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「オレにさからうのか?」
鋭く睨むと、草司は口を噤んで観念したように小さな声で「……わん」と答えた。その犬のように従順な態度に、慶介の足取りは鼻歌を滲ませたように少しだけ弾んだ。
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およそ健全な友人関係とは言い難い、二人の関係に変化が訪れたのは、小学二年に上がった頃だった。
「けーすけ、きょうはおれいっしょにかえれない」
門横の葉桜になったばかりの桜の木の下で、草司が言った。頭上で葉桜が風に揺れる音と胸のざわつきが重なった。
「……は? なんで」
低い声で訊き返すと、草司はもじもじしながら答えた。
「あ、あの、りょうたくんの家によってほんをかりるんだ」
嬉しそうにはにかむ草司に胸の端がぎりぎりとよじれる。自分以外の名前を呼ぶことのなかった口から出て来た名前が憎らしくさえあった。
「そうしー! またせてごめんー!」
慶介が口を開くのを遮るようにして、靴箱から少年が小走りでこちらに向かってきた。知らない顔だった。
しかし草司は「ぜんぜんまってないよ。だいじょうぶ」と親しげな笑みを少年に向けて答えた。
その笑顔に胸のざわめきが一層闇の色を濃くした。自分が関知しないところで、草司の人間関係が広がっていることに苛立ちと焦燥感が胸の底をじりじりと焼く。
すると、少年と話していた草司がこちらを振り向いた。
「えっと……、よかったら、けーすけもいっしょにくる?」
おずおずとした誘いに、気遣われているのだと気づいて頬がカッと熱くなった。
「いかねぇよ!」
吐き捨てるように言うと、慶介は踵を返してズンズンと歩き始めた。
歩くたびに苛立ちが腹の底からわきあがった。それが単なる怒りならまだよかった。しかしそこには拭いようのない涙に似た湿り気があり、それが一層慶介を惨めな気持ちにさせた。
しばらく歩いて後ろを振り返る。当然ながら草司の姿はない。いつも背後にしがみついてくるような健気な気配はどこにもない。
慶介は唇をぎゅっと噛んで、歩き始めた。
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「おい、これを持て」
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