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誰にでも好かれていて、八方美人なところが嫌いだった。仕掛けたのは私からだった。
「中村、俺のこと嫌いやろ」
「興味がないです」
正確に言うと嫌いだった。意図が解せず顔を見返す。
「そうか。俺はちょっと残念。担任としてもっと中村のことが知りたい」
「知っても意味がないですよ。何もありませんし。それに」
流石にやめておこうか。言葉を切ると言葉の先を待っている。
「それに?」
「あなたみたいな偽善者が大嫌いなんです。
生徒のためを思って、とかを平気で言う。
自分や周りの為で生徒のためとか嘘に決まってるのに」
私はとがってたのに小心者で顔が見られなかった。
「中村にそう思われてたんか。
薄々気がついてはいたけど面と向かって言われるとやっぱり傷つくなぁ。そのまんま思ってくれててええよ」
予想外の返答に心臓が跳ねた。
彼はいつものふざけた調子だった。
「偽善者って確かにそうやけど、その理屈でいくと要は、中村にとっての良い人になったら偽ではなくなる訳やんな」
なんてポジティブなんだろう。この人と話しても埒が明かない。
「好きにしてください」
頭に手が伸びてきて、ポンポンと撫でられる。顔が近い。
「…っ、セクハラで訴えますよ」
顔を背けて赤くなっているのを隠す。
「証拠無いから起訴なんて出来へんよ」
くそ、この教師は結構強い。何を言っても返される。
「黙ってたら可愛いのに。好きな人にも強く当たるタイプか」
「好きな人なんていません。恋なんてしたこともない。男なんて馬鹿で嫌な奴ですから」
彼は悲しそうに笑った。
「人生損してるな。俺の初恋の話をしよか」
彼はぽつりと話し出した。
「俺の初恋の相手は隣の家のお姉さんやったんや。
彼氏持ちやし、5歳も年上やから絶対叶わない恋やったけど毎日が新鮮で楽しかった。
その時はあの人の事をずっと考えてしまう。
それだけで、世界が色づいて見えてた。
声を聞くだけでドキドキして、家庭教師として来てくれてたんやけど結局、最後まで気持ちを伝えられんかった。
切ないけど、忘れられない思い出。どう?恋してみたくなった?」
「別に」
苦笑いをされて、少し心がズキンと痛んだ。
悲しさを隠してきたのを打ち明けたのに理解されなかったという悲しさが見えた。
「強情やな。まぁ、いい。そのうち恋をしたら分かる。恋はしたいからするんじゃない、その時になったら自然に恋をする」
それから私なりの恋を探した。
クラスメイトや先輩、生徒会の役員など。
皆いい人だけど恋の決め手に欠ける。
「恋ってなんだと思います」
「雄と雌が求愛する行為のことか」
なんだか露骨すぎる。
「いや、それはそうですけど」
冷めた目でこっちを見た。
「ん?じゃあなんや?それ以外言い方ある」
「もっとロマンチックな」
「ふうん。それやったら君が考えたらええやん」
試すような目がなんだか恥ずかしい。
「そんなこと言っても」
「また、純情ぶって」
笑いながら本を開く。
「じゃあ、君が思う恋を探せばいい」
いつの間にか私は先生の元に色々な相談をしていた。
この心地よい時間に邪魔物はいれたくなかった。
本棚からチラリとこちらを見る人がいた。
「おっ、森山先生。それにさきじゃん。
こんなところにいたんだ。
二人で何話してたの。私も混ぜてよ」
「なんも話してへんわ」
しっしと追い払う姿に笑ってしまう。
「そんなわけないでしょ」
「そら、あれやろ。真面目な進路の話しとかな」
実際はカフェの話や映画の話、他愛もない会話だった。
「なにそれ。面白くない」
彼女は向こうの図書委員の友人の方へ行ってしまった。
「なんで嘘ついたんですか」
「何が嘘やねん。進路の相談に乗ったんは本当やろ。中村のなりたい図書室の先生になるにはどうするとか」
「でも、それは少しで」
「俺たちの他愛もない話を教えるんか。俺たちの秘密なのにな」
先生は笑っていた。
私はずっと前からこの気持ちに気がつかないふりをしていた。
そう、教師は近いのに一番遠い存在。
「もう少しいてもいいですか」
「どうした」
既に自覚していたこの気持ちに名前をつけるなら、恋だろうか。
「別に。相談に」
「俺に相談か。担任としてなら聞いてあげるけど」
空気が口から漏れて声が出ない。
「この前言っていた話なんですけど。好きな人が出来たんです。アドバイスが欲しくて」
先生は少しだけ目を見開いた。
「そうか好きな人ができた、ね。中村もちょっとだけ進歩したんやな。
それで、アプローチの仕方がわからんとか」
「ええ、そんなところです」
目を合わせられない。
「まぁ、俺が言う事なんて参考になるかわからんけど。まずは、その人のことを知って、趣味を合わせる。そして、ゆっくり着実に近づく。
あと、中村に足りないところは素直さだけやな」
「そうですか」
指で本をなぞると森山先生は棚に戻した。
「年の差ってどう思います」
「俺はそれぞれの価値観があってええと思う。でも、未成年はアウトやろ」
いつもと同じポーカーフェイスだ。
喉の渇きに言葉が詰まる。
「先生は」
「俺は今後、恋する気はない。今の俺には恋愛は必要ないから」
私の恋のタイミングが今だっていうのに、自分には興味がないどころか、いつも理屈ばかり。
「今は好きという気持ちが理解できない」
「なんで」
彼は本に目を戻した。
私が目で追ってしまう相手は到底想いの届きようのない相手。
「本気の恋をしてへんから」
本気の恋ってなんだろう。
先生という立場は皆の視線に当たり噂もされる。
女の子が評価している内容なんか聞いてしまう。
森山先生って顔はいいと思うけどね、なんて。
褒められてるのはいいけど複雑だし、先生を好きだなんて聞いたら悔しい。
「それより進路の話やけど。中村の葛藤はわかる。
最近、ずっと進路のことで悩んでるやろ。
司書って正規の採用は少ないらしいし、そんなに給料も良くないって聞いても、夢に余計な話はいらん。
夢があるなら余計なことは考えずに夢に進むのがいいんちゃうか」
背中を押してくれるのは、やっぱり森山先生だけだ。
「ありがとうございます。もう少し前向きに考えてみます」
「うん。いつでも相談に乗るから」
「先生も何かあったら言って下さいね」
「なんや今日は優しいな。
俺の話なんか興味ないやろ。そろそろ帰り。
暗くなってきたし」
突き放された様な気分になった。
でも、あの人の笑顔を隣で独り占めしたい。
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