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愛しの旦那様
旦那様は悪女を追い払ってくれた。彼の言ったとおり、手紙のウワサが広まって彼女は街からいなくなった。家も没落したらしい。
悪女をやっつけてくれた旦那様はなんてかっこいいのかしら。でも、あたしはさみしい。
夫に尽くし、子を育てるのが女の生き方だと、教えられて嫁いだ。なのに、夫とはほとんど触れあえず、子は授からない。
あの手紙がきてから、旦那様はあたしにかまってくれない。きっとお仕事が忙しいのだからと、我慢して待つだけも限界かもしれない。なにかお役に立つことを始めて、旦那様に認めてもらったほうがいいかもしれないわね。
そんなことを考えて、屋敷内をうろついてみる。でも、あたしにできることはないかと見回っても、使用人によって手入れがいき届いていて、困りごとはなさそう。
部屋に戻ろうと思ったそのとき、威圧的な金属鎧の置物の裏に文書が一枚落ちていたのを発見した。
内容は勘定についてかしら。これを持っていけば旦那様は喜んで抱きしめてくれるかも、と妄想がふくらむ。けど、文書の文字を眺めていたら、なんだか不快な気分になってきた。
この汚らしいクセのある筆跡……忘れはしない。あの手紙と同じ。
なんで?
見てはいけないものを見た気がして、周りを見渡す。足音ひとつなく、廊下にも陽の当たる外庭にもだれもいない。ただ自分の脈打つ音が耳に届いてくる。
そのとき。少し先の右の戸がひらき、なかから男がはいずり出てきた。この屋敷に不相応な貧相な男が。
同時に、旦那様の声が聞こえた。
「ねぇ、できないってどういうこと? カネ返せないなら働くしかないでしょ」
男の目はあたしをとらえた。ぎょろりとしたその目は、助けを求めてくるようで、どうしたらいいかわからずあとずさる。と、金属鎧にぶつかった。
鎧は倒れ、派手な音を立てて崩れた。
部屋から旦那様が……鋸みたいな刃物を持ってにらんできた。イヤッ。あんな恐ろしい人が旦那様だなんて。
この場から早く逃げなきゃって思うのに、足が震えて動けない。
「ちょうどいい。他の仕事をキサマにやろう。あの女に子をつくれ」
え……? 旦那様の言葉に耳を疑った。
男がよろめき泣きぶつぶつ言いながら向かってくる。近づいてくる声は「逃げてくれ」とくり返している。
あたしの目からも涙があふれてきた。
恐怖? 違う、悲しい。すべて旦那様に捧げて、一生そいとげると誓ったのに。
「なんでっ。なんでなの?」
「ん? きみは仕返しの道具として役立ってくれたから、もういらないんだ。
勝手に他の男とでも遊んでくれればいいものを。真面目に貞操守ってくれちゃって、困るなあ」
世界が止まった、終わりだ。
終わるならあなたもいっしょに。生涯いっしょに。
手が鎧とともにあった長剣を拾う。足が前へと動きだす。
男はあたしに道をゆずった。視界にあるのは旦那様だけ。
まっすぐ、このまま。彼の胸へと。
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