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 一階のラウンジにある洒落たショットバー。カウンターで王美玲が一人、カクテルグラスを傾けていた。他にも客はいたが、皆年配の西洋人ばかりで何となく疎外感を覚え、あと一杯だけギムレットを飲んだら部屋に戻ろうかと思っていた時だった。 「誰カト待チ合ワセ?」  振り向くと、そこに三十代前半に見えるアジア系の男が立っていた。王美玲が目をパチパチさせた。男は短髪で品の良いジャケットに少し派手なネクタイをしている。目鼻立ちの整った爽やかな好男子だった。 「隣空イテル? 座ッテモイイカナ?」  王美玲は顔を紅らめた。 「ゴメンナサイ、人ガ来ルノ」  すると男が肩をすくめた。 「待ッテル人、来ナインジャナイノ?」 「ソンナコトナイワ、彼ハ遅刻ノ常習犯ナノ」  男はニコリとした。 「僕ノ名前ハ趙建宏、アナタハ?」  美玲は迷ったが、男が名乗ったのに返さないのは失礼だと思いなおした。 「王美玲」  男は微笑して何度か頷いた。 「良イ名前ダネ」  目を細める。 「ドコカラ来タノ?」 「台北」 「台北! 僕ハ広州カラ来タンダ」  王美玲は久々の北京語での会話に、気持ちが高ぶっていた。リュウは確かに北京語を話すが、ネイティヴには程遠い。美玲は自分の日本語の勉強のためもあってリュウとは日本語で話すが、正直少し疲れてもいた。しかし美玲が北京語での会話を望んでいたならば、リュウは異国の地でもっと擦り減っていたかもしれない。美玲なりの気遣いだった。 「ココヘハ仕事デ来タノ? ソレトモ遊ビ?」  美玲が顔を紅らめた。 「君ッテ、凄ク可愛イネ」  表情が強張る。 「ゴメンナサイ、一人デ飲ミタイノ」  すると趙建宏はおどけてみせた。 「ウ~ン、残念」  大きく肩を落とす真似をする。それがあまりにも子供のような可愛らしい仕草だったので、思わず笑ってしまった。するとバーの奥で仲間と思しき男たちから声がかかった。趙建宏が振り向いて右手を挙げると、誰かが指笛を吹いた。趙建宏は美玲に丁寧に頭を下げ、最後に軽く手を振って去って行った。何だかホッとしたような、北京語の会話をもっと楽しみたかったような複雑な気持ちになった。それにちょっとだけ、あの趙建宏という男に興味も湧いた。勿論、リュウへの気持ちは変わらない。けれどもバーで一人で飲む夜くらい、許されたっていいじゃない? と思う。夏の夜がそう思わせるのか、旅が心に開放感を与えるのかわからない。ただ、自分はもう大学を出たばかりの小娘じゃないと思っている。美玲はギムレットを飲み干すと、少しだけ酔って火照った体を持て余しながら自分の部屋に戻り、シャワーを浴びて眠りについた。
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