杏奈じゃ湧き上がらない感情

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杏奈じゃ湧き上がらない感情

俺はきちんと授業にも出るようになった。 と言っても授業中に前のドアをガラガラ開けて途中からの参加がほとんどだったが。 教師は、俺が教室に入ると、放課後、生徒指導室に来るようにと言う。 何を言われるかは大体わかるから、俺はテキトーに返事だけして、本当に行く事はなかった。 そんなある日。 鈴木と香澄、3人で昼飯を食っている時だった。 「千夜くん、最近、頑張って授業にも出るようになりましたね」 「でも、途中からじゃ良くないんじゃない?内申書に何て書かれるか解らないわよ」 香澄が少し意地悪っぽく笑う。 と、鈴木はそんな香澄の笑顔を穏やかに見つめていた。 以前から思っていたが、鈴木は無意識のうちに香澄を目で追っている。 だが香澄はそんな鈴木の様子には気付いていない様だ。 今も俺の方を見ながら、購買部で買った惣菜パンをかじっている。 あー、やっぱ、可愛いや。 「ああ、どうも授業に出るのが、かったるくってよ」 「そんな事言ってたら留年しちゃうわよ。ね?鈴木くん。…鈴木くん?」 鈴木は箸を持ったまま、うつむいていた。 何なんだ、一体。 「僕も、僕も…諸橋さんと同じ考えです…」 「ほらあ!鈴木くんだって、こう言っているじゃない!」 鈴木の異変に気付かずに香澄は俺を見て楽しそうに笑う。 「鈴木?気分でも悪りーのか?」 俺は始業式のことも有って、そう何気なく聞いたんだが、鈴木はバッと顔を上げた。 「そんな事、有りません!お2人とも仲良いんですね」 「何、言ってんだ?3人で仲良いんじゃねーか」 俺がそう言った時、教室のドアから隣のクラスの女子が香澄を呼んだ。 「香澄、居るー?」 「なあにー?…ごめん、2人とも。ちょっと席外すね」 そう言って香澄はドアの方へ行く。 少しドジなところもあるが、明るく社交的な香澄は、あれから直ぐに女友達も出来た。 隣のクラスの女子とは、体育や家庭科で仲良くなったらしい。 その時、消え入りそうな声で鈴木が言った。 「…3人でって…僕は好きなんです。諸橋さんが」 もう少しで聞き逃すところだった。 危なかっしい奴が鈴木の好みのタイプか。 俺は何だかモヤモヤしてきた。 「鈴木…」 「お願いです!諸橋さんの事、何でも良いから教えて下さい」 何だ、そりゃ。 「個人情報だぞ。鈴木らしくないな」 恋は盲目とは、このことか。 「お願いします!教えて下さい!!」 鈴木の声が段々デカくなって、ドアの所にいる香澄が驚いたようにこっちを見ている。 「静かにしろ。教室の中だぞ。今、香澄ん家の地図描いてやっから」 「ありがとうございます、千夜くん」 声を元の大きさに戻して、鈴木が嬉々とした笑顔で言った。 だが、又、直ぐに表情を強張らせる。 「どうして千夜くんが諸橋さん家を知ってるんですか?!」 俺は始業式の前日の事を話した。 鈴木も納得した様だ。 そして俺はワザと違う道を描こうとして思い留まる。 …今、何故、違う道を描こうとしたんだ、俺。 答えは出ないまま、本当の道を描いてやる。 鈴木に渡すと奴は嬉しそうに地図を見ていた。 まあ、鈴木なら香澄に手荒な事はしないだろう。 「ああ、後、誕生日は4月21日だ」 地図を見ていた鈴木が顔を上げる。 「もう過ぎてるじゃないですか!何故、千夜くん、そこまで知ってるんですか?」 「何故って、その日、コンビニで偶然会ってカップケーキ奢ったんだよ」 「2人きりで、ですか…?」 鈴木の表情が曇る。 「大したことしてねーよ」 「でも…僕も…僕も諸橋さんにカップケーキ奢ってあげたいです…」 その時、用事が済んだのか、香澄が俺等の方へ戻ってきた。 「鈴木くん、大きな声出して、どうしたの?」 「諸橋さん…誕生日に千夜くんにカップケーキ奢ってもらったんですよね?僕も奢って良いですか?」 鈴木の奴…意外と積極的だな。 だが香澄は困ったように鈴木に言う。 「鈴木くん、気持ちは嬉しいけど、私、今、ダイエット中なの」 俺は何故か内心、安心した。 鈴木は今度はこの世の終わりみたいな顔をしている。 「気持ちだけ有り難く頂いておくわ」 「解りました…」 鈴木は今にも消え入りそうな声で、そう言った。 「鈴木くん、何か今日変よ?大丈夫?」 ようやく鈴木の異変に気付いたらしい香澄が椅子に座りながら、鈴木の表情を見る。 「大丈夫です」 「なら良いんだけど…」 …原因が自分に有ると知ったら、香澄の奴、どう思うだろう…。 俺はこの頃から授業中に鈴木の後ろ姿を見ると、何故か複雑な心境になった。
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