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波の下の都1
潮目が変わった。
それは太陽が南天に高々と上がった頃のことだった。実際に潮流が変わったというだけではない。その流れに乗じてかどうか、それまで源氏の船団を押し込んでいた我が平家の船団は、その時を境に逆に押し込まれだした。
寿永四年(一一八五)長門国赤間関壇ノ浦――。
我が平家一門は都を追われ、追ってきた源氏軍との最終決戦に臨んでいた。源氏を率いているのは源九郎判官義経。どうして我らが最も得意とする舟戦で、水上戦に不慣れなはずの坂東武者に後れを取ったのか。それは全部この男、義経のせいだった。
源氏の武者たちは、義経の命令で、あろうことか我らの舟の水主を射たのである。
相手と斬り結ぶことのない水主に矢を射かけるなど何という卑怯な振る舞いか。武士の風上にも置けぬと末代までそしりを受けてしかるべき所業だ。だが義経はそれを恐れなかった。戦に勝利することのみに専心した。俺には到底出来ないが、合理的な判断だったといえるだろう。
考えてみれば、義経は屋島での戦の折も似たようなことをしていた。
我らが戦占いと称し、竿の先に挟んだ扇を射てみよと海上から小舟で挑発した折、進み出た一人の源氏の武士がこれを見事に射落とした。賞賛に値する射的であった。
しかし義経は、その妙技を見て、これは見事と賞賛の舞を踊りだした我が平家一門の老将をも射たのである。何たる無粋。
俺は、あの時の怒りを思い出していた。坂東武者とはかくも物事の何たるかを疎かにする無粋者の集まりかと。いや、義経だけがそうであるのか。
いずれにせよ、我ら平家一門は、今またその無粋者の義経に憂き目を見させられているのだ。
水主を失った我らの船団は思うように動けず、互いにそこかしこでぶつかりだした。それを待っていたかのように一気に源氏の武者たちが乗り込んでくる。およそ我らでは思いもつかないような戦術と火事場泥棒の様なやり口に、我らはものの見事に浮き足立ち、見る間に総崩れとなった。
義経の勝利に対する合理的な判断が我らを駆逐したのだ。
事ここに至ってはもう勝利することは叶うまい。俺はせめて義経に一太刀浴びせんと源氏の船団に向かって行ったが、あいにく義経の顔をよく知らなかった。遠目にしか見たことがなかったのだ。それらしき武士を捜しながら敵を斬り続けているうちに、愛刀のあざ丸も海の中に落としてしまった。
もはやここまでか。
事態は終焉を迎えようとしていた。
「ばば様、何処へ行くのですか?」
「良きところですよ。何も心配することはありません。波の下にも都はあるのですよ」
帝の祖母であらせられる二位尼様がまだ幼き安徳帝を抱きかかえて海にその身を投じられた。帝の母であらせられる建礼門院様ら一門の女たちが、それに続くように次々と海に身を投じていく。
この世の地獄だ。
遥か彼方の船上で二人の武士が舟から舟へと飛び渡っているのが見えた。前者は知らぬ者だが、後者は能登守平教経様だった。能登殿ほどの武士が追っているところを見ると、追いかけられている方はさぞや名のある源氏の武士であろうか。
しかし、能登殿も、その身軽な武士が幾度も舟を跳び渡り、一向に捕まらないのを悟ると、やがて追うのをやめ、近くにいた大男二人を道連れに海に飛び込んでしまわれた。
あの無双の能登殿でさえ、このような最期を遂げることになるのか。
能登殿が飛び込んだ舟からわずかばかり後方に位置する舟の上では、新中納言平知盛様がまるでこの戦の情勢を見渡すかのように海上を眺めておられた。その眼には何が映っておられるのか。
新中納言様は、やがて自分の体に何重にも碇を巻き付けた。
「見るべきほどのことは見た。今はただ去るのみ」
おもむろにそう口にすると、そのまま海に飛び込まれた。
錨を巻き付けたのは死んでなお辱めを受けないためだ。あれ程錨を巻き付ければ恐らく死体はあがるまい。
一門の武士、女が次々と海に飛び込んでいくのを目の当たりにして、遅れずに俺も一緒に行かなければと思った。
しかし、都であのような永遠に終わらぬ我が世の春を謳っていた平家一門が、都から遠く離れたこの西国の果てで、このような最期を迎えることになるなど誰が想像できただろう。
どうしてこのようなことになってしまったのか。
この海の上の何処かにいる義経のせいなのか。
それとも鎌倉で勝利の報告を待っている源氏の棟梁、源頼朝のせいなのか。
今さら何を言ったところで詮無き事か。俺は少し笑った。
そろそろ俺も行くとしよう。
俺は、波の下の都を目指して海に飛び込んだ。
※
目覚めると、そこはいつもの場所だった。
厳島神社――。
壇ノ浦で海に飛び込んだ俺は、どういうわけだか波の下の都には行くことが叶わず、ここ厳島神社が建立されている安芸の宮島に流されてきたのだ。
俺にはまだ何かやらねばならないことがあるということなのか、それとも社殿を造営した平相国清盛公のご意思なのか、いずれにせよ俺はまだ浄土には行けないらしい。
厳島神社は、平家の氏神ということもあり、流れ着いた俺を匿ってくれた。平家滅亡後の今は源氏の崇敬を受けてはいるが、俺が平家の落人として差し出されることはなかった。
俺は、この地に流れ着いて以来、もう何年もの間ずっとここで身を隠している。
俺の残りの生が何をするために与えられたものかを知るために。
「よう寝ておったのう、七郎よ」
頭元からした声に驚いて跳ね起きると、そこにはいるはずのない人物が座して俺を見ていた。
平相国清盛公――。
かつて平家を一代で一介の武家からこの国の頂点に君臨する一門に育て上げた人物。
当然もう何年も前に鬼籍に入っており、この世にいるはずもない。
俺は、どうやらまだ夢の続きを見ているらしい。
「ほれ、座ってわしの酒の相手をせい」
俺は驚きながらも言われるままに相国様の対面に座り、差し出された杯を恭しくいただいた。
「久しいのう、七郎よ。こうして言葉を交わすのはいつ以来かのう」
俺は一門と行動を共にしていたが、一門の人間ではない。
父の忠清が早世した相国様のご嫡男、小松殿平重盛様に近仕し、また重盛様のご嫡男である維盛様の乳父を任されていた縁もあって、何度かお声をかけていただいたことがある程度だ。それがこのように夢の中で面と向かって言葉を交わすとは。
「何ゆえ相国様は俺の夢の中などに出てこられまするか」
「まあ、まずは呑め。話はそれからじゃ」
どうやら何か俺に話すことがあるらしい。
「のう、七郎よ。わしは死ぬ間際に『頼朝の首を我が墓前に供えよ』と言うたことを今さらながら悔いておるのじゃ」
「それは何ゆえでございまするか?」
「わしがああ言うたことで宗盛に無様な死に様を晒させることになってしもうたからじゃ。あれにはむごいことをした」
屋島大臣平宗盛様――。
相国様が亡くなり、本来後を継ぐはずだった重盛様が既に亡くなられていたため、一門の棟梁となった人物。
相国様の様な豪胆さはなく、また重盛様の様に跡目としての覚悟があったわけでもないのは誰の目にも明らかであった。宗盛様は三男だったが、むしろ四男の知盛様が棟梁となった方が一門の為には良いのではないかと思う人間も少なくなかったが、さすがにそのあたりは知盛様もわきまえておられ、宗盛様の補佐に努められた。
重盛様が生きていれば、あるいは知盛様が棟梁となっていれば、相国様亡き後の平家一門も今とは違ったものになっていたのかもしれない。俺が言うのも何だが、宗盛様は戦には向いておられなかった。
壇ノ浦の戦いの後、宗盛様は海に飛び込むも死ぬことができず、鎌倉方の虜囚となった。鎌倉に連行され、頼朝と面会した折、終始卑屈な態度で命乞いをされたそうだ。
都に送還され、最後には処刑されたが、その折も泣き叫んでおよそ武門の棟梁の最期とは思えぬほど見苦しいものであったと民の笑い種になっている。
「なれば頼朝の首は、必ずこの七郎が相国様の墓前に供えましょう」
「そういうことではない。わしのあの言葉に囚われてぬしの父、忠清も最後には頼朝に殺されてしもうたではないか」
「なればこそ、なればこそです」
我が父忠清は、一門と一緒に西国には落ち延びず畿内に留まった。本拠である伊勢や伊賀で反乱を起こし鎌倉に徹底抗戦の構えを見せたが、遂には反乱も鎮圧され、我らが壇ノ浦で壊滅した後に捕らえられると、六条河原で処刑された。
俺が畿内に留まっていれば、とは思わない。俺には俺の生き方があるように父には父の生き方があっただろうからだ。
それに俺にしても父にしても、結局鎌倉の頼朝を誅さぬ限り安らかに眠れる日など来ないのだ。
壇ノ浦のあの地獄を思い出せ。
「まあ七郎の気性ならば、どれだけわしが止めたとて言うことを聞きはせんじゃろうな。逆にわしがもうろくしたなどと悪態を吐くやもしれん」
「そのようなことは……」
「ははは、よいのじゃ。じゃがな、鎌倉の頼朝、さすがに荒くれ者の坂東武者を束ねる源氏の棟梁ぞ。一筋縄ではいかぬぞ」
「承知しております。俺とてだてにこの厳島でただただ無為に日々を過ごしていただけというわけではありませぬ」
「おぬしがそう言うのじゃから、そうなのであろうな。じゃがな、七郎よ……」
相国様はそう言ったきり黙り込んでしまわれた。
「どうなされましたか」
「いや、何でもない。七郎よ、波の下より来たる者には気を付けよ」
確かに相国様はそう仰られた。
それはどういう意味なのか。
その言葉の真意を尋ねようとしたとき、一陣の風が厳島神社の舞台に吹き荒れた。それは目も開けていられないほどの強い風だった。
次に目を開けたとき、風はやみ、月明かりが舞台を照らしているのみだった。
いったい今の出来事のどこからが夢でどこまでが現実のことだったのか。
不意に、俺は、舞台の上に一振りの剣が突き立てられていることに気付いた。
その剣は、反りがある日本の刀とは違い直刀だった。大陸、宋の国などで使われている剣だ。
相国様は宋の国との貿易を盛んに行い、晩年ではその貿易によって手に入れた様々ないわれのある品々を自慢なさっていたが、中でも武具はたいそう気に入られていた。年齢を重ねられても、やはり武士の血が騒ぐのだろう。
俺は、ゆっくりと近づき、舞台に突き立てられていたその剣を右手で持つと一息に引き抜いた。ずしりと重たかったが、すぐに手に馴染んだ。愛刀のあざ丸をなくしていた俺にはちょうど良い。
しかし相国様も素直ではない。口では「そういうことではない」などと言っておきながら結局このように武具を置いていかれるのだから。
俺はその剣を握りしめ、まだ明けきらぬ東の空に向かってつぶやいた。
「頼朝よ、首を洗って待っているがよい。この上総七郎が一門の恨みを晴らしてくれようぞ」
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