杏奈じゃ湧き上がらない感情

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翌朝、休日な上に予定がないのもあって、バイクで街に繰り出した。 しばらくバイクを走らせていると、妙な集団が見えてきた。 チンピラ風の野郎どもが4人、1人の女を取り囲んでいる。 近づくにつれ、その女は、よく見ると香澄じゃねーか。 俺が警戒心を持った方がいいって言ったのに、何やってんだ。 昨日の今日で気まずいが、このまま放っておく訳にもいかねー。 仕方なく俺は、バイクを集団の直ぐ近くに止めると、香澄とチンピラどもが注目する中、被っていたメットを外した。 「待たせたな、香澄。何してんだよ?早く行こうぜ」 俺は香澄の彼氏に扮したつもりだったが、チンピラどもは面白くなかったのか、香澄から今度は俺のバイクを取り囲んだ。 「んだよ!男は嫌いなんだよ!」 「そりゃ丁度良かった。俺も男嫌いなんだよ。特に、あんたらみたいな連中はな!」 そう言い終わるか否かの時点で俺はバイクから降りると、片足を大きく振り回すようにして、男の1人に蹴り付けた。 「あ!おい!…貴様ー!」 チンピラの1人が倒れた事で、残りの3人は一斉に襲いかかってきた。 「はあ!」 俺はバイクを横倒すと、残りの連中の攻撃をかわしながら、無駄の無い動きで3人に、殴り付ける。 4人とも自分の顔を押さえて、崩れ落ちた。 だが、うめき声を上げながらも、全員、立ち上がろうとしている。 「香澄!乗れ!」 俺はメットを香澄に放り投げると横倒しにしてたバイクを立てて、跨った。 香澄が慣れない手付きでメットを被ると俺に後ろから、しがみつく。 それを合図に俺は先程より速いスピードでバイクを走らせた。 香澄が、どこに行こうとしてたのか、解らなかった俺は、とりあえず、いずれバレるであろう、千夜組の屋敷までバイクを走らせると表札の前でバイクを止めた。 「俺、ヤクザの息子なんだ」 俺がバイクから降りると、香澄もメットを外して危なっかしくバイクから降りる。 「そうだったの…」 「あんま驚かないんだな」 「だって何となく、それっぽかったから」 「何だよ、それ」 香澄は俺が極道の息子だと知っても普通に接している。 まるで昨日のことが無かったかの様に繰り広げられる会話のキャッチボール。 香澄が昨日のことを気にしてる様子が無いのは、複雑な心境だったが、変に気まずくなるより、救われた気がする。 香澄も意外と見てるとこは見てるんだな。 ただ、ヤクザの息子っぽいって言われると、事実ではあるが、複雑な心境に陥る。 「千夜くんは長男?」 「ああ、兄弟は居ない」 俺の返事に香澄は何やら思案顔になる。 何を考えてるのかまでは解らないが、本当に直ぐ顔に出るタイプなんだな。 「それより香澄、どこ行くつもりだったんだよ?送って行くぜ」 どうせ暇だしな。 途中で再びチンピラどもに遭遇しても厄介だし。 香澄から返ってきた言葉は意外なものだった。 「行く先はペットショップだけど…」 「ペットショップって、香澄、あれから鈴木と会ったのか?」 鈴木は失恋している。 俺は、だから疑問に思って聞いた。 と、香澄は、俯き加減で首を振る。 「鈴木くんとは、あれから会ってないわ…」 「じゃあ、何故だよ?」 俺の言葉に、香澄は俺と昨日別れてからの事を言う。 帰り道、1匹の子犬が古屋敷まで付いて来たこと。 大きな屋敷に1人というのも寂しいので、思い切って飼う事に決めた事。 香澄は自覚してないようだが、トイレやキャリーケースを買うのは、身1つじゃ持ち運べないだろう。 車に乗って行けば話は違うだろうが。 「それじゃあ、車が要るな。かと言って、杏奈とはもう別れたし…」 「アンナ…さんって、昨日の朝、千夜くんを車から降ろした女性…?別れたの?」 「ああ。それもそうだが、あんた、引越しの時の二の舞する気だったのか?」 「言ったでしょう?引越しの時は業者の手配を忘れたの!それに、車も免許もまだ持てない年齢だもの」 「それこそ好きな奴に持ってもらえねーのかよ?」 「えっ…」 言った後で、しまったと思った。 香澄が、どういう訳か泣きそうな顔になったからだ。 「どうして気付いてくれないの?私はこんなに想っているのに…」 最後の方は涙声にまでなっている。 俺は香澄の言ってる意味がよく解らないまま香澄の頭を撫でた。 香澄が何故泣きそうになってるかは知らねーが。 香澄は一通り泣いて、気持ちが落ち着いたのか、泣き腫らした目で真っ直ぐ俺を見つめて言った。 「千夜くんよ。私が今、恋をしているのは」 「…へ?」 驚き過ぎて間抜けな声しか出てこねー。 「初めて逢った時は、格好良い人だなぁ位にしか思ってなかったけど、一緒にいる内にどんどん楽しくなってきて…でもアンナさんがいるなら、黙っていようと思ってたけど、昨日の放課後、他に好きな人がいるって言っちゃったし、それに、もっと話していたい、一緒に居たいって思う様になって…」 俺、今、告白されてるのか? 女癖が悪くてタバコを吸ったり、授業を遅刻してくる俺を? おまけにパティシエになりたいって言ったら勘当されそうだが、俺、今はまだ千夜組の息子だぞ。 「良いのか?本当に俺で」 「千夜くんじゃなきゃ嫌なの」 香澄は顔と耳を真っ赤にして、俺から目を逸らした。 「サンキュー。あんたのお陰で自分の気持ちを理解できたぜ」 俺はそう言って身を屈めると、香澄の小さな唇にそっとキスをする。 そして、その足で屋敷の方へ向かった。 香澄が不安そうな声を出す。 「どこ行くの?」 「屋敷。車1台出せないかどうか聞いてくる」 親父から許可をもらった俺は車庫に向かった。 車庫では田中が丁度、車の洗浄を終えたところだった。 「田中。運転を頼む。車の手配については親父に許可をもらってきた」 「アイアイサー!坊ちゃん、今なら新車と同じくらい綺麗ですぜ」 「ああ。それと女を拾って行く。門構えの前で待たせているからな」 「そうですか。解りやした、助手席に乗って下せえ」 「ああ。言われなくても、そうするさ」 言いながら俺は助手席の扉を開けた。 門構えのところで、香澄が待ってるのが見えた。 「田中。あの近くで車を止めろ」 「イエッサー」 香澄も車に気付いたようだ。 俺は田中が香澄の直ぐ近くで車を止めたところで助手席の窓を開ける。 「香澄、良いってよ。後ろ空いてるから乗れよ」 「あ、ありがとう…」 香澄は、そう言うと後ろのドアを開けて中に入ってきた。 1年の時、鈴木を乗せたこともあったが、鈴木といい、香澄といい、どこか度胸のある奴が多いな。 最も香澄は、今日から新しい彼女だ。 手荒な真似はするつもりはない。 「坊ちゃん。新しい彼女ですかい?」 田中が聞いてきた。 「えっ!」「ああ、諸橋香澄って言うんだ。同じクラスで、独り暮らしを古屋敷でしてる。手荒な真似はするなよ」 「かしこまりやした。坊ちゃんにしては珍しく歳上じゃないんですね」 「告られたのは初めて俺も好きになってからだからな。今までの暇潰しの女どもとは違う」 「千夜くん…」 俺の心に暖かい何かが宿った気がした。 「失礼しました。坊ちゃん、行く先は?」 「ペットショップだ。ドッグフードと犬用のトイレシート、後、キャリーケースを買うぞ」 香澄に代わって俺が詳細を述べる。 「かしこまりやした」 田中は、そう言うと、香澄がシートベルトを着けたのを見てから車のアクセルを踏んだ。 しばらく車を走らせている時だった。 俺は後ろに座っている香澄から、急に声を掛けられた。 「せ、千夜くん…」 「何だよ、香澄?道は間違えてねーぜ」 「ううん…酔った」 「は?この程度の運転でか?…田中、安全運転で行け。…香澄、ほらビニール袋」 「ありがと…」 「坊ちゃん、近くに公園があります。そこで、お嬢さんを休ませてやってはどうです?」 仕方ねー。 まあ、時間はたっぷりある。 「ああ。田中、公園の前で俺らをおろせ」 「かしこまりました」 田中は俺に言われた通り、公園の前で車を止める。 俺は車を降りると、後部座席のドアを開いた。 前にいたから解らなかったが、香澄は俺が寄越したビニール袋で口を覆い、顔面蒼白になっている。 「降りれるか?香澄」 「う、うん…」 「坊ちゃん、自分は、ここで待っています」 田中が、そう言った後、香澄はシートベルトを外す。 だが、今にも吐きそうなのか、車から降りるだけでも辛そうだ。 俺は香澄が車から降りるのを手伝った。 「歩けるか?香澄」 「ううん…吐きそう…」 「ったく、じっとしてろよ!」 俺は香澄をお姫様抱っこをすると、公園の隅の芝生に向かった。 香澄…軽いな。 当の本人は、俺が言った通り、じっとしている。 「香澄、降ろすぞ」 俺は香澄に一言そう断りを入れると、そっと降ろした。 「う…ありがと…」 香澄は、そう言うと、うずくまった。 吐こうとしてるようだが、なかなか吐けないようだ。 こういうときって1番辛いんだよな。 「香澄、一旦、ビニール袋を口から離せ。自力で吐けないなら俺が口の奥まで手を突っ込む」 俺は香澄の直ぐ隣にしゃがみ言う。 ところが、どういうわけか香澄は、口からビニール袋を離そうとしない。 「何やってるんだよ。早くビニール袋を離せって」 俺が再度そう言うと香澄は、ようやく口を覆っていたビニール袋を離した。 俺は、すかさず指で香澄の口のノドの近くまで突っ込んだ。 「う…っ…」 俺が手を抜くのと、香澄が吐いたのは、ほぼ 同時だった。 香澄の吐いた物が手にかかったが仕方ない。 「もう苦しくないか?香澄」 「う、うん…。それより、ごめんなさい…手…」 「これくらい大したことねーよ。そこの蛇口で洗えば良いだけだ。香澄も口ゆすぎたいだろ?立てるか?」 「うん…」 香澄は、ゆっくりと立ち上がった。 まだ顔色が悪りぃな。 2人で、それぞれ手を洗ったり、口をゆすいでから、俺は言う。 「少しそこのベンチで休んでこーぜ」 「でも運転手さん待たせてるから…」 「安心しろ。田中って言うんだが、俺の方が立場は上だ」 …今は、まだな。 田中自身も、休ませてやってはって言ってたもんな。 俺達は並んでベンチに座る。 「ありがとう」 「何、気にするな。明後日の月曜日に高校中に香澄が吐いた事、言うからさ」 「ありがと…えっ?!」 「本気にすんなよ、香澄」 香澄…本当にからかいがいの有る奴だ。 最も、そんな香澄を揶揄って良いのは俺だけだ。 「ちょっと待ってろ」 俺は香澄にそう言うと、缶コーヒーでも飲むかと自販機まで駆けて行く。 俺は缶コーヒーを2本買うと、香澄の元へ戻る。 香澄の近くまで来てから、1本の缶コーヒーを「ほらよ」と言って放り投げる。 「良いの?」 「嫌なら最初から買わねーよ」 「ありがとう」 俺がベンチに座ってから、香澄は俺とほぼ同時に缶コーヒーを開けて飲む。 しばらく公園で遊んでるガキたちや親子連れを見てたら、香澄が不意に俺に話をふってきた。 「千夜くんは、どうして、ここまでしてくれるの?」 「彼氏だから。惚れた女を介抱するくらい何ともねーよ」 大したことはしてねーのに、香澄も大袈裟な奴だな。 「後、誰かさんが危なっかしくて見てられないからかな」 「誰かさんって私?」 「他に誰が居るんだよ」 「うっ!…どうせ私は抜けてますよーだ」 すねてるところも可愛いな。 …香澄なら、話を聞いてくれるかもしれない。 俺は缶コーヒーを飲み干すと、思い切って自分の話をし始めた。 「俺さ、まだパティシエになりたいこと、親に話してねーんだ。親父…組長は当然俺が組を継ぐもんだと思っているし、現に俺が組を継がねーと田中に皺寄せがくる。その田中にすらまだパティシエの話はしてねー」 「千夜くん…」 「杏奈の事にしたってそうだ。逆ナンされて、カッコいいから付き合ってって言われて断る理由が無いから付き合いだしたけど、付き合ってても、虚しさだけが増していく。そんな関係続けてても楽しくも何ともねー」 「そうだったの…。大丈夫、千夜くんならお父さんにも言える。私が守るから。千夜くんがチンピラ達から私を守ってくれた様に、今度は私が千夜くんの心を守るから。私と付き合っていて、虚しいなんて思わせない」 「香澄…」 俺はスチール缶を握り潰した。 俺自身の夢…パティシエの道。 俺は香澄に再び背中を押された気がした。 「はい、缶、ちょうだい。私、捨ててくる」 俺は潰した缶を香澄に寄越した。 香澄も自分が飲み終わった缶を持って、さっきより、しっかり立ち上がると自販機近くのゴミ捨て場まで歩いていく。 「サンキューな、香澄」 香澄の言葉に、あせる必要は無いと言われたみたいで俺は救われた気持ちになった。 小声で言った礼は香澄には聞こえなかったようだ。 香澄の様子が良くなってきたようなので、俺達は田中の待つ車に向かった。 「待たせたな、田中」 「いえ、坊ちゃん。お嬢さん、もう具合は大丈夫ですかい?」 「はい。ご心配をおかけしました」 香澄は、深々と頭を下げてから、車に乗り込む。 俺も、助手席のドアを開けて、乗り込んだ。 俺達がシートベルトを締めたところで、田中は俺が言った通り安全運転でペットショップに向かう。 香澄も、具合を再び悪くすることは無く、俺達3人はペットショップにたどり着いた。 俺達が中に入った途端に客らしきカップルや家族連れが離れていく。 香澄はまだしも、俺や田中…特に田中の方はヤクザそのものだもんな。 まあ、歩き易くて丁度良い。 そう思って歩き出した時だった。 「千夜くんに諸橋さん?」 ドッグフードを抱えた鈴木に呼び止められる。 昨日の今日だ。 タイミング悪く、鈴木と出くわせちったな。 少し考えりゃ解りそうな事だったのによ。 迂闊だった。 「諸橋さんの好きな人って…なるほど、そういう訳でしたか」 それだけ言うと、鈴木はドッグフードを置いて、ペットショップから走り去る。 「鈴木くん!」 香澄は靴を脱ぐと、えらいスピードで追いかけて行った。 「坊ちゃん、詳しい事情はわかりませんが、後を追わないで良いんですかい?」 「俺まで追ったら、余計ややこしくなるからな…」 俺はペットショップの前に停めた車の中で田中と待つ事にした。 香澄と鈴木が揃って戻ってくるのを信じて…。 だが、2人共、なかなか戻ってこねー。 そうこうしてるうちに空がオレンジ色になりだした。 と、車のバックミラーに香澄の姿が映る。 鈴木の姿は無い。 俺は車から降りると香澄の元へ行った。 「香澄、鈴木は…?」 「大丈夫。話は出来たわ。ただ、少しの間、心を整理する時間を下さい。って」 俺等は待つ事にした。 心の整理がついた鈴木が再び俺等の元に帰ってくるのを。
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