欺く夏

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 少年がひとり、公園のベンチに座っている。  小二のオレより体がひと回りはちいさいから、たぶん年下だと思う。その子は空を見上げていて、オレはすこしの間、その姿を眺めていた。  少年に近寄ったことに深い理由はなく、一緒にバスケがしたい、という単純な動機だった。だって、ひとりよりふたりでするほうが、圧倒的に楽しい。 「おーい」  少年がオレを見上げる。陽がかかってまぶしいのか、何度か目をしばたかせる。  きょうの空は入道雲がすごく大きくて、蝉の鳴き声もいつもより騒がしい。夏休み、という言葉がてきとうな日だった。 「おまえなにやってんの?」 「すわってる」  いやいや、そんなことはわかってますが。少年の愛想のない口ぶりに唇を尖らせつつ、保護者がいないのはとりわけ気にかかった。 「おまえいくつ? ひとり? 母ちゃん待ってんの?」  もしも迷子なら、自宅を聞いて送り届けたほうがいいんじゃ。湧いて出た不安を隠しながら、年上面を装って投げかけた三つの質問にも少年は気後れするようすは一切ない。じっとオレを見上げ、ひとつひとつ言葉をつなげる。 「ごさい。ひとり」  そして、 「あのひとのことはまってない」  ぽん、ぽん、ぽん、と奏でられる平らな口調が、年下とは思えない口ぶりで驚いた。なにより、母ちゃんのことを「あのひと」とつむぐことに。  なにかに似てる、と思った。体の先が、急にひやっと痺れる冷たさ。  ――ふるいけや、かわずとびこむ、みずのおと。  一学期に国語の授業ではじめて習った俳句。唱えるときにばつばつ途切れるのと言葉の数がすくないのが、静かで冷たい雰囲気だったのを覚えていた。それが、少年の言葉と微妙に重なった。 「おまえ、名前なんていうの?」  つま先の震えをごまかしたくて、ちょっとだけ口ごもりながら尋ねた。 「あさのようへい」  答えかたは、歯切れが悪いとかじゃない。俳句よりもっとよそよそしい感じだった。自分の名前なのに、他人の名前をしゃべるような。  どう会話すればいいのか正解がわからず、オレは頭を掻いた。少年が座っているベンチの側にしゃがみ、近くに落ちていた棒切れを拾う。砂に大きく「三矢巧」と書いた。まだ習っていないものもあったけれど、自分の名前に使われている漢字だけは知っていた。書いてから少年を見上げると、小首を傾げている。 「オレはみつやたくみっていうの」 「みつやたくみ?」 「うん。でも、巧の漢字がコウって読めるからって、母ちゃんとか姉ちゃんはコウちゃんって呼ぶ」 「コウちゃん?」 「そう。コウちゃん」  少年は顔をうつむけ、かすかに頬を緩ませて微笑む。 「コウちゃん」ともう一度呼んだ少年の声は、ぜんぜん無感情じゃなかった。ちょっと照れくさそうで、はじめて食べるお菓子を口の中に含んで、ゆっくり味わっていくような口調。オレのほうが、ちょっとどきどきしている。はじめてできたトモダチを、照れくさいのに自慢したくなるむずがゆさ。  少年が嬉しそうで、かわいくて、愛しさが颯爽と駆け寄ってくる。 「遊ぼう」 「え?」
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