洞穴の中で勇気を与えてくれた。今でも忘れません」
徳田はハンカチで目頭を押さえた。洋子が真剣に聞いているので演技を混ぜた。
「そうですか、そう言う一面もあったんですね」
洋子の一言が引っ掛かる。別の一面を聞き出したい。
「洞穴の中で私達子供等にはやさしいお兄さんも時には辛い選択をしなければならなかったのしょう。兵隊ではなくても現地16歳以上の青年男子は義勇兵として軍に従事していましたからね。テニアンもサイパンと同様の悲劇がありました。お兄さんからお話を聞いているなら是非教えてください。葬儀に偲んで送りたい」
ストレートに質問しては怪しく思われる。あくまでも斎藤嗣治とテニアンでの繋がりがある線から逸れてはいけない。
「終戦後テニアンから山形に戻った時にはあの明るくやさしい兄ではありませんでした。詳しい話はしてくれませんでしたがずっと怯えていました。『済まないことをした、取り返しのつかないことをした』独り言のように呟いていました。嗣治の上に実家を継いだ兄がいるんですけど親兄弟殺して一人で帰って来たのかと罵られて行き場を無くしていました」
「それであの家に?ガラクタに囲まれていたから何か心の病ではないかと案じていましたがやはりそうでしたか。ガラクタは木々や岩でしょう、そして家の中は洞穴なんでしょうね」
徳田の推測に洋子は頷いた。
「週に一度一緒に買い物に出るんですけどそれ以外は一歩も出ませんでした。あたしが隣にいると安心するようでした」
「それじゃお仕事もしていない、生活費はあなたが?」
「あたし兄のために生きるって決めたんです。マラリアで死んだかもしれない命を兄が助けてくれた」
徳田は整理した。テニアンで何かがあった。具体的に何かは妹に話していない。斎藤嗣治は日本に戻りガラクタに囲まれて怯えて暮らしていた。依頼主の黒木は手榴弾だから佐々木が関係していると確信していた。
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