心臓がいくつあっても

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「楠山ってお酒飲むほう?」  外まわりの仕事を終えた水曜PM6時。先程までの土砂降りが嘘のように、ビルの隙間からかろうじて覗く空は黄昏色にグラデーションしている。  地面からの輻射熱、至るところにある室外機からの濁った熱風、さらに雨上がりの湿度が加わって、タイトスカートの太腿がじっとり汗をかいて不快だった。  ダイエットしなきゃな、とぼんやり思っていた。 “お酒飲むほう?”  隣を歩く会社の先輩、黒田さんに何気なく尋ねられて、私は回答に困った。 「まぁ、そこそこですかね。最近ほら、忙しくって、なかなか飲む機会もないですし」  当たり障りのない返答。  ホントは三度の飯より酒が好き。  でも、ちょっといいなと思ってる人の前でそんなこと言えるわけない。 「駅前に鉄板焼が上手いバルがあるんだ。今日の商談上手くまとまったし、お疲れ様って事でちょっと付き合わないか?」  黒田さんはジョッキをあけるような仕草をする。    とくん、と心臓がなる。 「えーと、今日ですよね」  私の平静を装った声は駅まで向かう人混みにかき消され、次の瞬間、二人の間にあった微妙な隙間を急ぎ足の通行人が通り過ぎていった。  白いシャツの脇が汗で変色してないか素早くチェックしてから、私はつと黒田さんとの距離を詰めた。 「無理にとは言わないぞ。これは仕事じゃないからな。あ、もしかして楠山の彼氏に怒られるかな?」  沈黙を戸惑いと勘違いしたのか、黒田さんが慌てたように付け加える。 「大丈夫です。そんな相手はいませんから」  ちょっと待ってくださいね。と言いおいて私はスマホのスケジュールアプリをひらく。  空白のページをなぞって確認する仕草。 「うん、行きましょう。黒田さんのオススメの店を教えてください」
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