Baby,Don’t cry

＃２ 夢の国のタイル

　水曜日は、お家に家庭教師の先生が来る日でした。
　頭の良い時緒君には必要ありませんでしたが、最難関大に向けた補習講義を、お家の人がつけてくれたのです。
　地歴の先生は話が面白くなく、気が乗らない時緒君は、大好きなトルストイの小説を、気の済むまで振り返ってみようと放課後の教室でそれを開きました。

「と、き、お、くーん」
　数学の時に聞いた、はしゃいだひき蛙のような声が重なります。
　弱い水道水みたいな祝福をくれたお友達が、三辺をにこにこ顔で取り囲んでいました。

「ちょっと、付き合ってくれるう？」

　放課後の南校舎一階は、人が殆どいません。普段から使用頻度が少ない視聴覚室隣のトイレは、いつでも新品のようにぴかぴかなのに、どこか心細い空間でした。

「時緒君ちって、代議士の時緒××でしょ？　家、芸能人とか住んでるあの辺の、めちゃめちゃでかいやつ」
「たまにお迎え来るよね、ネクサスが」
「いいなあ。俺らとは、家も脳みそも次元が違うよ」
　お友達は時緒君を取り囲み、背をひんやりとした壁に押しつけ、お家に纏わるあれこれでしきりに誉めそやしました。
　元々お友達の話を聞く耳がなかった時緒君は、視線を床に落とし、潤うように磨かれたタイルにふと見入りました。

　青、碧(みどり)、黄、白。
　夢の国のような配色が、規則的な正方形の小人となり、時緒君の上履きの緑のラインと溶け合います。
　何故、公衆の排泄設備でこのような配色なのか。
　トイレの設計者の構想へ、静かに思いを巡らせている時緒君の周りで、お友達の話は膨らみます。

「あんな外車何台も並べた家に住んでんだから、時緒君が好きに使えるお金も、当然潤ってるよね」
「俺ら庶民が貢献して、そのお陰であの御殿が建ってる訳でしょ？」
「その恩恵、少しは還元していいと思わない？」
　タイルを見つめながらも、お友達の話を一応脳に伝達していた時緒君は、話の方向性を察し、漸く目線をお友達に戻しました。

「とりあえず、一人一万でいいから」

　夢の国のタイルの上。
　そんな話になっていました。