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「うわあ、やっぱ良いなあ!」
義史のそれが素直さを絵に書いたような声色に変わる。さらに、よく色味を確認するよう眼鏡を押し上げ、作品に顔を近付けた。
「超きれいじゃん。でもプロが作ったんじゃないって分かる。じゃあ職人さんがどれだけすごいんだって話だ」
カメラをぶつけてしまわないようミンサー織りのベルトを押さえ、レンズにはキャップを被せたまま、誰に向けるともない感想と称賛を述べ続ける。
「…………」
一方、理久は黙ってアルミ戸に背中を預け、その様子を見ていた。
もはや見慣れた空間であった。置かれる品物が度々変わるだけで、執着を示せる物や理由はここに無い。片足の踵を上げ、後ろ手に指を組んだ。
琉球ガラスは、明治中期からおよそ百年の歴史を持つ伝統工芸品だ。
当時から、ガラスは人々にとって生活必需品にも関わらず、本州や九州より輸入するものであった。
脆い性質のガラスは、船の輸送で破損してしまう事も珍しくなかった。そこで、大阪や長崎から職人を招致し、那覇市の小さな工房でガラスを製造し始めたのが、琉球ガラスの始まりと言われる。
昭和中期、第二次世界大戦でガラス工房は壊滅的な被害を受けてしまう。沖縄はアメリカの統治下に置かれ、中部地区の読谷村を初めとした至る場所に、米軍の駐屯地が作られた。
終戦後、ガラス職人たちは、駐屯兵とその家族から、ガラス製作の依頼を受けるようになる。
物資が不足する中で復興を目指す彼らが見つけたのは、駐屯兵の基地から廃棄される空き瓶だった。回収したジュースやビールの空き瓶、破損したグラス、ガラスの器、窓ガラスを砕いて溶かし、材料として再利用する事を思い付いたのだ。
なけなしの廃材は茶、緑、薄い青などに色分けこそできたものの、ラベルなどの不純物が混じってしまい、完成したガラスの中に小さな気泡を作った。厚みも均等ではなく、本州であれば、製品ではないと却下されてしまうような仕上がりだった。
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