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それからと言うもの、俺は現実逃避するかのように杏奈の部屋に泊まる回数が増えた。
授業中、鈴木の後ろ姿を見る度にモヤモヤが無くならなくなった。
鈴木は本当に古屋敷まで行ったのだろうか。
鈴木からも香澄からも何も聞いちゃいねー。
今日は3年を対象にした実力テストがある。
俺は杏奈の車で校門前まで送ってもらった。
と、前方から香澄が、コッチに歩いて来るのが見える。
俺はシートベルトを外し、後ろのドアを開けて後部座席からカバンを取ったところで香澄に見つかった。
「千夜くん?!」
俺は何故かギクッとした上に、車の中の杏奈にデケー声で言われる。
「昨夜のあなたは最高だったわ、保」
「杏奈、声デケーよ」
俺は車の中を覗き込んで小声でそう言うが、杏奈は悪びれない。
「あら、聞かれちゃまずかったかしら?初めまして、可愛いお嬢さん。保の彼女の杏奈よ。貴女は保のお友達?」
杏奈は香澄に向かって言う。
「千夜くんの…」
香澄は茫然としている。
「友達だろうが何だろうが、どっちでも良いだろ。早く会社行かねーと遅刻すっぞ」
俺がそう言って車から離れたところで杏奈は俺に向かって笑顔で手を振り走り去った。
後には俺と香澄が残った。
他には誰もいない校門前で俺は香澄に何て言おうか考えていた。
2人きりで会話するのは久しぶりだ。
ここは敢えて杏奈の言った事は無かった感じでいくか。
「よお、香澄。遅刻スレスレでご登校とは香澄も彼氏とオールか?」
これで、そうよ。と言われたら、俺はどうなるんだろう。
何故か、そんな事を思った。
だが、香澄からは、そんな言葉は出なかった。
「私には千夜くんみたいに恋人居ないから」
香澄…杏奈の事、気にしてるのか?
「じゃあ目の下に出来てる隈は何だ?」
俺は、俯き加減の香澄の顔を覗き込む。
目の下に隈が出来てるのは、本当だ。
寝不足である事に間違いはないだろう。
「これは昨夜、怖くて眠れなかったから…」
「香澄、もう高校生なんだから1人でも怖がらずに寝ろよ」
まあ、俺が添い寝しても良いけどよ。
…って、何考えてるんだ、俺。
「だって昨夜、外から何度も物音がして…」
「あ、悪りぃ。それ俺だ」
俺は香澄を安心させようとした。
と、同時に物音の正体は鈴木じゃないだろうなと思った。
だとしたら、鈴木に一言言っとかないといけないかもしれない。
「千夜くんは昨夜、アンナさんと過ごしてたんでしょう!?私が怖い思いをしている間ずっと!」
「落ち着け、香澄」
「千夜くんなんか、千夜くんなんか…」
うわ言のように言いながら、香澄は、後ろに倒れそうになる。
危ねえ!
俺は、香澄の間近に寄って、空いてる方の手で、咄嗟に香澄の背に手を伸ばし、身体を支えた。
「大丈夫か?香澄」
寝不足から来る貧血か何かか、知らねーが、相当、疲れているようだ。
隈と顔色の悪さで、せっかくの美人が台無しだ。
俺は、ゆっくり香澄の背中を引き寄せた。
「だ、大丈夫…。怒ったりしてごめんね」
「良いって。…香澄、疲れてるんだよ。何なら教師には上手く言っとくから、保健室に寄ってから来い」
本当は時間が有れば保健室に連れてってやりたいところだが、もうじきチャイムが鳴る。
俺は香澄がしっかり立ち上がったのを見てから背中にまわしてた手を離した。
そのまま、下駄箱の方に駆け出す。
「あ、ありがとう!千夜くん!」
後ろから香澄の声が聞こえた。
俺は前を向いて駆けながら、空いてる片手だけヒラヒラと振った。
教室に入ると同時に始業のチャイムが鳴った。
午前中の科目を終えた昼休み。
いつものように3人で飯を食ってた俺は鈴木に思いも掛けないことを言われた。
「千夜くん、何か怒ってませんか?」
「別に。何でだよ?」
「時々、千夜くんの僕を見る視線が鋭いような気がするのですが…」
「そりゃ、気のせいだな」
「なら良いのですが…」
俺は、そう言ったものの、確かに古屋敷の地図を描いてやった頃から、鈴木に対するモヤモヤや怒りに苛まれていた。
香澄は香澄で口数が少ない。
「諸橋さん、元気ないですが今朝遅れて来たのと関係が有りますか?」
鈴木が心配そうに聞く。
「ううん、大丈夫よ。心配掛けてごめんね」
香澄は何処か無理した様な笑顔でそう言った。
「大丈夫なら良いのですが…何か有ったら、僕に言ってください。最善を尽くします」
鈴木の真剣さに香澄は今日始めて自然な笑顔になる。
「やだあー。鈴木くん、本物のお医者さんみたい」
「一応、医学部志望なので…でも笑ってくれて良かったです」
「鈴木くん…ありがと」
鈴木と話してる間、香澄はいつもなら俺にも話を振るのによ…。
俺は何処か疎外感を感じた。
放課後。
香澄が1限目のテストを受けている間。
俺は杏奈が来るまでタバコを吸いに。
鈴木は数がかなり増えた子犬たちにエサをやりに、2人で体育館裏に向かう。
鈴木がしゃがんでドッグフードの袋を開けると少しデカくなった子犬たちが一斉に鈴木の元に駆け寄った。
俺はカバンを地面に置くと、タバコとライターを胸ポケットから取り出し、火を付ける。
一服すると、今日はヤケに静かだなと思って、うるせー奴が1人居ないのに気付いた。
「山村、卒業しちまったな…」
1年の頃、俺は途中まで料理部に入っていた。
その時に初めて山村に出会った。
「今頃、専門学校で頑張っている事でしょう」
「犬の数、どんどん増えてるな」
「そう…ですね。それに諸橋さんは、バイトがない時には一緒に可愛がってくれてます。千夜くんもご存知ですよね?」
そう言う鈴木。
俺は内心、どういう訳か頭にきたが、それより気になる事を聞いてみた。
「その香澄の事だが鈴木。俺が教えた古屋敷に昨夜、行ったか?」
「黙秘権です。ご想像にお任せしますよ」
「やっぱりな。今朝、香澄、眠そうだったぞ。気持ちは解るが、これ以上、香澄を怯えさせるのはやめとけ」
「えっ!諸橋さんが遅れて来た理由って…」
「ああ。昨夜、物音がしたから、眠れなかったんだと」
「千夜くんに朝、会ってたんですね…」
そう言って鈴木は項垂れる。
「ああ。お互いギリギリだったから、保健室に寄ってから教室に来る様に言ったんだ」
「千夜くんが谷崎先生に話してたのは、その事ですか?」
「ああ」
「そんな事…諸橋さん、昼休みに全然言ってなかったのに…」
その時、体育館の角から、砂利を踏む音が聞こえた。
「誰だ?!」
俺の誰何の声に気まずそうに姿を見せたのは、香澄だった。
もしかして今の話を聞いてたか。
俺は構わず、タバコを吸い続ける。
「1限目のテストが終わったから…」
香澄は気まずそうにそう言った。
対して、鈴木は香澄同様、色々な意味で気まずそうだ。
ゆっくりと香澄の事を見上げる。
「諸橋さん…」
香澄は鈴木の直ぐ近くまで来ると、目線をしゃがんでいる鈴木に合わせる。
子犬たちの何匹かが、そんな香澄の匂いを嗅いでいた。
香澄は、優しめに鈴木に言う。
「鈴木くん。昨夜、私の家まで来たの?」
「黙秘権です…」
鈴木はそう言うが、さっきの俺との間の会話で行ったのはバレバレだ。
それでも、どこか罪悪感を感じたのか、鈴木はハッキリ打ち明けようとしない。
「どうして、そんな事…」
「…黙秘権、です…」
「あー!じれったい奴だな!香澄もコイツの気持ち察しろよ」
俺はタバコを吸ったまま、複雑な心境で地面を見つめて言った。
香澄は、ようやく鈴木の気持ちに気付いたようだ。
「鈴木くん、気持ちは嬉しいけど」
香澄はそこで言葉を一旦、切る。
一瞬、そんな香澄から、視線を感じたような気がした。
「私、他に良いなって思う人がいるの。だから…ごめんなさい…」
香澄…他に好きな奴が居たのか…。
俺は何故か後頭部を鈍器で思い切り殴られたような衝撃を受けた。
鈴木もショックを受けたようだ。
「解りました…」
鈴木はかろうじて聞こえるくらいの小さな声で、そう言うと、その場を走り去っていく。
香澄の表情も悲痛だ。
何匹かの子犬が鈴木に付いて去って行った。
「香澄…」
俺はタバコを力無く地面に落とす。
火を消すのも忘れて俺は言った。
「あんた、好きな奴が居るのか…?」
香澄は立ち上がったが、下を向いていて、その表情は読めない。
「私が好きな人は…」
「言うな!」
香澄の言葉をみなまで聞かず、俺はカバンを手に取ると、体育館裏を走り去った。
何が何だか知らねーが、香澄の好きな野郎の名前なんざ聞きたくなかった。
校門前まで走ったところで、俺は立ち止まる。
恐る恐る後ろを振り返ったが、香澄の姿は見えない。
俺は少し安堵して、大いにガッカリした。
その時、杏奈の車がやってきた。
車は俺の目の前に止まる。
そして、窓が下がり、杏奈が驚いたように顔を出した。
「保?珍しいわね。先に待ってるなんて」
俺は、訳の解んねーショックを忘れる為に、杏奈に逃避しようと思った。
「たまには良いだろ。早く部屋へ行こうぜ」
「あら、今日は気が早いわね。良いわよ、乗って」
杏奈の言葉に俺は助手席に乗り込むと、カバンを後部座席に放り投げる。
そのまま、俺は杏奈のマンションの部屋へ向かった。
走る車中で、杏奈が言う。
「保、何か有ったの?顔色が冴えないわよ」
「俺だって、いつも調子良い訳じゃねー」
そのまま、スッキリしない気分で、俺は杏奈の車に乗っていた。
その日の夜。
「杏奈、別れよう」
「保?」
「俺はあんたに飽きたから」
「どうしてよ!?」
「合鍵、返すわ。じゃあな」
「待って!」
杏奈の制止の叫びにも構わず、俺はカバンを担いで杏奈の部屋を出た。
外は、もう暗くなっている。
屋敷までの道を俺は1人で歩く。
杏奈と身体を重ねてても、虚しいだけだった。
こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだ。
だが、そんな気持ちを認めるのが、現実を見据えるのが、怖くて、出来なかった。
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