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未だ覚醒しきれない頭でやけに遠い端まで這いずり、立ち上がろうとしたところを聖女様、と肩を控えめに押され、立ち上がれなかった。
肩を押された?俺しか住んでいない家で?まさかまたホテルか?そういえばこんなに広いベッドはうちには無い。
それに聖女様とはどんな悪ふざけだろうか。記憶がないとはいえ久々に変な男を引っ掛けたかもしれない。軽く浮かせた腰が、ぼふん、と軽い音を共にシーツに埋もれる。それよりも今日の撮影は絶対に遅刻出来ないものだったはずだ。
「ちょ、分かったから離れてくれよ。撮影に遅刻するんだって…!今回ネコは俺だけなんだ、よ…。」
ベッドに嫌々座らされ顔を見上げる俺を男は心配そうに見下ろしていたかと思うと、また片膝をつき、目線を合わせる様にしている。
顔には見覚えがあり、あの手足の長いすらりとした出で立ちの男の気がする。
「あれ、ここ…。」
「思い出されましたか?ここは客間の一室でございます。あまりに広すぎるお部屋ではご不安かと思いまして、少々手狭ですがこちらへとお運びした次第です。」
「っ…!なんだよ!なんで夢じゃないんだ…!」
「おや、おやめください!そのようにされては傷つけてしまいます!」
徐々に覚醒した頭に、目覚める前の悪夢が蘇る。
いきなり目が覚めたら見知らぬ場所で、ここは異世界、その証拠に人の手が触れなくてもカップは浮く。窓の外の空に広がる厄災を退けるために呼ばれた聖女です。この国の為にその力を使ってくれ、と言われたあの馬鹿げていて胸くその悪い悪夢だ。
いても立っても居られなくて、夢じゃなかった事に落胆して、頭を掻きむしった。男が先程とは打って変わって強い力で俺の両手を抑え込む。
なおも暴れると更にギリギリと締め上げられあまりの遠慮の無さに抑えられた手首が悲鳴をあげて痛みが突き刺さる。
あんなに髪も手も顔も体も、磨き上げて、俺なりに頑張っていたのにそれさえも水の泡だ。
だってここは、異世界なのだから。
視界が揺れ、瞳が濡れる。溢れた水がこぼれ落ち、やけに肌触りのよい服へとしみをつくっていく。
「も、申し訳ありません!痛めてしまいましたか?」
「ふ、ぅう…。なんで、こんな…う、」
「聖女様…。」
「せ、聖女様じゃ、ない!俺、俺は紬優矢!そんな名前じゃない…!馬鹿にするのも大概にしろ!」
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