最悪の夏祭り、僕は笑う

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 僕は高校最後の夏、地元の運動公園で行われる夏祭りに萌凛(もえり)を誘った。この高校で女性を休日に誘ったのは初めてだった。萌凛は隠れマドンナ的存在で、周りの男からはお前なら付き合えると言われていた。  萌凛とは高校三年で初めて同じクラスになり、一度二人きりで一緒に帰ったことがある。それが二週間ほど前のことで、今日会うのが二度目になる。僕が携帯のメッセージで萌凛を誘った時も、即答でイエスの返答をくれ、なんて可愛くていい子なのだろうと思った。    辺りはすっかり暗くなり、運動公園の前の段差で座って待つ僕の耳に特徴的な下駄の音がこちらに近づいてくる。  「翔太君、待った?」  その声に僕は顔を上げると顔を緩めた萌凛の姿があった。  萌凛は少しだけ黒くぼけた水色の浴衣を着て、ところどころ三つ編みになっているサイドの髪と、規則的にくるくると回っている前髪が、学校の校則の中での萌凛を払拭させる。  「じゃあ行こう」  僕はそう言って萌凛の横につき、屋台の並ぶところまで向かった。  「なんか、新鮮だね」  萌凛は言った。  「そうだね」  僕は萌凛の浴衣姿を見ながら言った。  普段は見ない(うなじ)、鎖骨、手の先、裸足の足、いや、いつも見えていたとしても、ここまで脳の奥をくすぐる感覚にはならない。萌凛の歩き方も、とてもとても上品で、学校で友達と移動教室する時の歩き方とは真逆をいった。  屋台が見え始め、僕はお腹が空いていたのでたこ焼きを買うことにした。それを萌凛に伝えると、半分萌凛も食べてくれるということらしい。ひとつの食べ物を分け合えるなんて、なんて喜ばしいことだろう。僕は着ている自分の浴衣の内ポケットからお金を取り出してたこ焼きを購入した。  萌凛の食べながら歩く姿は綺麗だった。熱々のたこ焼きをできるだけ汚くないように食べる感じがたまらなく、唇の回りについたソースや海苔を舌で拭き取る仕草は芸術の域だった。  次に向かったのは金魚すくいだった。萌凛がどうしてもやりたいという。萌凛は手に持っている小さな袋からお金を出して、その場にしゃがみこんだ。しゃがんだことによって露出が増えた萌凛の足元をずっと見ていた。白いタイツか、入念に日焼け止めを塗ったのか、それくらいに光って見える。けっきょく萌凛は一匹もすくうことができず、少し濡らした手をぱたぱたと乾かしながら僕にもやるようにせがんだ。  僕は任せろと言わんばかりに首を交互にかたむけ、肘あたりまである浴衣の両袖を肩まであげた。金魚を一匹だけすくい、まだポイは全部破れてなかったが、萌凛はすくっただけで喜んでくれたので、僕はポイを屋台のおっちゃんに返し、金魚を水の中に戻した。  次に萌凛は急に甘いものが食べたいと言い出した。これくらいなら(へつら)ってもいいだろうと、わざと言ったような口調がたまらなく、そのまま僕に甘えてくる萌凛を想像するだけで体中の神経が喜んだ。  僕たちは少し並ぶが、チョコバナナの最後尾についた。まだ先にもあるかもしれないよ、と僕は言ったが、萌凛は先の方がたくさん並んでたら嫌だから、と言って、口を尖らせた。  並んでいる萌凛も可愛いかった。何が可愛いかと言われたら、それは一瞬で答えられる。さっきまで歩いていたのに、今は止まっているからだ。  「何味がある?」  萌凛は僕を見上げながら言った。  「んー、水色とピンクと黒かな」  僕は頭ひとつ抜きに出た視界からそれらを判別し、萌凛に伝えた。たしか、今年の春の身体測定は185センチだった。  僕たちはチョコバナナを購入し、それを口に運びながら歩いた。萌凛はずっとチョコバナナの下に手を添えていて、推定140センチ代の小柄な手のひらが愛おしくてたまらなかった。  そのまま歩いていると、屋台を少し外れた広場から楽器の音が聞こえ始めた。萌凛は何かに突き動かされたようにそちらに向かった。そこにはすでにまあまあの人だかりができていて、五人組の男バンドメンバーたちがその場を牛耳(ぎゅうじ)ろうとしていた。萌凛が言うにはそこそこ有名なバンドらしい。僕は見たことも聞いたこともなかった。どうやら萌凛の知っている曲みたいで、サビの前で頭をかきあげる仕草を客にも振るというエンターテインメントとのことだった。  「ヘイッ」  サビの前でヴォーカルが鳴った高音を野外に響かせながら頭をかきあげると、客も同時に髪をかきあげる。  「ほら、翔太君も」  萌凛がそう言ったので、僕はみんなからワンテンポ遅れて、夏休みで金髪に染めた髪をかきあげた。あまり面白さは理解できなかったが、萌凛が喜んでくれたのでそれ以上考えないことにした。  僕たちはライブを途中で抜け出し、屋台の方向に戻ろうとすると、男の子供が一人でひくひく泣きながら木のそばに座っていた。5歳いってないくらいだろう。周りは気づいていないのか、無視しているのか、助けようとする人はいなかった。僕は怖がられないように微笑みながら近づき、子供の頭を撫でた。  「どうした?大丈夫か?」  僕は聞いた。  「うん」  子供は泣き止んで小さな声で言った。  「どうしてここにいたんだ?」  「はぐれちゃった。お母さんと」  「そっか、なら行くぞ」  僕はそう言って子供を抱えこみ、お偉さんが集まっているようなテントに事情を説明した。しばらくしてスピーカーからアナウンスが流れ、僕は何事もなかったかのように屋台の方向へ向かった。  「子供のこと好きなんだね、翔太君」  萌凛はくりくりとした目をしながら言った。  「ん?まああのままほっとけないでしょ」  僕は流すように言った。  長く連なっていた屋台が終わり、最後にお化け屋敷に突き当たる。萌凛はせっかくだし入ってみようと言った。入り口まで少し歩くペースが遅くなりながらも虚勢を張る萌凛をずっと見ていられような気さえした。  お化け屋敷の中に入ると、急に外のガヤガヤが消え去り、静けさと異様な空気にさらされた。萌凛は二の腕を僕の肘らへんにぴったりとくっつけ、僕に気を許していると思うだけで体がゾワゾワとした。次々とお化けが出てくる度に萌凛は僕にくっつき、僕も萌凛に合わせて少し驚いたふりをした。  裏口から建物を出ると、花火開始のアナウンスが流れる。僕たちはここから少し離れた河川敷へと向かうことにした。  「翔太君ってあんな筋肉あったんだね。さっきお化け屋敷で触っちゃって」  萌凛は照れ臭そうな表情を浮かべながら言った。  「あー、趣味でトレーニングしてるだけだよ」  僕は流すように言った。  河川敷に着き、コンクリートの段差があるところに二人して腰掛ける。周りには老若男女問わず人が溢れ帰り、花火の開始をサーカスが始まるかのように今か今かと待ち遠しくしている。  「ちょっとトイレに行ってくる。萌凛はいい?」  僕はそう言って立ち上がる。  「私は大丈夫」  「じゃあここで待ってて」  「うん」  少し不服そうな顔をした萌凛をその場に置いて僕はトイレへ向かった。萌凛のその顔を頭に思い浮かべるだけで唇の端が薄く笑った。  トイレから出てすぐのところの自販機でサイダーを二本買い、そのサイダーを小ぢんまりと座っている萌凛のほっぺたにくっつけた。萌凛は驚いた様子で振り向いたあと、白い歯を見せて笑った。  「ありがとう。でも私がサイダー飲めなかったらどうしてたの?」  「学校でいつも炭酸ばっか飲んでるでしょ」  僕は淡々と言った。  「そこまで見てくれてたんだ」  萌凛は照れ臭そうに言った。  しばらくして花火の音が不規則に断続的に鳴り始める。闇が落ち着いた空にまばらな閃光が広がるたびに周りからワッと歓声があがり、萌凛はその目に輝かしい光を映し出しながら見入っている。  僕はそのあいだ花火は一切見なかった。萌凛の目と鼻と口と胸と太ももをじっと見つめ、その体はどんな触り心地で、僕にどのような刺激がくるのかを想像した。  大きな音を立てて花火はフィナーレを迎え、周りの人だかりは余韻を残しながら少しずつ去っていく。萌凛の右手が僕の左手に擦り寄ってくるのを感じた。  「翔太君って、、どうして今日誘ってくれたの?」  萌凛は下のコンクリートを見つめ、照れた様子で言った。  「どうしてって、好きだからだよ」  僕は迷うことなく答えた。  「えっほんと?」  萌凛は驚きと喜びを含んだ様子で顔を上げる。その表情としばらく目を合わせ、一時的に時が止まる。  「ほんとだよ」  僕は言い聞かせるように言った。  「やった、嬉しい」  「そんなに喜んでくれるなんて僕も嬉しいよ」  「ふふ、じゃあ今日から付き合ってくれるってことだよね?」  萌凛は細い目をしながらくしゃっと笑い、落ちつかない手と足をいろんなところにやりながら僕の二の腕らへんに顔を近づけた。  「付き合う?なんで?」  僕は何を言っているのかわからず、眉間にしわをよせて横にいる女をまじまじと見つめた。それを見た彼女は急に心の何かを失ったかのように虚でギョッとした目をした。辺りは閑散さを戻し、彼女の微かに動かす下駄の音と、それに摩擦するコンクリートの音さえも響いている。  「、、なに?どういうこと?」  しばらく黙っていた彼女がわけがわからないといった表情をしながら言った。  「好きだと言ったらさっき喜んでたのに、なんでいきなりそんな表情をするんだい?」  僕は淡々と聞いた。  「私は好きだと言われたら付き合うってことを想像するんだけど」  「僕はそうは思わないかな」  「えっ?」  言葉にならない様子で一点を見つめる彼女の顔色はさっきよりも明らかに悪くなっていた。  「じゃあなんでここに誘ったの?」  彼女は続けて僕に聞いた。  「それはさっきも言ったけど好きだったからさ、君のことが」  「だからそれはどういうこと?」  「その通りの意味だよ。好きだから誘った。そして付き合うと言われたから興味がなくなっただけさ」  僕は少し笑いながらそう言って、唖然とした彼女の表情を横目で見てから視線を穏やかな水面に移した。奥の方からは花火師らしき声が時折響く。  「じゃあ帰るね」  僕はそう言って立ち上がろうとすると、「待って」と彼女の声が聞こえた。  「私を(もてあそ)んでたってこと?」  彼女は怒りの表情で言った。  「僕は君と二人の時間を共有したかっただけさ。現に僕は今日の夏祭り、ある程度は楽しめた」  「それを弄ぶっていうんじゃないの?  「振られた腹いせはやめてくれよ」  「学校中に言いふらしてやるから」  「好きにしたらいいよ。僕はこの学校の女にはほとんど興味がない」  僕のその言葉を聞いた彼女は明らかに怒った様子できびきびと立ち上がり、暗い先の見えない道へと歩いていった。  その怒って左右に動かす体はフリフリと動いていて、なんて可愛らしいのだろう。僕は若干の(わび)しさを、遥か上空のそのまた上から適当に思い、河川敷をあとにした。  〈ねえ、まだ?家で待ってるから早くしてよ〉  涼香(りょうか)からのメッセージが届いていた。  〈今から行くよ〉  僕は涼香にメッセージを返した。  もう何度も会っている涼香にあまり興味はないが、保険として約束しておいてよかった。遊び相手としてはちょうどいい気分だ。萌凛と一緒にいれなかったのは計算違いだったが、彼女が帰るタイミングとしてはどうせ帰るのならば今が絶好だった。  河川敷が小さくなり、今僕が歩く道はさっきまでの祭りの余韻と、生活音が混ざる住宅地に差し掛かっていた。周りには祭りをあとにしたであろう浴衣姿の女たちやカップルが溢れる。車が陸続と通り、その運転手の誰もが怪訝な顔をしてハンドルをさばいている。  僕はいつ如何なる時でも女子グループの視線を免れない。モテるとは、なぜこんなにも華やかで、綺麗で、苦痛で、羨望的(せんぼうてき)な対象として君臨しなければならないのだろうか。そんなことを一瞬だけ頭の隅に思い浮かべてはすぐにどこかに放り、どうでもよくなると、人目もはばからず欠伸(あくび)をして「女」を想像した。
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