30人が本棚に入れています
本棚に追加
稀人(まれびと)‐9‐
空中で向かい合った光球から、風を生み、また鈴を振るような唱えが聞こえてくる。
「オン・アビラウンケン・バサラ・ダト・バン!」※1
「オーム・ハラーヤ・ナマハ!」※2
同時に放たれた二本の矢のような光が、暗黒の霧柱に突き刺さった。
二本の光矢は瞬時に形を変えて、蔦が絡まるように霧柱に巻き付いていく。
「ぐぅぅぅぅ、ぎやあああああああ」
ぬったりと、のたうつような呻き声をあげながら、霧柱が身をよじった。
「オノレオノレオノレオノレ……。…オマエはチャンドラか……。オノレまだソノ身をタモツ……トハ……」
霧柱が薄く細くなり、空中へと溶けるように霧散していったかと思うと。
最後はビー玉ほどの黒点になり、流れ星のように湖の向こうへと消えていった。
棒立ちとなっていた四人の目の前で、キランのまとっていた光が、急速に失わていく。
「っ!」
それはまるで、燃え尽きた線香花火のようで。
落下を始めたキランに若者たちは息を飲むが、すぐにもうひとつの光球が追いつき、その体を抱きとめた。
「あれって……、女の子だ」
槐がつぶやくその間に、キランを抱えた少女が湖岸に降り立つ。
そして、鎮の足元に静かにキランを横たえると、膝をついた。
「え」
「はぁっ?」
「……ウっソやろ」
槐と渉、そして、煌が声を上げたのも無理はない。
日ごろ、他人との接触を極力避けている鎮が、少女の頭にためらいなく片手を乗せて、微笑んだのだから。
極端に感情の振れ幅が狭い、ほぼ仏頂面でいる友人の笑顔に、三人は度肝を抜かれて、呼吸すらしばし忘れた。
浅緋の着物の裾を、花びらのように広げた少女が微笑み返すと、鎮の口元がさらにほころんでいく。
あんな顔は見たことがない。
あれは、よく知っているはずの友人だろうか。
声も出せずにいる三人の目の前で、少女と鎮は、懐かしそうなまなざしを交わし合っていた。
※1 大日如来の光明マントラ
すべての災難が消滅するといわれ、加持祈祷を業とする密教僧の多くが唱えることでも知られています
※2 シヴァ神の別名「ハラ」のマントラ
自身の内外に潜む悪の性質を破壊し、罪を浄化するためのマントラ
最初のコメントを投稿しよう!