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蒼玉
広い玄関ホールから続くヴィラのリビングは、洗練されたインポートブランドの内装で統一されている。
いつ招かれても、つい気後れしてしまいそうなほど、豪奢な室内に仲間を招き入れると、鎮はふっと天井を見上げた。
「ビャッコ様」
鎮の袖をちょいちょいと引っ張った月兎が、同じように天井を見てうんうんとうなずく。
「なに?」
「知らねーよっ」
肩を寄せてきた槐に尋ねられたところで、渉にわかるものなど何もない。
きょろきょろと落ち着かない槐の目の前で、月兎が空気中に溶けるように消えていった。
「わぁぁっ!」
「なんやねんっ」
「うっせぇっ」
大声を出した槐から、煌と渉が距離を取る。
「ビビりすぎ」
「や、だって……。渉は平気なの?」
「いや?驚いてるさ、そりゃ」
「もっとまじめに驚いてよ。しゃべるウサギが消えたんだよ?ウサギは逃げるだけだよ。消えるのはネコの役目なのに」
「にやにや笑いを残して、か?するとさしずめ、鎮のカノジョの名前は“アリス”だな」
『おしずかに』
突然、頭の中に声が放り込まれた。
そう表現するよりほかはない現象に、渉たちは目を白黒させる。
耳は音を拾っていない。
だが、脳がはっきりと”意思”を認識したのだ。
『火・天空のアーユスが安定したところです。そんなに強い、揺らぐアーユスを放つのはご遠慮ください』
たしなめる気配、わずかな焦燥感。
それすら脳は感知していた。
「な、なんだ、コレ」
渉は片手で自分の頭をつかむと、指先でぐりぐりと頭皮を揉みこんだ。
いきなりナニカで脳ミソを掻き交ぜられるような、心を暴かれるような。
理解できないものに対する、本能的な恐怖を感じる。
理性で抑えきれない動揺を覚え、それがさらに腹立たしい。
(どこからきやがった?)
険悪な表情で辺りを見回す渉の頭の中に、さらに”言葉”が飛び込んでくる。
『ごめん。俺があいつらを制御しきれないから』
どこで認知しているのかは、やはりわからない。
だが、それは先ほどとは違う、涼しい顔をして自分を見ている、鎮のものだとわかる。
『それは違いますよ。四神をその身に持つ方のアーユスはお強くて当然。ただ、いましばらくのお時間をください』
『わかった。蒼玉の願いのままに』
頭の中で交わされる会話に呆然として、身動きも取れない三人の前で、鎮が両手を何やら不思議な形に組み合わせた。※1
(ん……?)
渉は鎮の背後に目を凝らす。
何か……、蒸気の塊のようなモノが一瞬見えた、気がしたのだが。
もっとよく見ようと目を凝らせば、鎮の唱えが聞こえてきて。
意識はそちらに持っていかれてしまう。
「オン・マカ・キャロニキャ・ソワカ」 ※2
心地の良い、鎮の穏やかな声。
今度はちゃんと耳が仕事をしたことに、ほっとするのと同時に。
(なんだ、これ。……ああ、なんかすげぇ気持ちい……)
渉の心に燻っていたものが流れ去り、代わりに柔らかな波が押し寄せてくる。
次の瞬間には、ゆったりとした鎮の”言葉”が頭に放り込まれて、意識を包んでいった。
『少し寝ていろ。守っていてやるから』
諭すように、宥めるように。
微睡のような、微笑みのような。
普段、不愛想を崩さない鎮からは想像もつかない、優しい”思い”が仲間に向けられていた。
急に強烈な眠気に襲われて、渉の意識が混濁し始める。
(ソウギョクって、蒼玉、なのか。……蒼い……玉石。……サファイア……)
脳に直接届いた”言葉”から、渉は鎮の「そんな安い存在ではない」者の名を知った。
渉の膝から、カクリと力が抜けていく。
体が崩れ、床に敷かれた上質のカーペットに頬が埋まる。
感覚があったのはそこまで。
鎮の術を受けた三人の意識は、ゆっくりと溶けて薄れ、柔らかな眠りに引きずり込まれていった。
※1 左右の手を組み、親指を合わせ両人差し指を立てて中指をからませる、大金剛輪印を結んだ
※2 仏格:十一面観音 神格:八幡神の真言
人間の根底にある怒りや悲しみ、苦しみに寄り添い、繰り返していた悪縁を浄化する
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