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二
船上オークションは深夜二十四時から行われる。実は船客全員がオークション参加者とは限らない。一般客と共に富豪の家族や友人なども招待され、表向きはクルージングを楽しむ船旅である。しかし、実際にオークションルームに入れる人間は限られている。主催者からの招待状がIDカードとなり、一般の客が入室できないように厳重に管理されている。船は巨大なカジノでもある。こちらは誰でも遊ぶことができる。バンド演奏やショーなども行われ、華やかな雰囲気ではあるが、その裏で、カジノの不正には厳しいと聞く。噂では東シナ海に捨てられるとも、船底に牢があり監禁されるとも言われている。世界中の富豪が四年に一度、クルージングをしながらカジノで金を湯水のように遣い、裏社会に通じたものは闇オークションで名画を手に入れる。以前から贋作が出回っているという噂はあった。けれども、それを承知で富豪たちにとっては遊びであり、本物を見る目を持つと自負する者たちの野心を掻き立てた。
この豪華客船は、中国上海と香港とをゆっくり往復する。途中、香港では数日間停泊する。そこで降りても構わないし、新たに乗船する者もいる。金を失い叩き出される者、金を得て勝負から身を引く者、更なる金を得ようと挑む者、様々である。三週間の船旅。上海から香港までの航路は一切明かされない。一体どの辺りを航行しているのかすらわからなかった。
船の名は『グローリーチャイナ号』中国人ゲスト向けの豪華客船で乗客定員が三千人、乗組員だけでも千人はいる。全長三百メートル、全幅三十五メートル、バミューダ船籍。階層は十二階建て。最深部のエンジンルームを除き、甲板より上部が客室とレストラン、エンターテイメントスペース。下部がイベントルームと客室となっている。レストランは各国の長有名店がひしめき、スパや劇場、ダンスホールもある。しかしメインはやはりカジノで、それだけでニフロアを占めていた。オークションルームはB四階。窓の無い部屋ではあるが黄金の絨毯が敷かれ、スタジアムのようなすり鉢状の観客席がある。中央にハンマープライスを持った男が立ち、出品作品は客席のモニターからも見ることができる。バイヤーは入札金額を決め、そのモニター画面に直接金額を入力することでビットする。競った場合は追加の金額を入れることができる。通常は差し値の勝負になるが、このオークションには特別なルールが設けられており、一度だけ他人の援助を受けることができる。落札した場合は二十四時間以内に連帯して支払いを済ませなければならない。これらの特別ルールは、割合小規模のバイヤー同士が協力して一人のバイヤーに競り勝つために考案されたが、元々金持ちの余興であり、スリルを味わうためにある。この援助者は『SAVIOR』(セイヴィア)と呼ばれる。他人の落札を手助けするなど有り得ない話だが、世の中の金持ちの気まぐれか、他人の邪魔をしてほくそ笑む者、自分は落札する気など無く、他人を援助して喜ぶ類の人間がいる。あくまでオークションをゲームと捉え、趣味でも金儲けではなく、快楽としてセイヴィアになる輩が存在する。金持ちが、他の金持ちの気まぐれに翻弄される。自然に値がつり上がる。貧しい画商が思わぬ形で落札し、潤沢な資金を持つ画商が地団駄を踏む。思わぬ一品を手に入れてしまった者の歓喜、大きな顔をしてふんぞり返っていた富豪の失望の表情。セイヴィアは注目の的であり、天使であり、ジョーカーでもあった。
リュウと王美玲は最上階のレストランで夕食を済ませ、二十三時にハダが来るのを待っていた。入札権利を持つのはハダケンゴとキョウゴクシズカの二名。どちらも孫小陽の紹介で、白蓮幇に与えられた枠だった。
「私モ一度見テミタカッタノニナ」
と王美玲が口を尖らせる。
「まぁそう拗ねるな。世の中には知らない方が幸せなこともある。お前には万が一トラブルに巻き込まれた時、外にいて組織と連絡を取って欲しいんだ。悪いが部屋で待っていてくれ」
「ツマンナイノ。オ部屋デ一人ボッチダナンテ嫌ダワ。私、ラウンジノバーデ飲ンジャオッカシラ? 誰カニナンパサレタッテ知ラナインダカラネッ」
美玲が口を尖らせる。リュウが苦笑する。
「ここは台北の夜市と違うんだ。悪い奴もいっぱい紛れてる。一人で飲んでもいいが、男に誘われても、その場だけにしろよ」
「アラ? 妬イテルノ?」
「んな訳ないだろ」
王美玲がクスクスと声を抑えて笑う。
「イイワ、少シ飲ンダラ大人シク部屋戻ッテ寝マス」
リュウがホッとしたように頬を緩めた。腕時計を見る。もうすぐ二十三時だ。そろそろハダケンゴが姿を見せる頃だ。
時間通りにハダケンゴが現れた。この男は時間に正確だ。いい加減な中国人をたくさん見てきたからというのもあるが、他の日本人と比べても、遅過ぎず早過ぎず、単に時間に正確というだけではなく、頃合というものを知っている。王美玲はすでにラウンジに下りている。仕事の話をするからと、席を外してもらった。
「シズカ、彼女とはゆっくりできたのか?」
「ああ、スマン。気を遣わせてしまって」
ハダの表情に影が差す。
「東京で何かあったのか?」
「いや、何も」
リュウがハダのサングラスの中を窺う。
「なら、いいが。ところで今日は何が出品される?」
「噂では、クールベの油彩画」
リュウが口笛を吹いた。
「ギュスターヴ・クールベ。十九世紀半ばの写実主義の名手。王道の中の王道。誰が見ても溜息が出る」
「一八○○年代の作品とは、また古いものを出してきたな。真作だとすると価値はどれくらいだ?」
「そうだな、闇市場で、ざっと二十億ってとこか。これがまともなオークションなら倍以上。勿論、知名度やサイズ、状態、出所にもよるから何とも言えないがな」
「絵画ってのは、恐ろしい金額が動くんだな」
ハダが頬を緩める。
「そう言えばクールベについては面白い話しがある。現在、パリのオルセー美術館にある、『世界の起源』という絵を知ってるか?」
リュウが首を横に振る。
「いいか驚くなよ。これは以前、パリのジャンクショップで十八万円足らずで売られていたものなんだ。パリのアマチュアコレクターが買って、それが後に真作だと判明した」
「で、いくらに化けたんだ?」
「五十一億」
リュウが大きく目を開いた。
「そんなバカな話があるのか?」
「それがあるんだよ。実際にあった話だ」
リュウが腕を組んで唸った。
「だがな、そんな代物がオークションに出ることは無い。俺たちが探しているのはメジャー処ではない。知名度の高い画家の作品ではあるが行方不明になっているものや、マイナーで出所がわかり難いものを安く買うことなんだ。出所がハッキリしているものは贋作として通用しないのさ。だってそうだろ? ルーブルに飾ってあるモナリザは誰もが知っている。なのに、贋作を指して実はこれが本物でしたと言ったって誰が信じる? 鼻で笑われるだけだ。俺たちが狙うのは贋作に成り得るものだ」
「贋作に成り得るもの?」
「そうだ、俺たちはここで真作を手に入れる。すると世界中のコレクターは、我々が新作を所有しているという情報を得る。だからこそ我々の組織は闇の世界で贋作を作らせ、それを出所が明確な真作として易々と売り捌くことができるんだ。しかも真作は手元に残したままだ」
「それが小老の言っていたビジネスなのか?」
「まあ、そういうことだ。お前の両親には悪いが、タザキノボルクラスの絵画の相場は五億円前後。生前に残した作品点数が極端に少なく、パリで盗まれた後、一切の所在が不明となれば、これは売る側にとっては好都合だと言わざるを得ない。なにしろ本物かどうかを確かめる術が無いんだ。こんなにタチの悪い贋作はないぜ」
「わかった。それ以上言うな」
「シズカ、すまんな」
「そろそろ行こうか。今日はお手並み拝見と行こうぜ!」
二人が席を立つ。オークションルームは船のB3Fにある。リュウの心は凪いでいた。その先、何があっても受け入れることができるような気がした。
B3Fへと降りる。エレベーターの中で他の参加者と一緒になることはなかった。階数を示すランプの移動が遅く感じられる。二人は終始無言だった。心は凪いでいても緊張が消えたわけではない。クリアーな状態とでも言おうか。集中力が増しているようだ。ドアの前で黒服にIDカードを見せ、扉に設置されたカード読み取り機にかざす。カチャとロックが外れる音がして、二人はゆっくりと部屋に入った。天井のシャンデリアに照らされた黄金色した絨毯が眩しい。まだオークション開催前の静けさ。クラシックがBGMとしてかかっている。中央にステージがあり、ボクシングの世界タイトルマッチのような様相である。
「あの辺りだな」
ハダが客席の中段くらいを指差す。シートは全て革張りのリクライニングで、酒も食事も個々に設置されたモニターのタッチパネルから注文することができる。
「眠っちまいそうだ」
「眠ったっていいんだぞ。良い夢見れるかもしれん」
「まさか、悪夢でうなされそうだ」
「遊びだと思えばいい」
リュウがフッと息を漏らす。
「俺にはまだ、遊びという感覚にはなれんな」
「俺たちには一生無理かもしれんがな。所詮他人の金で遊んでいる俺たちには本当の遊びの意味はわからない」
「厳しい言葉だな」
ハダのサングラスの中の瞳が動く。
「シズカ、お前、個人で幾ら出せる?」
一瞬、躊躇った。
「十億」
ハダが鼻で笑う。
「お前はまだまだヒヨッコだ。ここに来る奴らは一桁、いや二桁違う。そういう俺は一億が限界だけどな」
白い歯を見せた。
「そのなけなしの金で親父の絵を落とすつもりか?」
「いや、難しいだろうな。だから、お前と一緒にいる」
リュウが鼻を鳴らす。
「俺がセイヴィアって訳か? 約束はしてないぜ」
二人が同時に瞳の奥を窺った。
「そんなこと、お互いその時になるまでわからないものさ。ただ言えることは、タザキノボルが出たら、俺かお前かどちらかが手に入れよう。決して組織には渡さない。ましてや他人になど」
すると笑いが込み上げてきて、二人は同時に声を上げて笑った。
「シズカ、乾杯しよう! 俺たちの未来のために」
「ああ、俺たちが失ったものを取り戻す夜のためにな」
気がつくと会場が熱気を帯び始めていた。異国の会話に包まれ、興奮が緊張を上回る。最高の気分だ。
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