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見られた。絶対に誤解された。
怒りを通り越して虚無感しか出てこない。
「ごめん、ごめん。あの人なっちゃんを追いかけてきてたんだよね?俺、お邪魔だったよね?」
全身を巡る強い疲労感で返事もできない。
「ねぇ、あの人今付き合ってる人?」
そうなりそうだったのよ。
30分前まではね!
相手にする元気もなく、はぁと大きめの溜息をついて、ふらふらと自宅方向に歩を進める。
「なっちゃーん、ごめんって」
尻尾を振った犬のように後ろをついてくる紫輝に、次第に怒りが湧いてくる。
絶対確信犯だこいつ。
昔からイタズラばっかりする。
口先では謝ってるけど、反省の色が感じられない。
一方的なコミュニケーションを全て無視してマンションまで帰り着く。
オートロックを外すとしれっとついてくる。
エレベーターの閉ボタンを絶妙なタイミングで押して暗に怒りを伝えるが、閉まりかけた扉に手をかけて、長身を滑り込ませてきた。
「なっちゃん、怒ってる?」
尋ねられるとよけいに怒りがわいてくる。
自分でも抑えられない衝動にまかせ、紫輝の目の前で自宅ドアを思いっきり閉めてやる。
すぐさまチャイムがなる。
インターフォンごしに、彼の顔をみた。
やっぱりムカつくくらいにオトコマエになってやがる。
ムカつく。
「こんばんは。紫輝君が謝りに来ました。お邪魔していいですか?」
「絶対ダメ」
言ったそばから勝手に入ってくる。わかっちゃいたけど。
「なっちゃーん。ごめんなさい。俺があの人んとこ謝りに行くよ。俺はただの昔なじみ。実家が近所で母親同士が仲良いだけ。なんにもやましいことはありませんって」
「お願いだからやめて」
しょんぼりした顔をされると、ちょっと大人気なかったかなと思ってしまう。
「ただの会社の先輩だから。言い訳するのもおかしいでしょ」
紫輝はホッとしたように笑顔をみせ、安心したのかまたワガママを言い始める。
「ねぇ、なっちゃんの作るレモネード飲みたい」
ソファーに勝手に横になってテレビをつける。
「もう〜。一杯5000円だよ」
「いいよーこの前CM出演してギャラもらえたんだ」
「あの住宅会社のでしょ?見たけど背中しか映ってなかったじゃん」
「それでもギャラもらえたんだって。聞いてよ?あれだけで居酒屋バイトの1週間分だぜ?」
「それだけ責任が伴うってことよ。ちゃんとお金の管理できてるの?」
「母さんに渡した」
紫輝の家は母子家庭だ。母親は仕事で多忙で、幼い紫輝はよく我が家に夕食を食べに来ていた。
「お金を渡すのはいいけど、そろそろ自分で管理しなよ?麻美さんも忙しいんだから」
「わかってるよ」
唇を尖らせて今度はすねる。
そう。わかっている。
紫輝と麻美さんは二人で助け合って生きてきて、今も固い絆で結ばれている。
麻美さんは紫輝の一番のファンであり、紫輝は麻美さんのために俳優として成功して楽をさせてあげたいと思っている。
「はいどうぞ」
生のレモンから作った私の特性レモネードを渡す。
拗ねてそっぽを向いていた顔がパッと明るくなってソファーから飛び起きた。
「あのね?いつまでも学生気分じゃ駄目よ。わかってると思うけど」
たぶん、何かあったんだろう。
仕事で行き詰まったのか。
最近うまくいってなかった彼女と、とうとう別れたのか。
紫輝はたいてい、何かあったときに私のところにくる。
自分から何があったか話すときもあるし、話さないときもある。
どちらにしても、レモネードを飲んで帰る。
「あなた事務所からプライベートについて言われなかったの?腐れ縁とはいえ、一応我々は年頃の男女になるのよ。世間から見たらね。だから夜中にのこのこきたらだめよ。もう子供じゃないんだから」
「わかってるって」
「あと、私も暇じゃないから。あなた専用の喫茶店でもないし、お姉さんでもない。そのあたりも考えるようにならなきゃ。例えば先にメール入れるとかね」
「へいへい」
またすねている。
もうめんどくさい。
私だって泣きたいよ。
明日も仕事なんだから。
「俺のこと子ども扱いしてるのそっちじゃん」
そう言って紫輝は上目遣いに私をみながら、私の髪を手のひらにのせてもて遊び始めた。
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