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すーが熱を出して、医療機関を受診した結果、コロナではなくインフルエンザA型でした。
インフルエンザも流行しているらしく、すーのクラスは先週の金曜日から明日の火曜日まで学級閉鎖をしていました。
すー自身は熱も最高で38度で、そても一日で下がり、今はピンピンしています。
というわけで、濃厚接触者疑いにあった僕も今日は休みでした。
ちょっと時間ができたので、長岡京市に行った時の写真でも貼っていこうかと思います。
長岡京市に行ったのは一か月ほど前です。
ちょうどクリスマスの日の午後でした。
我が家ではクリスマスイブにパーティーをして、サンタさんからのクリスマスプレゼントは25日の朝。
サンタさんがくれたプレゼントが気に入らないと、すーがしくしく泣いていたので、嫁がすーを連れてショッピングモールに出かけていきました。
ゆきぴーは安定のマイクラ。
そこで僕はぼっちクリスマスを満喫しようと思い、長岡京があった場所なら何かあるだろうと、何があるのかもよく分からないままに長岡京市へと向かったのでした。
とはいえ、家をでたのは二時とかそれぐらい。
そんなにあちこちは回れません。
とりあえず目指したのは、検索して出てきた郷土資料館です。
正式には「長岡京市埋蔵文化財センター」という施設です。
敷地内に駐車をすると、建物の前では三つの石棺がお出迎えをしてくれていました。
恵解山古墳の石室石材
この石材は、 神足二丁目の民家に置かれていたもので平成27年ま3月26日に長岡京市に寄贈されました。
石材は、流紋岩質溶結凝灰岩 (竜山石) で、 長さ約 190 センチ、 最大幅 は約81 センチ、 厚さ約17センチの大きさがあります。
石材の来歴を調べ てみると、大正12年に恵解山古墳から持ち出された5枚の内の1枚で、 古墳の埋葬施設である竪穴式石室の天井石に使用されたものであることが明らかになりました。
これまで所在不明でしたが、実に92年ぶりの発見と なりました。
恵山古墳では石室の壁面に結晶片岩や石英斑岩など扁平な石材を使用しています。 石室を構築する石材が地元で産出するものではなく、 すべて遠隔地から持ち込まれてきたものであることは注目されます。
山ノ下古墳の石棺部材
この石棺部材は、長法寺地区の火の見櫓前広場に置かれていたもので、 成27年3月に当センターへ移設されました。
石棺部材は流紋岩質溶結凝灰岩 (竜山石) で、組み合わせ式家形石棺の短側石と考えられますが、 2片に割れています。 2片を接合した長辺は約 125 センチ、 短辺は約65センチ、厚さ17センチです。 短辺の両側に溝が掘られ、 長辺の一端には底石の段と組み合わせるための切り欠きが施されています。 石棺部材は古墳時代終末期にあたる7世紀前半のものです。 石棺が納めら れていた古墳は山ノ下古墳と呼ばれていますが、 古墳があった正確な場所は もとより、 古墳の大きさや形など詳しいことは明らかでありません。
走田古墳群出土石棺
7世紀前半
奥海印寺明神前の照院境内にあった組合せ式の家形石棺の蓋石と底石。 横穴式石室をもつ古墳から出土したものとみられる。
兵庫県竜山石製
広くはない施設です。
当然僕の他に客はなし。
受付では職員の方が暇そうにしていました。
まさかクリスマスの午後に客なんてくるとは思っていなかっただろうとは思うのですが、僕が入ると丁寧に対応してくださいました。
パンフレットの他に、四仙騎獣八稜鏡デザインの缶バッジもいただきました。40周年の記念品として来館者にプレゼントしているそうです。
館内は常設展の部屋と、はにわ展示の部屋の二つに別れています。
やはり長岡京に関しての展示がメインのですが、一応縄文時代から江戸時代ぐらいまでの物は展示してありました。
資料館内に掲示されていた長岡京市の遺跡地図。
こちらは長岡京と宮のあった場所。
こちらは常設展示室。
縄文時代の出土品もあります。
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