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つい東條くんと話すのが楽しくて遅くなってしまった。話していたのは俺だけだけど。もう折本は帰っているだろうか。今日は誰も連れこんでいなければいいな。
駅の前を通り過ぎれば、ロータリーで話し込む男女が目に付いた。へべれけの酔っぱらいが多い中で、その二人だけやけにすっきりとしていたからかもしれない。
背の高いスーツの男と、野暮ったいスーツの女。
若干酔いの回った目でその姿を見て、そのまますぅっと通り過ぎた。
やけにスタイルがいい男だと思ったら、折本じゃん。なんだ、今日はその人か? なんの話してるんだ? 別れ話でもしてるみたいな雰囲気じゃん。
……え、ひょっとして彼女? 彼女がいたのか? 折本に?
いや、あり得ない。そもそもあの女、折本が選ぶにしてはえらい地味じゃなかったか?
折本が連れてくる女、もといワンナイトのお相手達は皆そろって容姿がいい。相手に困らないのはいいことで。
ということは、もしや本命? はーん、意外とそういうタイプなのね。いい女選り取り見取りだったからちょーっと地味な子に「おもしれぇ女」とか言ってんの?
そんなん言ってる暇があるなら、俺に言えよ。俺だって冴えないし平凡だし、なんならニートだし、二十六になっても自立してないし。十分、おもしれぇ男だろ。
まぁ、別になんでもいいけど。折本と女は言うまでもなく強烈に結びついてる。イケメンとヤリチンの掛け算なんてどうやっても答えは女だろう。
でも折本は男も抱けるわけだから、ニアリーイコール男にもなるのか? じゃあ、俺もアリだな。流石、折本。器がでかいぜ。
「あれ、真崎?」
「う、おぉ……おかえり……」
「外出てたの?」
「まぁ」
ただでさえ足の長い男だから、酔っぱらいの歩調には一瞬で追いついてしまったようだった。駅から離れ街灯も少なくなってきたところで、後から声がかかる。振り返れば、折本は一人だった。あの女とは別れたらしい。本当に破局だとしたら、おおいに助かる。
「珍しいな」
「散歩だよ、散歩」
「散歩ねぇ。お前はもっと日の光を浴びろ。また病むぞ」
「だって日中暑いじゃん」
「じゃあ朝だな……どっか飲み行く?」
「飲んできたんじゃないの?」
隣を歩く折本を見上げれば涼しい顔をしていた。少し火照った俺と違って、明らかに素面だった。
どうしたんだよ。地味な女といい、こんなに帰りが遅いのに素面なんて。大抵は一杯引っかけているだろう。
「お、そこの焼き鳥屋入ろうぜ。ここ、美味いんだよ」
問答無用で、折本が目に入った居酒屋に入っていく。住宅街に紛れたそこは昔ながらの個人経営の居酒屋だった。座席に案内され、折本は慣れたように注文している。
すでに大分バーで飲んで酔いが回っている俺は机に肘をついて折本の顔を見上げていた。
「お兄さん、よく来るんです? お一人で」
「いや、お前連れてきたこともあると思うけど」
「そうだっけ」
「卵焼きが美味い美味い言ってた」
「あ、あー……なんか思い出してきたかも。ぼんじりも美味かった」
「そうそう、両方頼んだよ」
やったぁ。優しい。知ってたけど。
知ってるよ。お前は優しい。
頬杖をついてぼぉっと折本を眺める。煙草に火をつける伏し目が色っぽくて、煙を吐き出す様子を目で追った。相変わらずいい顔してんな。その視線が横に流れて、俺を捉える。
「なんか真崎……酔ってる?」
「まぁ? ちょっとは? 少し飲んできたし」
「だいぶ、じゃない? お前けっこう酒強いだろ。珍しいな、そんなになるまで飲んでんの」
「まだ舞える!」
「一杯にしとけ~」
本当、ケロっとしてるよな。欲情した顔して抱いてくるくせに。もし今、俺が折本のことを名前で読んだらどんな反応をするだろう。
もし俺が好きだよ、なんて言ったら? ノリで愛してる、なんて返してくるかもしれない。こいつはそういう奴だ。
「そういえば……」
ハローワークに行ってみようと思う、と言いかけて思いとどまった。俺が働き始めたとして、もしそうなったら俺と折本はもうルームシェアをする必要がなくなってしまうような気がした。
もとはと言えば、俺の一時の休養としてルームシェアが始まったのだ。当時、地獄のブラック企業勤めで死にかけていた俺に、仕事を辞めさせる条件として折本が提示してきたのがルームシェアだった。
仕事も家も失くして転がり込むことになった割には、すっかりニート生活を謳歌してしまっている。折本は俺に働けと急かすこともなく、相変わらず毎日のんびりしこしこと女を抱いて過ごしている。
思えばどうして折本は未だに俺と一緒に生活しているのだろう。女を連れ込むのなら俺などいないほうがいいに決まっている。俺だって前職を辞めて今では健康優良児と言ってもいい。お互いの目的など、もう当に果たされているように思う。
ふいに黙った俺に、折本が怪訝な顔を向けた。焼き鳥のいい匂いがしてくる。煙草の煙が俺たちの周りを漂った。
「言いかけて黙るなよ。何?」
「……いや、明日の朝飯、冷凍ご飯しかないなーと思って」
「あぁ、いいよ、別に」
運ばれてきたジョッキには並々とビールが注がれている。店内が暑かったせいで、つい一気に半分ほど飲んでしまった。折本は煙草を吸いながらちびちびと飲んでいる。酒に強くはないが、ちゃんと自分に合った飲み方は分かっているのだ。昨日のような酔い方をするのが珍しいだけで。
「今日は折本、飲んできたわけじゃなかったんだ」
「まぁね。普通にちょっと話し合い」
あの女と?
「仕事の?」
「あー、まぁ、うん」
歯切れが悪い。もう聞くのはやめよう。こんなんだったら、隣室から漏れてくる知らない美女の喘ぎ声を自室で聞いているほうがマシだ。
「つーか真崎。ペース早すぎ」
「う~ん……まだ舞える!」
「もう舞うな」
おかわりを頼もうと口を開けたら、ぼんじりを櫛ごと突っ込まれた。危うく串刺しにされるところだった。
折本は相変わらず余裕な顔をして、煙草をくゆらせながらゆっくりと酒を飲んでいる。ここ数年で、そんなセンチメンタルな色気が加速してきている。
俺はそんな折本をじぃっと見つめていた。やっぱりちょっと、酔っているのかもしれない。
「真崎。おい、お前、自分で歩け」
「……ん?」
なんか昨日もこんなことあったな。体が温い。折本に肩を担がれていた。ちょっと見上げれば、呆れきった顔をした折本の唇がほんのすぐそこにあった。なんだ、ちゅーできそう。ぼぉっとその唇を見つめていれば、折本がはぁ、と溜息を吐いた。
「飲みすぎ。どんだけ飲んでたんだよ」
「……はいはい、歩きますって。余裕、余裕」
折本を押しのけて前を歩く。ちょっとふらついた気もしたが、十分まっすぐ歩けていると思う。折本が隣に並んだ。俺の歩幅に合わせてくれているのが分かった。
「折本くんと違って、俺は下戸じゃないんでね。これくらいどうってことないっすわ」
「俺も別に下戸じゃねえけど」
「はい、ダウトー。じゃあお前、昨日どうやって帰ったか言ってもらえますぅ?」
「え、昨日……? あ、なんか沢田が送ったって言ってたな」
「ほら見ろぉ! ちゃんと礼言ったか!?」
「うるせぇぞ。いい時間なんだから、静かに歩きまちょーねー」
「うっざ!」
園児に話しかけるみたいに、にこやかな笑顔で言ったかと思えば、園児の散歩みたく手を握られる。もはや羞恥プレイまである。
家についた頃には、すっかり折本は酒も抜けたようで普通の顔をしてケラケラ笑っていた。対して俺はバーで普段は飲まないカクテルを飲んでしまったのが悪かったのか、帰った途端、ソファにダイブして動けなくなった。
「真崎~? 寝た? 俺、運ばねぇからな」
ひでぇ男。俺はお前のゲロ処理までしてやってんのに。というかちょっとまずいな。目を開けるのは怠かったが、慌ててパーカーの裾を握った。
うっかり腹が見えれば痕が見えてしまう。首元は寝転んでいるうちは大丈夫だ。
「……マジで寝た?」
このまま風呂にでも行ってくんねえかな。その隙に自室に戻るから。今の折本にじろじろ見られるのはちょっと怖い。
「ねぇ……まさき、」
折本の声が急に近くなった。頭上の光を遮られたのが目を瞑っていても分かる。
「寝てる……?」
いつもの俺を揶揄う余裕な声じゃない。掠れた静かなが頬にかかり、ついびくりと震えてしまいそうになった。寝てるふりを装って、俺は寝息まで立ててやった。酔っぱらいの寝息なんざ、演技が下手でも信用される。
「……まさき」
でも、それは失敗だったかもしれない。
「っ……!?」
顎を掴まれた、と思えば、唇に昨日ぶりの熱が落ちてきた。
思わず目を見開きそうになるが、必死に意識して体の力を抜く。唇を食み、舌が咥内に入ってくる。でもそれは昨日のように執拗に俺の中を舐め取るわけではなかった。
ちゅ、と小さなリップ音を立てて、束の間の甘い刺激が離れていく。ビールの苦みが若干口の中に残った。
慌ててわざとらしさまで感じる寝息を立てる。気づかれるだろうか。折本が俺の頭の横あたりに顔を沈めたのか、首筋に柔らかい髪があたる。
「――……はぁ」
聞いたことがないくらい重たい溜息を吐くと、折本が立ちあがるのが気配で分かった。ふわり、と風を感じて、体の上にブランケットがかけられる。
静かな足音が続いた後、リビングの扉が閉まる音が聞こえて、すぐにシャワーを浴びる音が聞こえてきた。
心臓がバクバクいっている。ようやく目を開けられた俺は、胸を抑えたまま固まった。
「…………あいつ、なんで酔ってないのにキスすんの?」
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