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#5 ひとりじゃない影
白光の輪郭を背に、きらきらと輝いていたのは、コンパスでした。
その先端の、尖りたるや。何という鋭利の極み。
時緒君はそれを、まるで聖なる武器のように、何の躊躇いもなく、お友達の『叫び』みたいな顔ごと切り裂くよう、真っ逆さまに振り降ろしました。
蛙が、腹から踏み潰されたような叫びが響きました。
時緒君は、お友達の汚い心臓に穴を開けてやりたかったのですが、時緒君の針は、顔を塞いだお友達の右手、親指の付け根のふっくらした丘を突き通し、
離したら、ぴゅーうっと紅くて細い小さな噴水が弧を描きました。
その紅色が、綺麗じゃなかったのと、噴水が顔に飛び散り眼にも入りそうで、非常に不快だったので、もっと沢山お友達に穴を開けてやりたかったのを、興冷めして、途中で放棄しました。
お友達の言う通り、時緒君のお父さん、お祖父様は代議士で、学校の先生でもないのに皆から先生と呼ばれる偉い人です。
今まで同様、時緒君が起こした『粗相』は、蔓のようにお友達のお家の根幹に手を伸ばし、難なく引きちぎることは可能で、全部その掌で揉み消してくれました。
穴が開いたお友達は、別の土地へ、その場にいたお友達も、やがては学校に来なくなってしまいました。
時緒君が、高校一年生の時のお話です。
二年生になり、今日も時緒君はクラスで一番を取ります。
時緒君の頭脳は冴え、仮面のような貌は研ぎ澄まされましたが、コンパスが廻る度に、氷塊のようにとても近付けない冷気と、これまでの噂が時緒君を囲み、時緒君に話したり、近づくお友達は誰もいませんでした。
ひとりぼっちの時緒君は、誰もいない放課後の教室に一人佇みました。
独りになることは、時緒君が望んだことでした。
だけど、時々、騒ぐのです。
心が、ざわざわざ騒ぎ出して堪らないのです。
そうした時、時緒君の奥にも変化が起こりました。
教室の中には時緒君ひとり。
いいえ違います。何人かいます。
時緒君の中には、何人かいました。
いつしか時緒君は、心の中のざわざわに耐え切れなくなった時、
心の中に、もう一人時緒君を殖やして、そのざわざわを、抑え込もうとしたのです。
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