#4

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「おー東條くん、久しぶり」  相変わらず髪の毛は重たげにもっさりしているが、妙に安心感を持つその姿に顔がほころぶ。顔を上げた東條くんが俺を捉え、びっくりしたように肩を震わした。すぐに近くまで駆け寄ってきて会釈をしてくれる。会釈なんて離れていてもできるのに、わざわざ来てくれるところに犬のような可愛さを感じてしまった。 「元気だった?」  こくこくと頷くのを見て、俺も凹んでいた心が元気になる。東條くんはなんだかそわそわしながら俺を窺った。 「あー、今日はもうお店も閉まっちゃうよね。また東條くんがいる時に来るよ。駅まで一緒に歩こうか」  そう言えば、東條くんはちょっと残念そうに肩を落とし、長い足でやけに小さな歩幅で歩きだした。東條くんが隣にいる時のこの安心感は何だろう。隣でちょこちょこと歩く東條くんは今日も穏やかな周波を出している。 「今日は仕事はどうだった?」  聞けば、ムムッとした顔で首を傾げながら親指と人差し指で丸を作る。まずまずといったところだろうか。 「そっか。無理せずにやれよ。聞いてよ、俺はね。ハローワークに行って、逃げてきた」 「……」 「ほら、ブルーな時ってあるじゃん? 同居人ともいろいろあって、もう働きたくねぇよって思ってたんだけど」  ざり、と東條くんが足を引きづる。頭上の街灯に甲虫がぶつかる音が聞こえた。隣で東條くんの雰囲気が少し硬いものになる。 「大丈夫。ちゃんと頑張るよ」  東條くんを見上げると、複雑そうな顔で俺をじっと見ていた。笑いかけたが、頬がうまく動かなかった。 「……」  東條くんは口を開いたり、閉じたり、唇を噛んだり、何か言いたげな様子だった。言葉が出て来ないようで、もどかしそうに軽く握った手を腰のあたりで振っている。 「あぁ、同居人のこと? そうそう、前に言ったあのヤリチン野郎。酔っ払うと俺のこと抱くってことばらしてやったら家出されちゃった」    笑って言えば、気遣わしげな視線を向けられた。どぎつい話をしているのに引くどころか心配してくれている。つくづくいい子だ。 「……恩人なんだよね。高校の同級生でさ。あれ? 中学も一緒だったっけ」  俺が話し始めると、東條くんは落ち着きのなかった手を横に下ろした。相変わらず一言も発しないが、今日も静かに誠実に俺の話を聞いてくれる。おかげで聞かれてもいない話がぼろぼろとこぼれていく。 「俺、昔努めてた会社が超ブラックでさ。毎日駅に行くたび、あー今かな、とか飛び込むタイミング無意識に探ってて。一回、今だ!って思っちゃった時があったんだよ。そん時そいつに運よく助けられてすげぇ怒られた。結局、それからずっとそいつの世話になっちゃってんだよね」  運がよかったのか悪かったのか。せっかく死のうと思ったのに誰だよクソが、と思えばイケメンでヤリチンで俺が落ちた第一志望の大学に入りやがった折本くんじゃないですか。折本、すごい顔してたな。  六年ぶりに会ったというのに、折本は俺を見て即座に「真崎」と口にした。同じ学校、同じクラスと言っても、一緒にいたわけじゃない。時たま下らない会話をしては笑っていた記憶がある。それだけだ。  昔から折本は一人だけ出しているオーラが違った。華やかなのに嫌味じゃなくて、敵意もなければ悪意もない。ヤリチン遊び人のくせしてなぜだか人望があって。  そんな魅力は俺には少しもないものだから、ひそかにいいなぁ、なんて思っていた。人を変え、人を巻き込み、空気を変える。そういうものを魅力と呼ぶのだろうけれど、それが折本にはあった。俺には到底、何も変えられない。 「もうさ、毎日しんどくて、怖くて、最悪だったよ。自分が目つけられたくないから、見て見ぬふりして。だけど俺も妙なプライドがあるもんだから、後輩庇って危うく上司殴るとこだった。あははっ、俺はヒーローでもなんでもないのに」  こんなにも昔のことを思い出す日はそうそうない。沢田に聞かれたせいで、すっかり消え去っていた記憶がどんどん引きづり出されていくのを感じる。東條くんが息を飲んだ。こんな話聞かされても、困るだけだな。 「だから働くのもちょっと渋ってたんだけど……今は明確に働こうっていう意志があるよ。いろいろあったけど、後悔はしてない。ごめんね、こんな話して」  静かな夜道に、俺の声と二人分の足音だけが響く。そういえば駅に向かっているけれど、終電もそろそろなんじゃないだろうか。こんなにゆっくり歩いていて間に合うだろうか。 「時間、遅いでしょ。東條くん話しやすいから、つい喋りすぎちゃうや。まだ二回しか会ったことないのにね」  声を上げて笑ったが、東條くんはしゃべらないから何を思っているのかは分からない。電車の時間が心配で歩くスピードを速めたが、聞こえてくる足音はさっきまでと変わらない速度だった。  引きづり気味の足音が消え失せそうなほど弱々しくなって、背後で止まる。とうに隣に東條くんの温もりはなかった。少し速すぎただろうか。  心配になって後ろを振り返れば、東條くんが俯いて立ち尽くしていた。暗い視界の中、街灯と信号の明かりで辛うじて顔が照らされている。その頬が光っていた。
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