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で、製鉄についてほとんど何も知らないのでネットで色々と見てみました。
するとやはり古代の中国地方においては、播磨(兵庫県西部)から吉備(岡山県と広島県東部)、伯耆(鳥取)、出雲(島根県東部)、石見(島根県西部)で製鉄が盛んだったようです。
そして時代がくだると、吉備でも瀬戸内海側ではあまり行われなくなり、代わりに出雲、石見が製鉄の中心地となっていきます。
これは鉄鉱石と砂鉄を原料としていた製鉄から、砂鉄のみを使用する製鉄に変わっていたことが理由とのことです。
この流れでいくと、製鉄盛ん地域の西の端である播磨の宍粟から出雲に製鉄が伝わったというのもあながちあり得ない話でもないような気がしてきます。
というか、もともとは鉄鉱石を使う製鉄を行っていた土地が、砂鉄を使う製鉄技術で播磨から出雲の方へ向かってアップグレードされていったという感じでしょうか。
みたいなことをトウカさんも書いてましたけど。
簡単な製鉄の技術そのものはきっと弥生時代とか縄文時代とかからあったのではないかという気がします。
土器を焼く過程で、ガラスとか金属も偶然に焼成されそうですし。
どこが最初かとかはもちろん分かりませんが、奈良県にある最古の神社、大神神社の一帯も産鉄地だったようです。
金屋とか穴師とかの産、製鉄に関係する地名も残っています。
大神神社の祭神であるオオモノヌシの別名としてオオナムチがあり、これはオオアナモチ(大穴持ち)の意味で、ここでいう穴とは鉄を採掘する鉄穴のことです。
また大神神社のあたりには妖怪一本ダタラの伝承もあります。
たたら場ではもののけ姫でやってたように足踏み式のふいご(窯に風を送る道具・設備)が使われます。
過酷な作業によって足を傷め、片足を失う作業員も多くいました。
また片方の目で火を見続けるので、その目は視力を失い隻眼となります。
これらのことから一本ダタラは一本足に一つ目の妖怪とされるのです。
また同じ桜井にある石上神宮は七支刀を祀る剣の神社です。製鉄伝承との説があるヤマタノオロチと草なぎの剣の組み合わせからも分かるように、剣と製鉄というのはセットですね。
単純に考えれば、大神神社近くにある金屋集落出身の金屋子神が途中播磨の宍粟に立ち寄りつつ、出雲まで行って製鉄技術を伝えた、というストーリーが成り立ちそうですが、そう単純なものではないのでしょう。
それよりもネットで修験道が製鉄と密接な関係がある、みたいに書いてるのを見かけて、なるほど、それはありそうだなと思いました。
曰く、修験道の行場に選ばれている山は火山であることが多い。
鉄をはじめとした様々な鉱石は火山活動によって生まれます。修験者は元々これらの採れる鉱山を見つけることを目的のひとつとして山に入ったのではないか、みたいな感じのことが書かれていました。
修験道では蔵王権現という神さまを本尊として祀ることが多いのですが、この蔵王権現の本拠地が奈良にある金峯山寺という寺です。
金峯山はすでに名前からして金属の採れる峯を名乗っていますし、この蔵王権現は先に書いたオオナムチとも同一視されます。
少し調べたけど出てこなかったのですが、修験道では不動明王を祀ることも多い気がします。
不動明王といえば火です。
火山活動を表してると解釈もできますし、鉄を打つための炉の炎かもしれません。
修験道の行場であり、産鉄地でもある箱根の足柄山には金太郎が生まれますし、金太郎は鉄器であるマサカリを担いでいます。
修験道の開祖役小角が鬼を使役していたこともあり、鬼と修験道も関係が深そうです。
鬼の金棒も製鉄を表しているとか聞いたことがあるようなないような。
古い製鉄地と鬼の伝承地がほとんど重なるというのは有名です。
製鉄が盛んだった吉備国は桃太郎が活躍した地でもありますが、同時にその敵である鬼、温羅がいた土地でもあります。
鬼といえば、文献に出てくる中では日本で一番古い鬼の「阿用の目一鬼」を思い出します。
妖怪一本ダタラと同じく片目です。
鬼に食べられた人がアヨアヨと悲鳴をあげたことからそこが阿用という地名になった、という話ですね。そんな雑な地名の付け方ないやろ、とも思いますが。
その阿用は奥出雲にあります。地図で見ると金屋子神社からも遠くはありません。
やはり製鉄に関係ありそうだなと思って、うぃきを見てみたところ、そのものずばり書いてありました。
鍛冶の祖神が天目一箇神とされる事との関連を指摘する説がある
と書かれていました。
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