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「──という風に」
夕日が瞼裏まで突き刺さり、少女は瞳をゆっくりと開けた。
眩しさに目を眇めながら、
「この釦から貴方の記憶を読みました。この記憶を持つ貴方は、二代目怪盗『隠者』です。そう確信した私は、下駄箱に手紙を入れて貴方を呼び出し、今現在に至る訳です」
掻い摘んで説明した後、一旦言葉を切った。少し遠くから部活の掛け声が聞こえる。それを背後に続けた。
「如何ですか?礼和学園総合科一年E組、言吹幸成君」
「……」
ニッコリと微笑みを貼り付ける少女に対し、少年──言吹幸成は無言だった。
俯きながら大きく溜息をついた後、
「──バレちゃあ仕方ねえな。礼和学園異能活動科、今は拡超能力科だっけ?二年の天能寺紫先輩。異能事務所、スタークラウド所属の三姉妹探偵って呼んだ方がいいか」
顔を上げると少年──幸成は、雰囲気と口調を一変させた。目は炯々と輝き、唇は皮肉げに歪んでいる。直後、陽炎のように、右手の辺りが振れた。次の瞬間、その手に刀がすっぽり収まる。
美しい刀だった。摩利支天の目貫に、白鮫に黒正絹の柄糸。梵字を彫り込んだ瀟洒な鍔が付いている。湾れ刃の刃文が夕日を反射し、煌めき──
「!」
反射に天能寺が目を眇めた瞬間、幸成が動いた。峰を返しながら、間合いを一瞬で消し去る。流れる動作で、袈裟に斬り降ろした。
視界を奪われ、咄嗟に天能寺は反応できない──
(その記憶、貰った!)
──はずだった。迫る刃を前に、天能寺はすっと動いた。紙一重で躱す。目を閉じたまま。まるで予め刀の軌道が分かっていたような挙動だ。
幸成は追撃せず距離を取った。警戒心も露わに、天能寺を睨む。
「──『まるで予め刀の軌道が分かっていたような挙動』と思ってますね」
天能寺はまるで心情を読んだように、喉の奥で笑う。
(こいつ、心を読んでる!?)
「何故分かったって顔をしてますよ?」
「単なる観察ですよ。私の職業を忘れたのですか?」
天能寺はしたり顔で続ける。
「種明かしすると、左目は右手で触れた物の過去を、右目は左手で触れた物の未来を、そして両目は現在を見る、それが私の拡超能力、過未の眼です」
滔々と語る天能寺に、言吹は一瞬腑に落ちた顔をした。なるほど、確かにいわゆる感応能力者なら、その過去視、未来視能力で怪盗を前に余裕の態度も納得だ。だが、直ぐ様、猜疑心と警戒心が、表情を彩る。
無理もない。拡超能力はおいそれと明かすものではない。まして戦闘中だ。それも自分から明かすなんて──
「愚の骨頂って思ってます?まあ、そう警戒しないで話を聞いて下さい」
手の平を向け、手ぶら──攻撃の意志がないことを示しながら、
「まず第一に言吹君は勘違いしています。私は……」
ピンと指を立てながら、言葉尻を窄めて勿体ぶった後、こう告げた。
「貴方に仕事の依頼をしに来たんです。二代目怪盗『隠者』さん」
「は?」
幸成は一瞬何を言われたのか分からず、唖然とした。
(仕事の依頼?怪盗に依頼する奴がどこにいる!)
しかし直ぐに我に返ると、内心突っ込みを入れた。勿論、声には出さない。
だがその反応は予想済みだったのだろう。苦笑を浮かべると、
「とりあえず聞くだけでもいいので話を聞いて下さい」
と前置きしてから告げた。
「──事の起こりは去年の夏から今年の春にかけて発生した東京第零番特区連続不審死事件です。被害者は眠るように、死んでいたことから病死として処理されていましたが、ある共通点がありました。『死神』と名乗る人物から殺害予告状が送られていること、もう一つ、亡くなる前に、自分が死ぬ夢を見たと周りの人に話していることです。警察は、病死と判断した手前、捜査に積極的でなく、私に依頼が来たという訳です」
天能寺は、一息に喋ると、少し間を置いてから続ける。
「そして捜査に乗り出したのを見計らったように、私にも殺害予告状が届きました。そう、私は命を狙われています。命専門の怪盗である殺人紳士『死神』から能力を盗んで下さい。能力専門怪盗の貴方が。これが私の依頼です」
(なるほど。『死神』か)
幸成は腑に落ちた。彼は大アルカナの『隠者』を冠する拡超能力者だ。同じ大アルカナの『死神』は集めるべきターゲットの一つ。
幸成の顔色を窺いつつ、天能寺は言葉を継ぎ足す。
「被害者の証言と状況証拠から『死神』は殺害予告状を送りつけることで、予知夢を見せ、予知夢を正夢にする能力と私は推察しています。殺害予告状が送られて来た以上、一刻の猶予もありません。これを無効化するには拡超能力を盗み、無力化するか、或いは拡超能力者を殺すしかない」
(確かに俺の《切盗魔の取得時効》はなら──)
幸成の切盗魔の取得時効は傷つけた物を傷物として、一定期間占有した時、その物の所有権を取得することができる能力だ。所有権には能力も含まれる。
「受けて頂けますか?」
天王寺はやや緊張に滲ませ、尋ねた。
(この先輩は何者なんだ?)
幸成は眉根を寄せて考え込む。
そもそも偶然、釦を拾って幸成の正体を突き止めるなんてあり得ない。いくら事情があるにせよ、探偵が怪盗と組むなんてあり得ない。
だが──
「受けるさ」
幸成は渋々答えを返した。
正体を握られている以上、元より選択肢などない。
元々この学校に編入したのも、ある筋から大アルカナの情報があったからだ。其れが『死神』にせよ、他の大アルカナにせよ、どのみちやり合わなければならない。ある意味、渡りに船とも言える。天能寺と組む利点も多い。
「ありがとうございます」
天能寺は微笑みを返した。直ぐ様、引っ込めると、意を決して、言葉を発した。
「──では早速明日から『恋人』役お願いしますね」
「は?『恋人』役?」
天能寺の突拍子もない言葉に幸成は目を白黒させる。
「良かったですね。最初告白と勘違いした通り、『恋人』が出来て」
「別にしてねえから!ってなんで『恋人』役なんてしなきゃなんねえんだよ」
天能寺のからかうような笑みに幸成は思わず言い返す。噛みつきそうな勢いだ。
「一緒にいる口実が必要でしょ?言吹君と私は接点ありませんし。私と四六時中一緒にいれば、仮に『死神』が直接的な手段を取った場合でも対応できますよ」
諭すように、天能寺の言葉が真剣味を帯びた。天能寺としては命が掛かっているのだ。無理もない。
「俺は能力を盗むだけだ。勝手にやらせてもらうさ」
「成る程。私の能力の助けはいらないと」
「……分かったよ。やりゃあいいんだろ」
一瞬、逡巡した後、幸成は渋々引き下がる。
「では明日よろしくお願いします」
「はいはい分かりましたよ」
不貞腐れ、返事がおざなりになったにも関わらず、天能寺は表情を綻ばせた。
「もういいだろ?」
「そろそろ完全下校時刻ですもんね。ではさようなら、また明日」
「ああ」と気のない返事をすると、幸成は踵を返した。そのまま出口へ立ち去る。
「……ふむ」
扉が締まり、誰もいなくなった屋上で、天能寺はそっと目を閉じた。しばらく沈思黙考した後、スマホの通話アプリを押す。
「もしもし、紫だ。うん、予知通り、撒いた情報に食い付いて来た。依頼も成功」
天能寺は、通話相手に話しかけた。親しい間柄なのか、普段と違い、砕けた口調だ。
「──」
「勿論。私達の本当の能力には気付いてないと思う」
「──」
「うん、『恋人』役にも応じた」
「──」
「うーん、どうだろう。これからの親密度次第だけど……」
「──」
「無理なんかしてない、私達、『運命』共同体でしょ?」
「──」
「分かった。そろそろ切るね」
天能寺は通話を終えると、口調を戻して囁く。
「期待してますよ、怪盗さん」
と独り言ちた後、幸成を追いかけるように、屋上から姿を消したのだった。
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