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新入部員
「松野さん…ですか」
「ああ、そうだ。大人しい生徒でな。現代文の成績が良いから、たぶん読書が好きだと思うんだ」
現代文の授業の終わりに入間先生がおれに話しかけてきた。入間先生はおれが所属している文芸部の顧問だ。忙しいと言い、あまり顧問らしいことはしていないが、部を存続させるために生徒を勧誘しているらしい。
「今日の放課後、部室に行くように言ったから、部の活動を話してやってくれ。それと…」
入間先生は少し小声になった。
「三田先生から言われたことは気にしなくていいぞ。あとで、説得しておくから」
ありがとうございます、とおれも小さな声で返した。
今朝、行われた風紀指導で三田先生から嫌味を言われたのだ。
―意地を張ってないで、そろそろ黒にしてほしいんだがな。
この学校の校則はこのあたりの学校の中で一番と言われる程厳しい。黒髪でないのはおれだけだった。
染めているわけではない。生まれた時からこの髪の色だ。
黒髪にした方が楽なのかもしれないが、染めてはいけないというルールなのに、黒なら良いというのは納得がいかなかった。きちんと学校に地毛であるという証明も出している。
三田先生の言う通り、少し意地を張っているのかもしれない。
入間先生は、勉強に関しては厳しかったが、風紀に関してうるさくなかった。おれのことも何かと気にかけてくれた。
「何か先生方からうるさく言われたらいつでも言ってくれ。お前が悪いわけじゃあないからな」
入間先生はおれの肩を軽く叩くと去って行った。
放課後、部室に行き適当に本を手に取った。以前も読んだ本だ。この本だけではなく、この部室にある本は、だいたい読んでいた。
一度、読んだ本を再読するのは嫌いじゃなかった。本は視点を変えてみると、初めて読んだ時とは違う感想を抱く時がある。重要な人物ではない、キャラクターの言葉に心を動かされたり、主人公の敵役の気持ちがわかったりするのだ。
文芸部には先輩が4人いたが幽霊部員であまり会うことはない。部長も吹奏楽部と掛け持ちで、数回程度しか会ったことが会ったことがなかった。
ほぼ無理やりといった感じで入部することになった文芸部だったが、本を好きなだけ読める環境はありがたかったし、人と付き合わなくて良いのも気に入っていた。
授業が終わると、部室に行き本を読むことが習慣になった。
外から聞こえてくるサッカー部や野球部の声に最初はやかましさを感じたが慣れてくるとそれも心地良くなっていた。
この部室の中にいれば、見た目を理由に白い目で見られないし、嫌な言葉も投げかけられなくて済む。学校の中でここだけがおれの居場所だった。
本を数ページ読み終えた時、ドアをノックする音が聞こえた。ドアを開くと眼鏡をかけた女子生徒が一人立っていた。
「松野…さん?」
そう聞くと、松野さんは無言でうなずいた。
松野さんを部室に入れ椅子に座らせ、簡単に部活について説明した。部員は自分を含めて5人で、自分以外は幽霊部員ということ、活動は月に一度、新聞部のコラムを書くこと、図書室で好きな本を展示すること、でも、それは先輩達がやってくれていて自分は何もしていない。
話している間、松野さんの表情は硬く、興味があるのか、ないのかわからなかった。笑顔になることもなかった。
松野さんは目も合わせず「どうして、入間先生はそこまでして、文芸部を継続させたいの」と聞いてきた。
「さあな、昔、優秀だったらしいから、それを潰すのは惜しいんじゃねえの。まあ、昔のようになるのは難しいとおもうけど。おれも読むのは好きだけど、書いたりするのは得意ではないから。とりあえず適当に本を読んどいていいよ。本の種類は豊富だから。何か好きな本とかある?」
そう声をかけても松野さんは、本を手に取ろうとしなかった。表情を変えず、少し周囲を見渡しただけだった。
「もしかして、松野さん。あまり本とか読まない人?」
そう尋ねると松野さんは小さくうなずき「昔はけっこう読んでたけど、今は読んでいない。勉強とか忙しかったから」と言った。
「現代文の成績がいいって聞いたけど」
「あれは練習すればできるものだから」
「そうか」
「春原君はどんな本を読むの」と松野さんが尋ねた。社交辞令的な感じであまり興味はなさそうだった。だから、「色々」とおれは答えた。
松野さんは「入間先生は嫌いじゃないし、あまり活動しなくていいのなら、私は入部する。でも、私はこれからも本をあまり読む気はないし、本について議論もできない。春原君はそれで大丈夫?」と言った。
「反対する理由はどこにもない。こっちだって読書を無理強いすることは一切しない。入間先生に言われて入部したが、本を自由に読めるという点で、この空間は気に入っている。廃部するよりはいいから入部してくれる松野さんには感謝したいくらいだ」とおれは返した。
そう、と言い松野さんは席を立った。
「松野さんの下の名前、理央だっけ。どっかで聞いたことがある気がするけど、おれの記憶違いだよな」
尋ねる訳でもなく、そうつぶやくと、松野さんはそうだと思うとこちらを見ずに言い、ドアを閉めた。
―そういえば、女子と向き合って話すのは久しぶりだったな。
一人になった部室でそんなことを思った。
入間先生も大人しい生徒だと言っていたが、おれもそう思った。目もろくに合わせなかったし、声も小さく、言っては悪いがクラスで友達がいなさそうな感じだ。
―もう少し、愛想良くするべきだったかな。昔のおれならそうしただろうな。
そんなことを考えていたら下校チャイムが鳴った。
帰り道、部活を終えた生徒と一緒になった。皆、友人同士で楽しそうに話しながら歩いており、一人でいるのはおれだけだった。
クラスメイトのサッカー部員がおれのことをちらりと眺め、友人とこそこそ喋り合っている。
聞こえてこなかったが、だいたいの内容は想像できた。
―あいつ、いつもクラスで一人なんだよ。
―友達いないのか。
―いつも、本ばっか読んでて何考えてるかわからないんだよな。
―そういうやつクラスにいると困るよな。
―それに、あいつ中学の時に…。
きっとそんなことを話して盛り上がっているのだろう。腹も立たなかった。全て本当の事だから。
でも、おれだって、ずっと一人だったわけではないのだ。くだらないことを語り合える友達がいたんだ。
でも、もういい。一人でいる方が楽だ。
いないものとして扱ってくれた方が楽だ。
何かを望んでしまったらきっと傷つくだけだ。
失わないためにはほしがらないほうがいい。
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