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2.帰郷
海青はフェリーの甲板に立つと、近づいて来る小さな町並みの代わり映えしない姿に、落胆した表情を向けると、大きな溜息が零れた。
「13年も経ってるのに何も変わってないな・・ はぁ」
再び腹の底から吐き出した息をかき消すように、ジャケットのポケットから着信音が流れる。
「誰だ? もしもし」
見知らぬ番号からの着信に面倒な声で応える。
「お― 海青かぁ?」
聞き覚えのない男性に呼び捨てにされた海青は、島民の誰かだろと検討がついた。
「はい」
「ワシや。分からんわな? 冬二おっちゃん」
電話を掛けてきたのは小椋冬二。海青の実家近くで魚屋を営んでいる両親の隣人だ。
「ああ、小椋さん? ・・ですよね」
「堅苦しいやに・・ 海青はもう直ぐ島に着く船に乗ってるんか?」
「あ、うん」
「そうか、ほな見えてる船やな。迎えに来たで」
「そうなんですね。あ・りがとうございます」
「ええよ、ええよ。神島先生には生きとるうちに返せんくらい世話になってるやに」
「あ、はぁ」
「おお、来た来た。甲板におる男前か?」
そう問われ辺りを見渡すと、甲板に立つ人間がそれほど居らず、波止場では誰かが手を振っている。
「手振ってます?」
「それワシやに」
「じゃあ、おじさんが見てるのも俺です」
「じゃ、電話切るで」
「はい」
迎えが来ている事に海青は安堵するよりも逃げ道を塞がれたようで、重い気分に更に錨を付けられた気になる。
「はぁ~ ま、オカンの顔見たら帰るか」
呟きながら下船口に歩みを進めた。
陸に降り立つと先程電話の向こうにいた冬二が、田舎臭い満面の笑みで海青の名を大声で叫びながら近づいて来る。
「恥ずかしいなぁ・・」
心の愚痴を声に出してしまい、パッと口を手で押えた。
「海青! うわ~ 流石東京帰りじゃな、垢抜けて、男前になっとる」
『垢抜けて』 田舎者が都会人を抽象する決まり文句
【こんな服装で、バカバカしい。そっちが時代遅れなだけだろ】
海青はこの島を出た事を改めて妙案だったと自分に告げる。
「それにしても変わったなぁ~ 事前に写真送って貰とらんかったら、海青やと分からんで」
「島を出てから10年以上経ちますからね、俺も成長してますよ」
「そらそうやな。ほな行こか。荷物はこれだけか?」
田舎道では必ず見掛ける軽トラックの荷台に、おもむろに海青の小型スーツケースを放り込むと、助手席のドアを開け乗る様に促す。
今時珍しい煩いエンジン音が響くと、冬二はギアを動かしクラッチを踏んだ。
【マニュアル車 ・・久し振りに見たぁ】
海青はまるでタイムスリップで過去に戻った気持ちになる。
「10年以上ぶりかぁ、こっちには一度も帰って来てへんやに。忙しかったんか?」
「あ、まぁ」
「涼子ちゃん喜ぶわ。待ってたからな」
「母の容態は?」
「あ、まぁ、神島先生が付いてても、もう年やしな」
「あの人は家族の事なんて、どうでもいいから・・」
海青が溢した不平が、小声でも冬二の耳に届くと、お互い苦い顔をする。
「か、海青も医者なんやな、凄いなぁ」
「それしか知らなかったから」
「いやいや、なかなか成れるモンとちゃう」
「ワシの息子、湘時覚えてるか?」
「あ、ああ。俺と小中、同級生だった」
「そうやそうや。アイツ去年、東京から帰ってきてな。時間があったら会ったって」
「島出てたんだ」
「そうや。クラゲ好きが功を奏してな。けど、海青と違って都会の生活に慣れんかったみたいで帰って来てしもうたやに。ハハハ」
この島からの脱出の好機を溝に捨てる奴が理解出来ぬ面持で海青は、車窓から故郷の町並みを眺める。
車に磯臭い風が吹き込み海青の嗅覚をガッカリさせる。また古びた漁船が揺れる港は彼の視覚までも失望させた。
冬二が車のエンジンを一件の小さな診療所の前で止める。
「海青着いたで」
そう告げられた海青は、久々の帰郷に未だ一秒も速まらない自分の鼓動に驚くと、心でまた溜息をついた。
「はいよ」
冬二は海青のスーツケースを荷台から取り出し、海青の足元に置く。
「涼子ちゃんは家で寝てるやに」
「そうなんですね。あ、荷物有難うございます。それと送って貰って助かりました」
海青は軽く冬二に頭を下げると、診療所横にある実家の玄関に向った。
「ワシは店に戻るから、神島先生と涼子ちゃんに宜しく言っといてや」
「あ、はい」
玄関に向って歩き出した海青が、振り返り返事をすると、冬二は満足気に右手を上げ軽トラに乗り込んだ。
海青は、ズルズルとスーツケースの小さなタイヤを動かせ、実家の玄関に辿り着くと引き戸を開ける。
「ただいま」
誰にも届かないような小さな声で呼びかけると、靴を脱ぎ13年振りの古巣に足を踏み入れた。
「ここも全く変わってないな ・・はぁ」
重い足取りで廊下を進むと記憶に残る母の部屋前で足を止める。
「た・・だいま」
呟きながら開き戸を開けた海青は、手に持っていたスーツケースを思わず落としそうになる。
「オカン・・」
母のあまりに変わり果てた姿に、13年の月日がどれだけ長い時だったのかを考えさせられた。
ベッド上に横たわる母からは、昔の優しい笑顔が見つけられないほどに痩せこけ、布団を上下に動かせないのか弱弱しい呼吸をしていた。
母の亮子が誰かの気配に重重しい瞼を開ける。
「お・・父さん?」
力無くユックリと首を部屋の入口へと動かす。
「海青だよ。ただいま」
長い年月待ち続けていた声が涼子の耳に届くと、驚きと嬉しさでユックリだった首の動きを早め海青に目を向けた。
「か・・い青かい? 本当に海青?」
懐かしい微笑みをおくられた海青は、子供のように母の元に駆け付けたい自分を殺しながら一歩ずつ近寄ると、ベッド横にある椅子に腰掛ける。
「オカン・・ ごめん、全然帰って来なくて」
そう告げる海青に母は布団の下から手を差し出す。
「立派になって。お医者さんが忙しいの知ってるからね。おかえり」
【お医者さんは忙しい】
母の口癖を聞いた海青は、ようやく帰郷の実感がわく。
「うん」
明らかに病魔に侵されている母の姿に、何年も顔を見せなかった自分自身に親不孝のレッテルを貼ると、謝罪の言葉を母に告げようとした。だが誰かの登場に口を閉じる。
「海青やっと帰ってきたか」
声の持ち主とその口調に、母に対して懺悔したい気分が一挙に打っ飛ぶと、逆に怒りがこみ上げる。
「オカンがこんなになるまで、アンタは何してたんだよ ・・あ、そうだったな家族より島民の方が大事だったな」
海青は部屋に入って来た人物に、背を向けたままで応じると膝上にある拳をグッと握る。
「海青・・お父さんに、またそんな事を言って。お医者さんになったなら分るでしょ?」
「俺には全く分からないし、俺は医者でも家庭を持ったら家族を大切にする。あ、でもここに良いお手本がないから、結婚もしたいと思わないけどな」
息子に辛辣な言葉を投げかけられても、一言も言い返さない海青の父、奏が母の足元に立つ。
「おかえり、海青。立派になったな」
13年振りに目に映る父は、母と同様に痩せており顔のシワが長い年月を物語っていた。
凛々しい姿で帰郷した息子に、誇らしい気持ちを抱えながら、寂しさと嬉しさを合わせ持ったような面持ちを、海青は投げ掛けられる。
13年振りであっても、以前と変わらぬ冷え切った空気に神島親子が包まれる中、外で誰かの叫ぶ声が飛び込んで来た。
「神島先生! 神島先生!」
自分の父の名を呼ぶ声に海青は苦い顔をすると舌打ちをする。
「相変わらずだな」
息子の吐き捨てる言葉を受け止めながらも、奏は職業柄、身体が勝手に駆出してしまう。
「海青」
慌てた様子で母の部屋に戻って来た父の表情から、また島民に急患が出たのだろうと察知した。
「何だよ」
「お前が私を怨んでいる事は、重々知っている。それに島に着いて早々だが、頼まれてくれないか? この通りだ」
そう告げると父が深々と頭を下げた。
「だから、何だって言ってるんだ」
海青は怒りを露にして応える。
「食堂で爆発があったんだ。昼食時だったから大勢が巻き込まれた。海青が島民を嫌っているのは知っている。だけどお前も医者だ。だったら手を貸してくれないか」
「こんなオカンを置いて行く気か! まだお前は島民のために家族を犠牲にするのか!」
「お前の怒る気持ちは分かっている。でも一刻の猶予もない。私だけで対応できるなら、お母さんの所に戻っていいから。この通りだ、頼む」
「13年振りにオカンの顔を見れたってのに、ユックリもさせてくれないのかよ。だから嫌いなんだよ。ここのヤツ等も全く変わってねぇなぁー」
「患者は選べない。そうだろ? 医者として仕事をしてくれ」
二人の会話を心苦しい思いで聞いていた母が、か細い身体を持ち上げた。
「オカン! 何やってるんだよ、寝てろよ!」
「お父さん、食堂って朝霧さんのとこ?」
「ああ」
「そんな ・・海青、私からもお願いします。どうか朝霧さん達を助けてあげて。お母さんの友達なの」
思うように動かない身体を強いて、海青に頭を下げる母の願いに、抗えない海青は軽く舌打ちをする。
「分かったよ。行けばいいんだろ、ったく」
海青は不満気な顔を全面に出しながらも父と共に外に出ると、診療所から必要な医療道具を手に、父の車の後部座席に乗り込んだ。
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