初夏のあわいに消える声

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 教会はいつも開放されていて、細工がほどこされた象牙色の扉を押し開けると、昼の日影にまたたくステンドグラスが見えた。羽を広げた天使が空へ昇っていく様子が描かれていて、色とりどりのガラスを抜けた先に、青や赤や黄の陽だまりが、優しい色合いで床に映っている。一度も音色を聴いたことがないパイプオルガンは、さすがの重厚さで控えていて、たとえばミサが開かれる日は、荘厳なメロディを奏でているんだろうな、とゆずは想像する。  小さな子供の頃、結婚するときは手作りのブーケを持ってバージンロードを歩きたいと思っていたゆずは、ここに来ると、見えない彼と永遠の愛を誓いに来たような、そんな気持ちになって苦しくなる。花束をいつも持っているからだろうか。綺麗な願いが凝縮された花束は、ゆずにそんなイメージを抱かせて、まるで叶わない夢想のなかにしかいられない事実を確かめに来ているようだとさえ思う。  結婚式のブーケそのものに思える花束は、どこへも続かない約束を静かに秘めたまま、彼が眠る場所へいつも手向けられる。お墓参りは、彼をずっと忘れないでいる儀式のようにも思えて、かなしくてさみしくて目の前が暗くなる。  ごめんね、と声が聴こえた気がして、ゆずは首を振る。謝らないで、と思う。  彼がひとつだけ、ゆずに申し訳ないと思う出来事があるとしたら、不治の病を隠していたことだろう。彼は大学に在籍する間、自らが抱えている心臓の病のことを、まったく誰にも話していなかった。同じサークルに所属していたゆずは、どこか影のある彼をあっという間に好きになってしまって、半ば強引に自分の気持ちを伝えて、付き合うようになったのが一回生の春。  スカッシュサークル、という、どこにでもありそうな浮ついた名目に集まった学生たちは、みんな恋人の存在を求めていて、ゆずもそんな内のひとりだった。付き合うなら絶対に彼がいい、とゆずは決めていて、その思いの丈を余すところなく彼に詰め寄った。  好意を向けるたび、彼は弱々しい笑みを口元に浮かべるだけで、その表情の穏やかさが、泣きたいくらいゆずは好きだった。とどめておかなければ消えてしまいそうな。そんな危うい儚さが内包されていて、まさかそれが彼の身に巣食う病のためとは思いもしなかった。
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