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家に帰るなり、折本は食卓の冷えたご飯を温めもしないでがっついた。せめてレンジで温めようか、と聞いても俺のことを蹴り飛ばすだけだった。暴君すぎる。いつも通りだけど。
痩せすぎだとか、飯を食えだとか、母親みたいなことをすごい剣幕で言っていたが、それも一通り過ぎた頃に、唐突に言う。
「謎だったんだよね」
「何が?」
「いや、真崎が」
急にそんなことを言ってくるが、俺には毎日女を抱いているヤリチンのほうが理解できない謎の生物だったぞ。
「掴みどころがなさすぎて、なんだコイツって思ってたんだけど」
「いつの話だよ」
「中学と高校」
ぼんやりと遠い目をした折本が思い出すように言う。またひどく昔の話だ。学ランを着てまだ幼かった頃、運動部の先輩を食っていると噂されていた折本。ブレザーに身を包んで養護教諭を組み敷いている折本。
……思い出そうとしても、ヤってしかいないぞ、お前。対して俺はそれは真面目だったから、そんな折本との関わりなんてなくて、毎日それなりに勉強とゲームに明け暮れた。
交わることなんて本来ないはずだった。
「面白いなと思ってた」
折本が口元に笑みを浮かべながら言う。
「誰もいない教室で先生のモノマネしながら、ちょっと違うなーとか言ってたり」
「おい」
「頼まれてもない仕事自主的にやってみたら、怪奇現象だと思われたり」
「やめろ」
だから、知りたいと思った。
缶ビールを開ける音が聞こえてくる。酒を飲もうとした折本の手から缶をむしり取る。お前はしばらく禁酒だ、禁酒。
奪われたビールを物欲しげに見てくるが、不満そうな顔を向けるだけで抵抗はされない。代わりに折本が煙草に火をつけた。
「近づいても逃げるから、大変だったよ。真崎クンと仲良くなるのは」
高校時代の放課後、先生に雑用を押し付けられた俺を手伝うことなく眺めながら、折本はよくダル絡みしてきた。なんでコイツ俺に話しかけるんだ? と思っていたら、同じ部活でしょって言われた。俺と折本は帰宅部だった。意味が分からない。
「俺のこと、認知してる感じもなかったし」
「してたよ、それは流石に」
折本が吐き出した煙で輪っかを作って遊んでいる。
放課後、二人きりになった教室でなぜか俺に話しかけてはケラケラ笑う。俺だって、よっぽど折本颯が分からなかった。
「せっかく大学もお前の志望校にしたのにいねぇし」
「落ちたんだよ」
「再会すれば、死にかけてた」
「…………」
「あんな真崎、初めて見た」
とんとん、と煙草を揺らして灰を落とす。一口も口をつけていないビールが、俺の手のひらの体温でぬるくなっていく。
「泣くしキレるし怯えるし。人間らしいのは結構だけど、ビビったよね」
元気になってよかったよ。
そう言葉を吐きだして、ふ、と折本が笑う。
「……誰のおかげだろうね」
「俺だな」
「お前だよ。よくもまぁ、成人男性の面倒見れるよ」
「好きだからじゃない?」
折本が歯を見せずに笑う。大人びた笑顔だった。遊び人の折本颯の笑顔じゃない。
「好き、ね」
「そうそう。折本くんの愛は重いから」
「性欲の強さを愛の重さに入れてんじゃねぇよ」
軽々しく口にできず、酔っていないと本心を吐きだせないほどに拗らせていたというのなら、一途なものだ。俺はずっと折本に無理をさせていたのかもしれない。
「やっと十年かけてルームシェアまでこぎつけたってのにさ……働くの?」
「それは、流石に」
「まぁ、引っ越すまでは待てよ」
「うん」
「それとも一人暮らししたいの?」
「しねえって」
慌てて否定すれば、折本が肩を揺らしてからからと笑う。
「うん。されたら困る。どうやって家に閉じ込めようかと考えてた……何か、言っておきたいことは? 全部聞くよ」
さりげなく恐ろしいことを言ったような気がするが、気のせいか。
折本の雰囲気はいつになく脱力して柔らかかった。俺の言葉を全部聞くのなら、お前の言葉も聞かせてくれ。
「……女は連れ込むなよ。俺を抱け。あと……俺は嫌じゃなかったよ。お前に抱かれるのも、拒まなかったのは俺の意思だから」
ぱち、と驚いたように瞬きをする。意外そうな顔が心外だった。無理をされる前に釘を刺す。
「気にしてんだろ。酔って記憶なくしてること。あれ、俺も同罪だから。謝んなよ」
立ち上がって折本の隣に座る。折本は俺を見ると、煙草を咥えたまま俺の服をたくし上げて腹を覗き込んだ。
「やっぱ痩せたな」
「数日でそんな変わるもん?」
「真崎の場合は特に。だから沢田にお願いしたんだけど」
そう言って見せてきたメッセージ画面には、沢田から送られてきた俺の写真と『お持ち帰りしちゃうぞ☆』というキモいメッセージ。あいつ、一体どういうキャラなんだ。それよりも、その上に表示されている『真崎の様子見てきて』という折本のメッセージのほうが気になってしまう。
「過保護すぎん?」
「俺も反省してるので」
そっぽを向いて煙草をもみ消した折本の手を取る。そのままシャツの中に手を招き入れれば、折本の体が少し力んだ。そんな反応につい笑ってしまう。いい年して、可愛いじゃん。
「許してやんよ」
本心を聞けたのなら、それでいい。どこまででもお供してやるよ。
「真崎くんの処女でもいる?」
嫌味と取ったのか、折本は自虐的に笑うと俺の横っ腹をつねった。
「せいぜい締めとけ、処女」
「うっわ最低。はい萎えたー」
ケラケラと笑っていれば、釣られたように折本も笑った。指を絡めたまま、二人でぐるりと部屋を見回す。
「そろそろ荷造りしねぇとな」
「なんか懐かしいな。ここに引っ越した時思い出す」
「二年前か。お前、料理上手くなったよな」
「最初から愛がこもって美味かったろ」
「ダークマター量産してたくせによく言う」
指先に絡んだ指にきゅっと力が入る。顔を上げれば、直視するのも憚られるほど整った顔。目が合えば、珍しく戸惑ったように顔をしかめる。俺はそんな初心な反応に声を上げて笑った。
何笑ってんだよ、とデコピンを喰らった。結構痛かった。
「好きだよ、颯」
「俺は愛してる」
掠れがちな低い声が、揶揄うような響きで返す。
明日もきっと変わらない。もう泡を集めるような虚しい真似をしなくて済む。
聞き慣れた言葉はようやく永遠を手に入れた。
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