二小節目

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二小節目

次の日 ピアノの練習をさっさと終わらせた私は、時間を見た。3時。防音室の扉を勢いよく開けるといそいで靴を履いた。そして玄関から飛び出す。 ママの「どこへいくの!」という声を無視しながら通り道を走った。 今日、あの子がいますように…。 私はそう願いながら走った。海の近くまで来ると私は疲れ切って足を休める。すると聞こえてきた。濁ったあの音が。 あの子がいるんだ。私は休めたはずの足を無理やり動かし、海へ再び走った。 音のする方へ足を動かす。すると、あの男の子がトランペットを吹いていた。相変わらず少し下がった譜面台にチューナーをつけている。 「おーーーーい!」 かなりの声で叫ぶと、男の子にも聞こえたようだ。男の子が後ろを振り返ったのが少し遠くからでもわかった。 私は男の子の前へ回り込むと、「久しぶり」と笑った。 「…久しぶり…?!」 男の子は、驚きを隠せないようだ。マッピを口から離すのを忘れている。 私は、チューナーのメトロノームを止めるともう一度ねじ込むように言った。 「久しぶり。」 男の子は気づいたようにマウスピースから口を離すと、へなっと笑う。 「ほんとに来たんだね。」 私は男の子に手を見せると手話で久しぶりとした。だが男の子は困った様子だ。 「ごめん。僕手話できないんだ。」 私が驚いた顔を見せると男の子は、少し笑ったが心の中は笑ってなさそうだ。 「耳が聞こえない人が手話できるとは限らないよ。僕の場合は普通に喋れるし、聞き取りづらいこともあるけど聞こえるし。」 私は、調べただけの手話をやめると、男の子の話に耳を傾ける。 「僕は補聴器をつけてれば君の声は聞こえるし、話せるから手話で伝える必要もないんだ。」 補聴器をつけているというのは昨日聞いた。だが、手話ができないというのは初耳だ。 「だから、楽器だって吹ける。多少のズレはわからないからチューナーで合わせないといけないけどね。でも、話すときに声の大きさが大きすぎてしまったり、逆に小さすぎてしまったりするんだよね…。」 男の子は一気にそこまで話すと、急に声を潜めた。 「僕の声大きすぎだったかな?」 「そんなことないよ!言われなきゃ耳が悪いだなんてわからなかったし」 私は、慌てて答えると話を逸らす。少し調べただけの手話を披露したのが恥ずかしかった。 「ところでさ、久しぶり!?って反応したのなんで?迷惑だった?」 私は思ったことを直球に投げる。 「そんなことないよ!」 男の子はかなり大きな声で答えた。周りから変な目で見られる。もしかしたらさっき話していたように、大きさの制御ができてないのかそれとも、すごく否定したかったからなのか。大きくなりすぎたことに気づいた様子で男の子は、声をさっきよりも潜めた。 「そんなことない。むしろ僕が迷惑だったから。ほんとにまた来てくれるだなんて思ってなくて…。」 私は男の子がネガティブだったことを昨日の行動から思い出した。 今度は私が返す番だ。 「そんなことないよ!」 地声がでかいからか、叫ぶとかなりの音量になる。これなら必ずこの子にも聴こえていることだろう。 「私は音楽家族に生まれたのに一切楽器も何もできないの!だからトランペットを吹いている君と話してみたいの!」 男の子はふっと笑う。美形がそんなふうに笑うと映画のワンシーンのようだ。 「同じようなこと昨日聞いた。」 私は少し恥ずかしくなると、同じように笑ってしまう。どうしようもないときって笑っちゃうよね。 「ふふっ。そうだったっけ…?」 すると男の子も釣られて笑い始めた。 「ははっ。」 私達は、10分間ぐらい笑い続けていられる。 男の子は急に笑いを止めた。 「どうしたの?」 顔が青ざめている。 「帰らなきゃ。」 チューナーの電源を切ると、譜面台をテキパキと片付ける。そして私に軽く手をふり振り返ろうともせず帰っていった。 「私なんか変なことしたかな……。」 砂浜にぽつんと残された私は、知らぬ間につぶやいた。
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