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なぜ補陀落山寺へ行ったかというと、家族旅行で那智勝浦へ行ったからです。
実は補陀落山寺は二十代の頃から行きたいなと思っていたところだったんですが、今回はそれを目的に行先を決めたわけではありませんでした。
僕の行きたいところなど、家族の誰も興味を持つはずもないですし、古墳寺社仏閣などはまったく考えてませんでした。
ところが予定の日が近づいてきた頃、何気なくグーグルマップマップを見ていたら予約していた宿からそれほど離れていない場所に補陀落山寺の文字を見つけてしまいました。
あれ、これ寄れるんじゃない?
どうせゆっくりと見れるわけではないですし、わざわざ補陀落山寺を経由するコースを設定しようとは思わなかったのですが、旅館からは15分ぐらいの距離です。
そして、子供たちが興味ももたないだろうとこれも予定はしていなかったのですが、どうせなら那智の滝にも行こうかという話になり、そうすると補陀落山寺はほとんど通り道です。
ということで行きました。
車で待つ家族にはすぐに戻るといいおいて、実際にすぐに戻るつもりだったのですが渡海船の写真を撮ったり本堂にもあがって住職の解説をきいたり、質問したり、絵葉書とお札をお授けいただいたりして、けっきょくそこそこの時間をお寺で過ごしましたが。
本堂の中も写真を撮ってもよいか尋ねて、仏像を撮らなければいいですよと仰ってくださったのですが、どこを撮っても仏像が入りそうなのでそれは諦めました。
二十代前半の頃、「熊野三山・七つの謎」という本を読みました。祥伝社から出ていた文庫でした。著者は高野澄さんという方で、よくは知らないのですが講談社学術文庫とかで本を出されてたような気がします。
なぜその本を手に取ったのかは忘れましたが、たぶん熊野詣とかのことを知りたかったのだと思います。
もともと即身成仏とか面白いなあと思っていたので、補陀落渡海というものを知ってとてもシビれたのでした。
ちょうどその頃、アルバイト先などで知り合ったシンガーソングライターや写真家、詩人、服飾デザイナー(すべてタマゴ。多分みんなタマゴのまま孵化せずじまいです)、みたいな面子でグループみたいなものを作ってまして。
メンバーの服飾の子の友人が大阪の堀江というところで手作り雑貨とかアート作品の展示を行うギャラリーをやっていて、今度Tシャツ展というのをやるか出品しないかという話があって、僕たちグループも参加しました。
そこで僕は補陀落渡海船にミイラ住職が四つん這いで乗ってるイラストをアイロンプリントでTシャツにして出品したのでした。もちろん売れなかったですけど。
そして今になってようやく僕は悲願の補陀落山寺に行くことができたのでした。すいません悲願は嘘です。機会があったら行きたいなーって程度でした。
でもまあ補陀落渡海Tシャツを作ってしまう程度には行きたかったところなので、今回行けてとても嬉しかったです。
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