30人が本棚に入れています
本棚に追加
崩壊する日常‐1‐
感情というものは、最大値なんて簡単に塗り替えていくものらしい。
息を飲んで度肝を抜かれた三人は、今度は大いに魂消るばかり。
だって、少女がその細い腕を上げると、長い黒髪に指を絡めていた鎮が、すぐにその手を取り、強く握り締めたのだから。
「……マジ?」
思わずといった風情で、渉はつぶやきを漏らす。
実際にこの目で見ているはずなのに。
(あれ、ホントに鎮かよ……)
いつの間にか、別人とすり替わってしまったと言われたほうが、いっそ納得できる。
こんなふうに笑うなんて知らなかった。
しかも、女の子の手を握りながら。
あり得ない。信じられない。
高校時代、女子とは必要最低限の会話ですら、鬱陶しいという態度を隠しもしなかった鎮だ。
女子のほうでも、そんな不愛想が服を着たような男に、近づくはずもない。
たとえ「ほんまのお坊ちゃん」だとしても。
よく見れば、長い前髪に半分隠されたその顔が、端正なものだとしても。
鎮の半径一メートル以内で、女子の姿など見たことがなかったのだ。
アンティークなバングルをはめた少女の手が、蛍のように明滅を繰り返している。
鎮が右手で森向こうを指さすと、少女はうなずいて立ち上がった。
そして、横たわるキランの上に腕をかざし、その体を光球で包み始める。
少女が放つ光が徐々に膨れ上がり、とうとう鎮をも覆い始めたとき、渉が我に返った。
「ちょ、待て!話が見えねぇ。どっか行く気なのかよっ?!」
声など聞こえていないのだから、「話が見えない」とは文字通りだが、渉にはわかっていた。
鎮と少女は、ただ微笑み合っていたわけではない。
自分たちには感知できない「ナニカ」で、意思の疎通を図っていたのだ。
渉がふたりに近づこうと、二、三歩足を踏み出した瞬間。
光球が瞬く間に消滅して、少女がさっと鎮の背中に隠れた。
鎮が少女をかばうように背後に腕を回して、まなざしを険しくする。
「渉、止まれ。それ以上近づくな」
声を聞けば、相変わらずぶっきらぼうな鎮だ。
「は?なんで。理由は?」
「それ以上近寄られるのは、キツイって」
「……、……。はあ?!」
しばらく絶句したあと、渉は目も口もぽかんと大きく開けてしまった。
(オレのことが、キツイ。……キツイ?!)
声をかけた女性からは、「YES」以外言われたことのない自分が?
恋人は作らないが、カノジョは切らしたことのない、この自分が?
すがるような瞳で振り返った渉に、槐も煌も、面食らった瞬きを返すしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!