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紫輝が手のひらに毛束をのせて遊ぶ。
ぞわりとした感覚が体の中心から湧き上がり、頭皮の毛穴から漏れ出す。
「やめて」
急速に熱を持ち始めた自分の顔を見られたくなくて、目をそらす。
「なっちゃん」
急にせつなそうな声。
だめだ。流されちゃダメだ。
「用がないなら帰って」
「なぐさめて欲しい」
「何があったのか。簡潔に述べよ」
「なっちゃんこっち見て」
「相談料も高いんだから。1分1000円。まずそっち向くだけで10000円」
「払うよ」
立ち上がろうとすると手をとられた。
その手を払ってキッチンに逃げる。
「お触りも禁止!!そこで喋って!!」
ゆらりと立ち上がり無言で近づいてくる。
その姿はまるで知らない大人の男のようで。
追い詰められた冷蔵庫を背に、これ以上後ずされない。絶対に目を合わせちゃいけない。
それでも、顔の前でクロスした両腕はいとも簡単にほどかれる。
「なっちゃん…すごい顔してるよ。俺のこと意識してくれた?」
「見ちゃだめ……」
絞り出した声は自分でも信じられないくらい甘かった。
「なつみ」
名を呼ぶ。その破壊力たるや。
身体中が弛緩して、抵抗する意思が急速に萎える。
わかってる。
大人の私が負けちゃ駄目。
「ねぇ、なつみ。こっち見て」
閉じ込められて、至近距離から囁かれ、思わずチラ見してしまうともういけない。
完全敗北の白旗。
こんなのもう。
「その顔面はズルいわ」
弱々しく顔を反らすが、露わになった耳朶に俳優の顔をした紫輝の唇が近づく。
「……俺の顔好き?」
好きに決まってるじゃない。
私が見つけたんだから。
学校に馴染めず部屋の隅で蹲っていた幼い紫輝の涙は本当に、本当に綺麗で。
まるで神様が才能ある画家に描かせた1枚の絵画のようで。
アルコールより強い麻薬が脳内を麻痺させる。
心と身体が分離して引きちぎられる。
触れるか触れないかの距離を保っていた紫輝の唇が、ゆっくりと私のうなじに爆弾を落とす。
それは燃えるように熱く、細糸のような理性はあっという間に焼き切れる。
いつの間にか、私の両手は紫輝の背にまわされている。
「俺の初恋はなつみだって知ってるよね」
こんなのもう。耐えられるわけない。
くぐもった着信音が聞こえ、ひゅっと我にかえった。
反射的に両手で胸を押しやる。
「電話がなってる!」
この着信音は私じゃない。
「でんわいらない。こっちのがいい」
紫輝はなおも迫ってこようとする。
完全に形成を立て直した私は、しっかりとお姉さんの声で返す。
「ダメよ。仕事の電話かもしれないでしょ」
駄々っ子をあやすように言うと、
ちぇと紫輝も幼なじみの顔に戻った。
ズボンのポケットからスマホを取り出して画面をみた途端に顔をぱっと輝かせる。
「アキラさんからだ!すげー尊敬してる先輩。なっちゃん知ってる?コーラのCM出てる人だよ!」
「早く出ないと」
「うん」
喜々として会話を始める紫輝は、もう私の知っている顔じゃなかった。
「はい、はい。はい。えーっマジッすか?」
電話を切ると、キラキラした笑顔で告げる。
「やった!!今から飲みに連れて行ってくれるって!」
「ちょっとあんた、まだ未成年でしょ?」
「ちゃんとジュース飲むから」
そして、嵐のように去っていく。
平静を装って紫輝を見送ってから、私は床にうずくまりしばらく立ち上がれなかった。
うなじに残された爆弾だけが、いつまでたっても熱を持っていた。
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