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「‥懿、か?」
松柏の祠。
松柏。
つまり常緑樹のひとつ、扁柏の根本に空いた牟婁に簡素に組まれた木と石積みの祠にピタッと収まった髭一つない大剣を大事そうに抱えた老人がクッと頭をもたげ、背を大きく反らせながら片足で器用に楚舞をまわり踊る小女の名を述べた。
「みて」
「見てるとも」
「違うの、みて」
「‥‥ふん。今宵は薄絹をはだけさせたか」
月の灯を真正面から浴びた懿が、両手両足をやおら開いて自らの透けた身体を老人に魅せつける。
要するに懿は、素性も定かではない見窄らしい老人の元を毎夜訪れては、彼を小女の身なれど“女”として魅了しようとしているのだ。
「懿よ。無駄なことだ。儂は老いさらばえ女子への興味はとうに失せた。いや、生まれてこの方、そんな欲めいたものは元から持ち合わせてはいない男なのだ」
夕暮れ時に奇特な村人に恵んで貰っているのだろう、祠の据物である土器に小盛りされた粟飯を指で纏めてひとつまみ、それを静かに口に運んで咀嚼しながら陰鬱な表情で云う。
「だから堕とすの♫」
懿は、羞恥さからくる紅潮した全身を魅せつけ、口元を可愛らしく歪めて宣うた。
あんたの様な草臥れた爺さんをまた春芽吹かせれるのなら、此の世の漢ども皆あたしに恋焦がれ靡くでしょ?
特に色を好み欲深い英雄ならね♫
「だから、あなたはあたしの価値を見定める試金石。そう決めたの♪」
「なんと身勝手な」
儂が左様な身分に堕ちる事、承知すると想うてか。
「承知も何もあなた。毎日ただ飯喰ってるだけでしょ?」
「むっ」
寝床としている祠に毎夕、食事を甲斐甲斐しく用意するようにと村人に命じていたのが“懿”である事実を知らされた。
老人は懿に嵌められていたことになる。
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