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好きな人に振られるかも、なんて考えたこともない。
何故なら私は猫である。しかもワースゴイカワイイネコチャンであり、人はネコチャンを可愛がらずにはおれない生き物なのだ。
なお、好きな猫に振られた回数については黙秘させて頂く。
私の好きな人は「シロさん」と呼ばれている。
白い家に棲んでいるからシロさん。ここらの猫は大抵、彼をそう呼んでいる。ときたま「ニボシさん」という呼称も耳にする。彼がニボシをくれるからだ。
シロさんは、白壁庵というギャラリー兼喫茶店の主人である。
中も外も真っ白な壁だけで造られた小さな店の中で、ときにコーヒーを淹れ、ときにクッキーを焼く。白い壁に絵やらなんやらを飾りたい人間が店にやってきたら、ひそひそと囁くような声でお喋りをする。まるで壁たちに聞かれないよう内緒話をしているような、そんな密やかな声だ。
この密やかな声でシロさんに語り掛けられると、どんなに騒がしい人間も、徐々に声がひそひそとしてゆく。
店に入るときに「ワーメッチャカワイーネコチャンジャン!」とはしゃいで私に迫ってきた人間も、店から出てくるときには「ア、ネコチャン」と呟いてこちらに小さく手を振るのみとなる。
シロさんの声は、魔法の声だ。私はときおり白壁庵に出向き、ニボシをもらってシロさんに撫でられつつ彼の声に耳を傾けるという、密やかな逢瀬を楽しんでいた。
ところが。
ある日、白壁庵にやってきた私の前に、見知った猫が立ちふさがった。
かつて私を袖にした、にっくき雌猫。ジェーンである。
「なぜここに」
「好きな人ができたの」
ご自慢のシミひとつない尻尾をふわりと持ち上げ、優雅に私を威嚇する。
恋のライバルが誰であるか、ちゃんとわかっているのだ。
もちろん私も、わかっている。
かくして戦いの火蓋は切って落とされた。
後に猫たちの間で語り草となる、白泥百日戦争の始まりである。
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