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崩壊する日常‐2‐
「キツイって、オレのことかよ?!それってその子が……、言ってんの?」
いや、「言って」はいないのだが。
ほかに表現のしようもなくて、渉はフォローを求めて鎮を見やる。
だが、気づかなかったのか、無視したのか。
渉の疑問には答えず、鎮は首を後ろに回した。
「……キランさんを治療、でいいのかな。あってる?……治療しなきゃならないから、先にヴィラに戻る」
独り言をつぶやいているようでしかないけれど、鎮は少女と意思の疎通ができているらしい。
「お前たちも、なるべく早く来い。……行こう、ソウギョク」
言うだけ言うと、鎮はくるりと仲間たちに背を向けた。
「オーム・ナマ・シヴァーヤ」※1
微かに、鈴が鳴ったのかと思うような声が聞こえてくる。
だが、声の持ち主を見ることもできないうちに、鎮とキランの姿は光球に包まれ、そのまま空中に浮かび上がるや否や、森向こうへと消えていった。
湖岸に残された三人は、狐につままれたような顔で見送るばかり。
「えぇ~?」
槐が顔をしかめ、ため息のような疑問の声を上げる。
「えっと、消えた?空を飛んでったの?そんなこと、あり得るの?」
「見たもんがすべてだろ。ありえねぇけど、あっちゃったんだよ。鎮が笑ったことも、消えたことも」
「渉が女の子に“キツイ”って言われたこともやな。それから……、あの禍々しいアレも」
黒い星が流れていった先を見つめる煌に、冷たい風が吹きつけた。
「……寒っ」
湖を囲む森がザワリザワリと鳴る様子に、槐が体に腕を巻きつけて震える。
その様子は、ここから一刻も早く立ち去れと告げているようで。
「ヤな感じだな」
つぶやき、渉は湖から顔をそむけた。
◇
手足を泥だらけにしながら、三人はもと来た崖を登っていく。
あの禍々しい「モノ」が、いつまた現れやしないかと気は焦るが、とにかく足場が悪いのと斜面が急なのとで、イラつくほど時間がかかってしまうのだ。
「ったく鎮のヤロー」
渉が舌打ちをする。
おぞましい霧も神々しい光も。
キランと名乗る墨染衣の男も、あの少女も。
そして、鎮も。
鎮が”術”を使うことは知っているし、実際に唱え、発動させるのを見聞きはしてきた。
助けられたこともある。
興味深くはあるが、嫌悪感を抱いたことなど一度もない。
だが、今日のそれは、もはや超常現象だ。
理解が追い付かない。
いっそ催眠術でも掛けられて、夢を見せられたんだと思ったほうが納得できる。
とりあえず、さっき目の前で繰り広げられた超常現象のなかでも、一番「訳がわかる」のは鎮だ。
だから、渉は友人に八つ当たりをせずにはいられない。
※1 シヴァ神マントラ 光り輝く意識に敬礼し、シヴァ神へ帰依します
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