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プロローグ
葉月一爽(はづきいっそう)は、夜の草原に立っていた。落葉樹の森の真ん中に、舞台のようにぽっかりとひらけた野原だ。
心地の良い涼しい風が吹き、足元の草がさわさわ波打っている。
初めてきた場所なのにどこかなつかしい、そんな気がする。
ぼんやりと夜空にうかぶ白い月をながめた。
スイカを食べた後に残った皮みたいな、細い三日月だった。
「一爽」
女性の声がして振り返ると、十代の少女がいた。小柄で、髪形はまるいきのこのようなショートボブだった。色白の肌が、夜闇にほのかに光をはなっているようだ。ベージュのブレザーに、タータンチェックのプリーツスカートをはいている。
(うちの高校の制服だ)
左胸に見慣れたエンブレムがついている。しかし、少女の顔にはまったく見覚えがない。
「海浜学園の子?」
一爽の問いには答えず、その子は厚い前髪から上目遣いに一爽を見た。
「君に予言があります」
台詞を読むような一本調子で言うと、少女は真顔のまま続けた。
「あなたは今日、親友に裏切られます。でも、抵抗はしないで。戦わないで。私たちが必ず助けに行くから、それまでのあいだいい子にしていて」
いい子にしていて――同年代の少女からそんなふうに言われるのは、なんだか引っかかるが、さしあたって一番気になったのは。
「親友って誰だ? 優吾のことか? 裏切られるってなんだよ」
矢継ぎ早に質問する一爽を、少女は少し同情するような目で一瞥すると、そろえた両足で、とん、と地面を蹴った。
ふわっと空に浮き上がる。彼女のまわりだけが無重力になったように、短い髪が空気中に広がった。
「じゃ、私、ちゃんと伝えたんで」
一方的に会話を切ると、泳ぐようにくるりとうしろを向いた。プリーツスカートが危うい感じにふくらんだ。
「お前、なんだよ。名前は?」
あわてて一爽が追かけると、
「ミオ。あと、このことは絶対にほかの生徒に内緒だからね」
少女は後ろ向きのまま名乗り、振り返って一爽をにらんだ。
「あのさ、一爽は私の事、全然覚えてないの?」
「覚えてない」
「あ、そう」
少しだけがっかりした顔で、少女は暗い空にうかびあがって、遠ざかっていった。
一爽は、思わず彼女を追って自分も空中を浮けるのだろうか、と手を伸ばした。両足で地面を蹴る。
しかし、足先は地面のあるべき場所になんの抵抗も感じなかった。つるりと両足が地面をすべった。
(転ぶ!)
焦った瞬間、全身がガクっと揺れて目が覚めた。
ベッドの上で目を閉じたまま、一爽の意識は現実に戻っていた。
顔に触れる毛布の感触を味わいながら、今までいた草原も少女も、全てが夢の中のことだったのだと気がついた。
一爽の部屋は、海浜学園高校男子寮の二階の角部屋だ。
ベッドの右側が窓になっている。朝日がカーテン越しに一爽の顔を照らしていた。まぶたを閉じていてもその眩しさが感じられた。心地のいいぬくもりに包まれたまま、しばらくウトウトしていた。
目覚まし時計が鳴った。
一爽はけだるい動作で起き上がった。
時計のベルを止めて、伸びをひとつ。
午前六時半。火曜日。平凡な一日の始まりだ。全ていつもと同じだった。明け方になんだか変な夢を見た、ということ以外は。
寝ぐせで爆発した頭をくしゃくしゃとかきあげながら、一爽は寝起きの頭で考えていた。
『あなたは今日、親友に裏切られます』
夢の中の少女の言葉がよみがえった。不穏な予言だ。
親友といえば永友優吾(ながともゆうご)のことしか思い浮かばなかった。学校に仲のいい生徒は何人かいる。しかし優吾とは中学時代からのつきあいだ。
一爽は、夢の中の少女の面影をもう一度思い出そうとした。
高校にあんな子がいただろうか。なにか自分と関係があったのだろうか。
あれこれ考えてみたが、結局なにも思い出せなかった。
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