愚鈍の民

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愚鈍の民

 翌日。  昨夜、寝屋で存分に可愛がられた若い妾の一人が与えられた豪勢な絹衣を纏い、剛力自慢な使用人を幾人も使い盛んに指図してる光景に出会(でくわ)した。  どうやら自分達が囲われたことで用無しとなった前妾どもを力任せに追い出しに掛かっているらしく、手切れ金を渡して身の回りの荷物を荒々しく取りまとめさせ、父の名を幾度も口に出しては、とっとと館をあとにするよう(はげ)しく急き立ててる様子だ。  すっかり女主人を気取る小女の足取りは、ちょっとだけぎこちなくガニ股だ。  乙女だった身に、父は容赦なかったのだろう。  そんな小女が時たま足を止めるとサッと後ろを向き、股に手を入れ何かをすばやく詰め直す素振りを見せる。  どうも、父から解き放たれた種を一滴も零すまいと衣布(きぬきれ)を詰めてるらしい。  これまで何度見たかすらも忘れた、あまりに見慣れた景色だった。 「憐れな、父様(とうさま)に子種なぞないのに‥‥」  反吐(へど)がでる。  なんて流石に口にも出さないし吐き出しもしないが、どうにもこうにも、彼女に撒かれた欲望の束の、この富貴な家の主の子を生み、この家で栄華を収めて好きにしたいという邪念みの強すぎる気味悪さをひしひしと感じてしまった心持ちを、どこにどうやって発散させればいいのかがわからない。  ‥‥父には種はない。  あたしが産まれたあと、過剰な女狂いに悲嘆し病んだ亡き母によって玉をにぎり潰されたのだ。  これを報せれば、奴はどんな絶望を味わうのだろうか。  そうすれば彼女の無気味(ぶきみ)な両の手で、男の精でヌメりきったその(てのひら)で心臓をねっとり撫でさすられたような(おぞ)ましい感覚から逃れるやもしれない。  そんな黒く(よど)んだ気分の中、ふと彼女が、新しい妾が一人しかいないことに気付いた。  はて、もうひとりの女はどこに行ったのか?  イキり込んでいる妾がいる中、同じ様な有り様で暴風を吹かせてるはずの女を探す。  けれど、見渡せる範囲にもうひとりはいない。  ‥なぜだろう。  と懿は不思議に思い、この場をさらりと立去り、炊事場近くの井戸で洗い物にたち働く醜女(しこめ)の下女に、それとなく事情を聴いてみた。  ああ、“アレ”なら旦那様と朝早くから連れ立ってお出かけでし。ですんでねぇ、‥‥もう片割れはほれ、旦那様から命じられた汚れ仕事をやらされている次第でねぇ。  夜も盛んすぎる父は、朝からも人一倍に元気で、我が家が管理する田畑や市場や工房の様子を見回るため、また、連れた妾の御披露目も兼ね、美々しく着飾らせて馬車に人形みたいに載せ出掛けて行ったという。  成る程、ひとり取り残された妾の片割れは、遺されたが(ゆえ)に負けまいと盛大に着飾り、周りにも前妾達にも無用にイキっているのか。  置かれた立場のみすぼらしさや、前妾達を無理繰りにでも立ち退かせる嫌な役目、そこにいずれは自分自身も同じ目に合うのではないか?という抑え難い恐怖も入り混じり、無用に威張り暴風になり、しかし一縷の望みを胎内に期待するさまを周りに気付かれぬよう、だがそれを懿は見て勘違いにも気味悪がっていたのだ。  更にもう一人の方割れも、翌日には似たような立場に置かれた。  前妾たちは既に去ってはいたものの、似たように無用に着飾り無用に周りに威張り、時たま股のつめものを中に押し込んでみたりしつつ哀しい顔を覗かせる。  それは朝方に華麗に着飾れせられ、馬車の父の隣に載せられて満面の笑顔で出ていったもう一人への憎しみから出た態度なのだろうと推察した。  ‥‥なんて愚鈍な()たちなんだろう。  以來、懿は、すっかり彼女たちの存在を気にもとめなくなった。          
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