第三章 攪拌

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「もしかして、わざわざ出てきてくれたの? 俺のために」 嬉しそうに明るいのは、薄暗い廊下でも伝わってくる。 理久は目を合わせず首を振った。 「いえ。今日は僕が当番で」 「へえ? 当番っていうのは?」 「えっと、店休日に出てくる係……みてーな」 裏口に敷かれた玄関マットの上で足首を振り、島草履についた水滴を落としながら聞く義史のサングラスが透ける。数日前に作品の保管部屋で見たのと同じ目元と横顔だった。 「掃除とか、事務所で伝票整理したり、検品──お店に出せるかどーか、見たり」 義史がやっと顔を上げる。 「それ、ぜんぶ理久くん一人で?」 「本当はもう一名(いちめい)、いる予定だったけど……」 言葉を切り、話している相手ではなくその後ろにある窓へ視線を送った。 「この天気で、家の近い僕だけ」 「そっか」 義史も一度窓の外へ顔を向け、ここに来るまでのタクシーの運転手から、気を付けるよう警告されたと笑った。そして変わらぬ調子で事情を話し始める。 「靖さん、いい人だねえ。定休日なのに入れてもらっちゃった。他のお客さん居ない方が設備とかは撮影しやすいだろって。賑わってるところも撮りたいんだけどね」 「はあ」 理久はまた返答に困っていた。今朝、靖からの具体的な指示は無かったのだ。 が、定休日であろうと、雷雨であろうと、今日この時間に工房を開ける必要があった理由は理解できる。 「……えっと、作業場のシャッターは下ろしてますが、電気は点けてあるので」 「うん、うん、ありがとね」 一つずつ頷きながら、義史が歩み寄る。濡れた島草履が床を擦る足音がする。廊下の空気は雨に湿って重くなり、滞留しているようだった。
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