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カーン! と高い音を立てて、くびれから先が切り離される。ガラスはポンテ竿に移され、再度成形窯で焼き戻した後、順番を待つ客の元へと運ばれる。
椅子に座り、熱避けの膝掛けを着けた客は、興奮と緊張の入り交じった表情でそれを受け取った。
「あい来た! 焦らないでー」
職人の補助を受けながら、指示に従って慎重にポンテ竿を転がす。片手に持った金ばしの先を玉に差し込み、切り込むようにして、飲み口となる部分を広げていく。
「いいですよー。じょーとー、じょーとー!」
活気のある声と気さくな交流が、小さな工房には溢れていた。
木製の看板を掲げた琉球ガラスの工房〈大城硝子〉は、沖縄本島の最南端・糸満市にあった。西部に東シナ海を臨む地域で、那覇から訪れる際は、内陸の国道三三一号線を南下する形となる。
漁師町として栄えた沖縄南部の海岸線は、第二次世界大戦中の日本で唯一、地上戦が繰り広げられた場所だ。中でも摩文仁丘は、最大の激戦地および終戦の地として国定公園に指定され、沖縄平和祈念公園と名付けられるに至った。
一九五二年に創立した琉球政府は、戦後の復興、行政および経済の合理化を測り、一町三村の合併によってこの地域に糸満町を誕生させた。 一九七一年の市制施行からは糸満市となり、翌年に日本への返還を経験している。
八〇年代には新たに埋め立てによって土地開発を進めるなど発展を続けてきた。そんな糸満市の伝統工芸こそ、琉球ガラスである。
通りに面したガラス戸の中には、受付の女性従業員が座っている。年齢は五十がらみで、白髪の混じり始めた髪をカールさせ、金縁の眼鏡を掛けていた。胸には『ひさ子』と書いた手作りの名札を着けている。
小さなテーブルに置かれた電話が鳴ると、素早くそれを取り上げる。深紅色の口紅を塗った唇が、
「はいたい。大城硝子です」
と告げた。そしてすぐ、業務的な愛想から自然な声色に変わる。
「えー、金城さん! ちょっと待ってねー」
二、三、会話をした後、保留に切り替えて内線を繋ぐ。
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