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稀人(まれびと)‐4‐
鎮と煌は一気に階段を駆け上がると、最上段に倒れ伏している人の両脇に膝をついた。
投げ出した腕に埋まるその顔を見ることはできないが、体つきから男性だとわかる。
その肩に触れようとした煌を、鎮が身振りで止めた。
「オン・シュダ・シュダ」 ※1
ジップアップパーカーのポケットから取り出した護符を構えて、鎮はしばらく固唾を飲んで待つ。
が、何も起きる様子はない。
あからさまに胸をなでおろして、鎮は静かに札に息を吹きかけた。
「神の御息は我が息、我が息は神の御息なり。御息を以て吹けば穢れは在らじ残らじ。阿那清々し、阿那清々し」※2
唱えとともに護符はひとりでに細かくちぎれて、風に流されていく。
「え、このヒト墨染着てんの?ってことは寺関係?……にしては長髪だな」
遅れて到着した渉は、空に舞う紙切れにちらりと目をやったあとに、中腰で男性の首元に手を当てた。
「うわ、きっつぅ~」
息も絶え絶えな様子で階段を上がってきた槐が、息を荒らげながら、渉の足元にドサリとしゃがみこむ。
その振動が伝わったのか。
呼吸も感じられなかったような男性が、微かに身じろぎする。
「……大丈夫ですか?」
渉に声をかけられた男性がゆっくりと目を開け、その身を起こした。
「あの」
だが、まるで渉の声など聞こえないかのように。
男性は立ち上がると、風に舞う護符の断片を追って、階段を上り切る。
「ああ、これは……」
手の中に落ちてきた護符を握りしめて、男性はおもむろに振り返ると、鎮に向かってその手を差し出した。
「こちらへ」
操られるように近づいてきた鎮に、微笑んだ男性が、ゆっくりと握りこぶしを開く。
「さあ」
その声に導かれるように。
鎮も男性に手を伸ばし、ふたりの手が触れ合った、その瞬間。
閃光がほとばしり、渦巻くような風が吹き始めた。
「うぉ、鎮?!」
「ナニコレっ」
「秋鹿さんっ」
仲間たちの声は聞こえるが、風渦の中心にいる鎮は何の反応もできない。
それは風や光のためではなく、頭の中に流れ込む「ナニカ」に、全身がかき乱されているから。
自分が見たわけではない景色。
誰かの考え、感情。
そんなものが冠状動脈から毛細血管に至るまで流れ込み、自分の存在が作り替えられていくようだ。
(気持ち、悪いっ!)
「……や、やめて……、やめてくれっ!」
「!」
鎮が叫ぶと同時に男性の体が吹き飛び、嘘のように風がやんだ。
※1善無畏三蔵マントラ 邪気を消す
※2伊吹法による祓い
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