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「なあ、たまには映画とか行かねえ?」  放課後の溜まり場になっている水瀬(みなせ)家のリビング。  まずは宿題、というこの家のルールに従って教科書やノートを開き、そろそろ皆終わるかな、という時に依人(よりと)が言った。 「なんか観たいのあるの?依ちゃん」  陽菜(ひな)がそう訊くと、依人はローテーブルに上映スケジュールを開いたスマホを置いた。 「これ。このアクションのやつ」  依人が指差すスマホの画面を皆で覗き込む。  俺の右斜め前に置かれたスマホを、左隣に座っている碧が身を乗り出して見ている。俺の肩に手をかけて。 「あー。それCMよく見る。面白そうだよね」 「アクションはやっぱ映画館で観たいっすよね」 「行こ行こ。ついでにウインドショッピングとかしたい」 「じゃあ次の土曜とかでいい?」  皆がわーっと盛り上がる中、碧が俺の肩にかけた手で俺の身体を静かに揺らす。 「耀くん、僕、こっちが観たい」 「ん?」  碧は依人が観たいと言った映画の2つ下に表示されている邦画を指差した。 「これ、この前耀くん原作読んでたでしょ?僕もあの後借りて読んだんだけど、すごく面白かった。だから…」  R 12指定のサスペンス。今年中2になった碧は、今13歳だから大丈夫。  肩に手をかけたまま、至近距離で覗き込んでくる大きな瞳。  とくん、と胸が鳴った。 「そっか。碧もあれ読んだんだね」  そう応えながら、俺は脳裏に浮かぶもう1人の碧を思い出していた。  火曜日の昼休みと、金曜日の放課後。  図書室に碧がいる。  本好きの碧にぴったりな、図書委員の仕事。  図書室は3年の教室と同じ2階。俺のクラスからもすぐ行ける。  だけど、俺にはその図書室の前に関所が見える。    すぐ近くなのに、すごく遠い。  手ぶらでは、入れない。  だから俺は少し無理をしてでも、火曜と金曜の間に本を読み切っては図書室に通っていた。    図書室の戸を静かに開けて、最初にカウンターを見る。  今日は碧は返却のカウンターに座っていた。  借りていた本をカウンターに出すと、碧がちらりと俺を見上げた。  小さめの唇が「あ」と言うように少し開いて、そしてきゅっと閉じられた。  少し下唇を噛んで俯く。  その、本を受け取った碧の、扇のように綺麗に揃った長いまつ毛。  赤みの差した滑らかな白い頬。  学ランの襟が首の細さを際立たせている。  天使の輪の浮かぶ小さな頭を見下ろしながら、俺は勝手に速くなる鼓動を持て余していた。  返却は、ただ本を渡すだけ。会話は何もない。  貸出しなら返却期限を告げる声が聞ける。  それだけでも聞きたかった。  俺は学校で、碧に避けられている。  最初は、気のせいかと思った。  そもそも学年が違うと教室のフロアが違うから、同じ校内にいてもそんなには会わない。たまに廊下ですれ違う時、いつも碧は声をかけるには遠い端の方を、足早に視線を落として歩いていた。  中学に上がった途端、1歳の差が大きく開く。  上の学年とはタメ口をきいてはいけない、そういうルール。  でも俺たちは保育園からの幼馴染みだし、そんな誰が決めたのか分からないルール、どうでもいいと思っていた。  碧も、そうだったんだと思う。  碧が入学してすぐの頃、初めて学校で俺に話しかけてきた時、一緒にいた俺のクラスメイトの女子が余計なことを言った。  その一言で碧が萎縮したのが分かった。  だから、それが尾を引いている、というのは解るんだ。  でももう1年以上経つのに。  他のやつら、例えば依人とは「岡本センパーイ」とかって言いながら嘘くさい敬語で話しているのを時々見かけるのに。    なのに、俺のことだけは避ける。  それが、ものすごく口惜しくて。  口惜しいから、そのことについては触れないようにしている。  だから、図書室には気軽に入れない。  用がないと碧に近寄ることもできない。  何もないのに近付けば避けられるのは目に見えている。  でも会いたい。  放課後、家に行けば会えるのに。  でもそれまで待てない。    俺と口をきかない、ろくに目も合わさない。それでも、その時間そこに碧がいると分かっているのに行かない、という選択肢は俺にはなくて、ただ姿を見たくて、ほんの少しの接点がほしくて図書室に通っている。  馬鹿だなぁ、と思う。正直なところ。  でも仕方ない。  片想いとは、きっとそういうものだから。  
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