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3.りんご色の頬は素敵な出会いを意味する
駅から徒歩10分ほど、素人目からしても高いセンスを感じる古着屋やセレクトショップが並ぶ通りに、私が目指していたファッションショップ『joues de pomme』は存在した。
私は結局、清水くんにチラシを返せなかった。上手くタイミングを掴めなかったというのもあるし、ほんの少しだけ、立海くんのシャツと似たデザインのワンピースを実際に見てみたいという気持ちがあったのだ。
というわけで私は今、清水くんのお姉さんが経営しているらしいお店の前に立っている。
「わ、可愛い…」
その外観とディスプレイに飾られた洋服のデザインから、西洋のおとぎ話のような純真さとクラシカルな印象を覚えた。
しばらく見惚れていたものの、ふとディスプレイの窓に映った自分の姿が目に飛び込んできた。
よれた灰色のパーカーに、中学生の頃から穿いている時代遅れな形をしたジーンズ。この店で取り扱っている服にとって、自分は分不相応だと痛感する。
「いいや、帰ろう…」
(そうだよ、ブス陰キャの私がこんな可愛らしいお店の中に入ったら店員さんも嫌だろうし)
踵を返そうとしたその時、お店の扉がカランカランと音を立てて開いた。
「お嬢さん待って!ちょっと見ていきませんか?」
「え…」
振り返ると、フリルが可愛らしい洋服を着こなした女性がいた。
くるりと外に巻かれた赤毛を揺らしながらメルヘンな建物から顔を覗かせる彼女は、まるでおとぎ話の天真爛漫なヒロインのようだった。
(わぁ、すっごく可愛い…)
絵本の中のような光景に胸を鷲掴みにされ、しばらく赤毛のお姉さんに見惚れてしまう。
「ごめんなさい。すっごく良い顔でディスプレイ見てくれてたから興味あるのかなって…あ、それウチのチラシ!」
「え、あ、えっその、すみません!」
私は思わず頭を下げる。とりあえず謝ってしまうのがコミュ障陰キャの性なのだ。
慌てふためく私を見たお姉さんがふふっと微笑むので、恥ずかしさで頬が熱くなる。変なヤツだと思われてしまっただろうか。
「なんで謝るんですか?お店に興味持ってもらえてるみたいですごく嬉しいんですよ」
「あ、はい…えっとすみません」
「また謝った!もう、ほんの少しでいいので見ていってください。お客さんなかなか来てくれないし、ね?」
「え!は、はぁ…」
お姉さんに手招きされ、私は恐る恐るお店の中に入る。他の人からしたらなんてことのない一歩かもしれないけれど、私にとっては大きな挑戦だった。
「わ…!素敵…」
外観やディスプレイも可愛くて心を奪われたが、中に入るともう夢のようだった。
全ての洋服が間隔を空けてハンガーに吊るされており、一着一着がきちんと見えるように配慮されている。この店に置かれている全ての洋服が主役級の輝きを持っていた。
「そんな風に言ってもらえて光栄です!ちなみにどんなお洋服をお探しですか?」
「え、あ、あの、えっと。チラシに載っていたワンピースにちょっと興味がありまして…青の……えっと…あのー、しましまの」
(しましまってなんだよ!)
緊張でストライプをど忘れしてしまい、しましまと言ってしまった自分が情けない。ストライプくらいは知っているのにと、また頬が赤みを帯びてきた。
「青のしましま…あ、こちらですね!」
すごく恥ずかしかったけれど、お姉さんは気にしていないようで安心した。
件のワンピースを着たマネキンの前まで誘導されると、コスメを開けた時と同じような高揚感を覚えた。画像で見ていたものが今目の前にあるのだ。なんとも言えぬ感動で胸がドキドキする。
「あの、すごくかわいいなって思います…」
言葉に出来たのはそれだけだったが、お姉さんはうんうんと力強く頷いてくれた。
「このワンピ可愛いですよね!ティアードになってるのでふんわりと広がる感じが最高に素敵なんです!」
「ティアード…」
(あ、また私の知らないワードだ…)
やはり場違いなのだ。この場所は私がいていい場所ではない。
ワクワクでいっぱいに膨らんだ気持ちがどんどんと萎れていくのを感じた。
「あの、私そういうのわからなくて…だからやっぱり…」
どう言えば失礼に当たらないだろうかと必死で言葉を探すが、適当なものが見つからない。
そうこうしているうちに、お姉さんが口を開いた。
「わかります!ファッション用語って横文字が多くてわかりにくいですよね。私も最初はよくわからなくて、いちいち検索してました」
でも、とお姉さんは続ける。
「理解していくとどんどん面白くなっていって。あーファッションに興味持ってよかったなって思います」
お姉さんがニカッと笑う。どこか既視感のあるその笑顔は眩しかった。
その笑顔につられ、私は思わず口走った。
「あの私、ファッションとか全然わからなくて……あの、もしご迷惑じゃなかったらなんですけど、色々教えていただくことはできますか…!?」
確かに自分で言ったはずだけれど、こんなに積極的な面が自分にもあったのかと驚いてしまう。
(…って、お姉さんのこと困らせたらだめじゃん!)
私は慌てて頭を下げた。
「す、すみません!変なこと言っちゃって…」
所在なさげに右往左往する私の両手だったが、ふいにお姉さんにガシッと掴まれる。何事かと顔を上げれば、お姉さんが目をキラキラとさせて私を見つめていた。
「いえ!ぜひ私になんでも聞いてください!全力で協力させていただきたいです!!」
——————ああ、この人は本気で喜んでるんだ。
おしゃれが好きな人はもれなく全員、私みたいな垢抜けない陰キャを見下していると思っていた。しかし、どうやらそれは偏見だったのかもしれない。なにより、目の前にいるこの人になら頼っても笑われない気がしてきた。
「じゃあ早速、このワンピース着てみちゃいましょう!」
「え、えええ!!!」
お姉さんによって、ワンピースと一緒に試着室へ押し込まれる。案外強引なところもあるらしい。
目を白黒とさせる私をよそに、試着室のカーテンがピシャリと閉められた。
「ごゆっくりどうぞ〜。着替え終わりましたらお声がけ下さいね!」
「はぁ…」
ボサボサで艶の無い黒髪に顔中に広がるニキビ、だらしない姿勢。
試着室の鏡に映っているのはブサイクで垢抜けない私。慎重に抱えているこのワンピースが似合うとは思えない。
——————しかし。
(ここまできたら立海くん概念のお洋服着こなしたい!)
私は緊張で手が震えるのを感じながらも、自身の服に手を掛けた。
次回に続く。
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