二人掛け

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 果たして、そこに彼の顔があった。近くで見ると、より一層整った顔立ちだと思わずにはいられない。  彼は物怖じすることなく、穏やかに、そして丁寧に聞いていた。 「お隣、失礼してもいいですか」  私はほっと息を吐く。実のところ、彼には是非とも、この試練に受かってほしかった。  全身の力を抜いて、軽く答える。 「いいですよ」 「ありがとう」  彼は、周りに流されることなく、きちんと意見が言える人。居心地の悪さをものとせず、きちんと人に話しかける勇気を持った人。これなら、と思う。私は口を開いた。 「あれ、柳先輩じゃないですか」 「あ、岩崎さん」  岩崎という自分の名前が好きだ。  そして今、彼にその名前を呼んでもらうことで、胸が温かくなる。 「岩崎さん、家の位置からして、このバスじゃなくない? 町内会、俺とかとは違うでしょ」 「いや、お母さんに手紙出してくるよう言われて。うちの近所では、このバスが出るバス停の近くにあるポストが一番近いんで」 「へえ、それは不便だね」 「はい、本当に」  もちろん大嘘。でも構わない。彼との話題繋ぎになるなら。 「あ、そうだ、先輩。部活で使う道具、買ってくれるようにって顧問の先生に頼んどきました」 「わあ、仕事が早いね、岩崎さんは。ありがとう。僕も受験生だから、なかなか部活のことまで手が回らなくて」 「うわあ、私も来年はそうなるのかあ。やだなあ」 「岩崎さんは頭いいから、俺よりは苦労しないと思うけど」 「先輩こそ、学年で一位二位を争う天才じゃないっすか」  ああ、楽しいな、と思いながら、私はそっと決意する。  いつか、この人に言おうと。  私が彼を特別に思うのは、友情や尊敬とはまた別の意味で、彼を慕っているから。きっと、これが世に言う「恋愛」だ。今まで、クラスメートたちの恋愛事情なんてくだらないと思っていたけれど、一度恋をすると、なるほど、なかなか抜け出せない。どうしても、目で姿を追ってしまう。  仮に叶わなくてもいいから、私の試練に合格した彼には、言ってみたいものだと思う。 『発車します、おつかまりください』  張りのない運転手の声。それがどこか、優しく響く。  ガタタン、と音がして、バスが揺れる。 「ひどい揺れだね」 「はい。でも、この運転手さん、いつもそうですから」  二人掛けの席がもたらしてくれたこの時間がいつまでも終わらないでほしいものだと、柄にもなくそう思った。
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