初夏のあわいに消える声

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 三十分くらい揺られたままでいたのち、ゆずは紫色の降りますボタンを押した。ポーンと高い音が車内に鳴り響く。ここで降りるのは、いつもゆずだけだ。ゆずはもう一度パスケースをかざすと、まるで世界の隙間に吸い込まれるように、誰もいない停車場に降りたった。  降りた先の小道に、小さな昔ながらの花屋があって、いつもそこに寄ることに決めている。  普段花を買う習慣のないゆずは、自動ドア越しの店内に足を踏み入れるとき、たくさんの花のみずみずしいにおいに圧倒されてしまう。黒いシャツに洗いざらしたボーダーのエプロンを巻いた女の人は、五十代くらいだろうか。いつもこの時期に必ずやってくるゆずを覚えてくれていて、目が合うと自然に笑いかけてくれる。  女の人は何も質問しないけれど、一年に一度訪れる事情を察しているのだろう。ゆずを見るとほほ笑みながら、入荷したばかりの花を教えてくれる。今日は、チューリップとラナンキュラス。点描のようなカスミソウを織り交ぜて、華やかで優しい花束ができあがった。  チューリップは淡いピンク色で、ラナンキュラスは紫と白と黄色。女の人はよほど花が好きみたいで、レジで手渡す前、いつも花言葉をゆずに教えてくれる。ピンク色のチューリップは、誠実な愛。ラナンキュラスは、紫が幸福、白が純潔、黄色が心づかい。そんな意味に守られた花束を見つめていると、彼に贈りたい気持ちがはっきりするようで、その言葉も一緒に届けばいいなと思う。切り取られたばかりの花は、不思議な生命力に満ちあふれていて、そのたたずまいのかけらでも、自分のなかにあればいいのにと思う。  仕事が休みの平日の火曜日に、ひとりでふらふら歩くのが、ゆずは嫌いじゃない。  ゆずは市内にある図書館の司書をしていて、職場には男性がほとんどいないから、異性との出会いはまったくないに等しい。大学を卒業して五年、今年で二十七歳になるゆずは、三十になっても四十になっても、ひとりきりでいる想像しかできない。このままずっとひとりなのかもな、と考えると、胸の底がすうすうするような寄る辺なさに不意におそわれるけど、それは今のところ、そんなに悪くないとても自由な気持ち。三十を超えたら変わってくるのかもしれない。  職場の先輩で、三十代半ばの女の人は婚活に疲れていて、彼女曰く、二十代と三十代じゃ男の人の反応が全然違うらしい。だからゆずちゃんも、結婚する気があるならほんとに早めに行動した方がいいよ、なんてアドバイスされるものの、あまりに実際の自分とかけ離れすぎていて、そんな焦燥は微塵もわいてこない。  いつかお腹がすくかもしれないから、空腹じゃなくても食べておきなさい、と言われるような気持ち。いざ何か食べたいと思っても、もう何も残されていないのかもしれない。そのときは困るだろうな、と予測するものの、今はまだ目の前にたゆたうかなしみに浸るだけがすべてで、世界の誰とも繋がりたくなかった。
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