3.憤り

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3.憤り

 目的地に着いた海青は、小さな店舗の屋根が吹っ飛び、真っ黒に焼け焦げている姿に唖然としてしまう。  そんな海青を余所に父親の奏は、既に負傷者の手当てに取り掛かっていた。 「海青、こっちを頼む」  10名程の客が重軽傷を負っており、島の消防団や住民が消火と救助を行っているのを呆然と眺めていた海青の耳に、父の大きな声が届くとハッとする。  病院での救急患者には慣れてきた海青だが、救急車で運ばれる患者と異なる壮絶な現場に、足が竦みそうになる自分を奮い立たせると唇を嚙んだ。  早足で駆け寄った父の前には、重度の火傷を負った者や、爆発の衝撃で破壊した窓ガラス等で怪我を負った者が、緊急度別に分けられていた。 「おい親父、こんなにも診療所に運ぶのか?」 「いや、診療所には手術が必要な患者だけ運ぶ。彼等の処置をお前に頼めるか?」 「はぁ?」 「私は、ここに残って皆の治療をする」 「ここでって」 「診療所には看護師の希沙(きさ)ちゃんが向ってくれている。彼女から器具の場所は教えて貰え。お前の恨み言なら幾らでも後で聞く。だが、今は頼む島民を助けてやってくれ」  いつでも冷静で凛々しい父親の姿に海青は、自分がまだまだ未熟だと思い知らせる。 「ああああぁ――」  込み上げる苛立ちに海青は声を荒げながらも、父の指示通り手術が必要な患者を伴い診療所に向った。  大きな事故ではあったが幸いに死者は出なかった。火元に一番近くに居た朝霧食堂の店主、朝霧敦史(あさぎりあつし)渚沙(なぎさ)夫婦とアルバイト店員も海青の手術によって一命を取り止めた。 「お父さんとお母さんの命を救ってくれて、本当に有難うございます」  看護師である希沙に礼を言われ、海青は少し戸惑いの様相を浮かべる。 「この患者さんってご両親?」 「あ、はい」 「そうだったんだ」  自分の両親を同時に亡くしていたかも知れない状況で、彼等よりも先に他の重体だった患者の手術を優先させた事に、海青は驚いてしまう。 「皆が無事で本当に良かった。先生は少し休んでください。私は今運ばれて来た方々の手当てをしてきます」 「あ、うん」 【まだ働くのかよ・・】  小言が脳裏を掠めたが、手術で疲れているのは希沙も同様だ。尚且つ両親の傍に付き添いたいはずの気持ちを押し殺して、治療を続けようとする正義感に負けてしまう。 「ちっ」  海青は1つ舌打ちをすると、希沙の後に続いて手術室を出る。すると、診療所の待合室には自身で駆けつけた軽症患者で溢れていた。  診察室では父が希沙と患者の治療を行っているため、父の傍で働きたくない海青は、待合室に居る患者をその場で診る事にし、全てが終わる頃には既に辺りが暗くなっていた。 「海青、今日は助かった。ありがとうな」 「お疲れ様でした。今日は本当に有難うございました」  誰にも告げずに診療所を去ろうとしていた海青は、父の奏と看護師の希沙に呼び止められる。 「ああ」  二人に振り返りもせず素っ気無く応えると止めた一歩を前に進める。 「海青、お前の部屋はそのままだ」 「オカンの顔を見たら民宿に泊まるから必要ねぇ」 「そ・・っか。じゃあ、島の皆が晩飯を届けてくれたから、それを食って行け」 「要らねぇ」 「そうか、じゃあ送って行こう。寺本さんの所か?」 「歩いて行く」 「それじゃあ、私が送ります。帰り道ですから」  希沙の申し出に海青は、やっと振り返ると父と希沙に向き合う。 「いや、大丈夫です。母の様子も見たいので」 「そう ・ですか」 「じゃあ、夜道気を付けて行けよ」  父の意外な言葉に苦い顔をする。 「夜道に襲われるってか? ああ、思い出した。この島の人間って恩人だろうと命を奪うんだったな。気を付けるよ」  海青の心無い言葉にムッとした希沙が、一歩前に出そうとする足を奏が制する。  そんな二人の動揺に気も止めず海青は続けた。 「じゃあな ・・あ、そうだ、明日オカンを俺が務める病院へ転院の手続きするから」 「ちょっと!」 「希沙ちゃん、良いんですよ。 ・・海青、分かった。お母さんがそれでいいなら私は構わない」 「そっ、じゃ」  冷ややかな面持ちで応え、母の元へ向かう海青の後ろ姿を、奏と希沙は無言で見送った。 「希沙ちゃん、見苦しい所を見せて悪かったね」 「神島先生 ・・私の両親が話していた通りなんですね。今日、島の皆を助けてくれた時は、優しかったのに・・」 「私が悪いんだよ」 「波留ちゃんが原因ですか・・ あ、余計な事を言って済みません。私、父と母の容態を看てきます」 「あ、うん」  慌てた素振りでその場を立ち去る希沙を眺めながら、奏は口から長い息が疲れと共に零れ出た。    息子、海青との溝は年々深くなっており埋める手立てを見失いつつあった。夫と息子の間に挟まれた涼子が心を痛めているのも知っているが、会話すらままならない状態まで悪化していた事を思い知らされる。  海青は母のベッド脇の椅子に座ると、小さくなった母の寝顔を見つめながら、込み上げる怒りと虚しさに押しつぶされそうになっていた。  翌朝、民宿で朝食を済ませた海青は、昨日よりも更に重苦しい様相で、海岸沿いを診療所に向けて歩いていた。  晴天に照らされた海はキラキラと輝いていたが、目に映る光景に懐かしさの欠片もなく、美しいとも感じられない自分に苛立つ。 「あ、海青」  海を眺めながら歩いていた海青は、聞き覚えのない声に目線を移す。 「やっぱり、海青だ。おはよう。それと久し振り」 「あ、しょ・・うじ、湘時(しょうじ)か?」 「うん」  海青が島に着いた際、迎えに来ていた小椋冬二の息子が、幼馴染の湘時だ。 「相変わらず痩せっぽちだな」 「海青は、すっかり島の匂いが消えたね」 「当り前だろ」 「そっか。昨日島の皆を助けてくれたから、お礼したかったんだけど、ほら、僕こんなでも消防団だから、ずっと忙しくて」 「お前が消防団って、切羽詰まってるな、ここ」 「アハハハ。こんなでも頼られてるんだよ ・・そうそう、今朝診療所に行ったら寺本さんのとこに泊ってるって聞いた。わざわざ島の利益に貢献してくれて、ありがとね」 「はっ?」 「へ?」 「ま ・・いいや」 「いつまで島に居るの?」 「ああ、オカンの転院手続き次第だな」 「え? おばさん連れて行っちゃうの?」 「ああ、こんなとこに居たら、アイツにまた殺される」  海青の厳しい言葉に湘時は、一瞬悲しい顔をする。 「そっか、じゃあ、僕もおばさんに会っておこうかな。今から行くんでしょ?」 「あ、ああ」  幼馴染の湘時と再会した海青は、彼を伴って母に会うため実家に足を踏み入れると、難しい顔つきの両親に迎え入れられる。 「おはよう、海青。昨日は朝霧さん達を助けてくれて有難うね。皆、貴方にお礼を言ってたわ」  涼子は海青から目線を離すと、彼女の隣に並ぶ特産物の山を見る。 「これ全部貴方によ」 「そんな事より、オカン俺が働く病院に行くぞ」  海青の変わりない態度に涼子は、暗い顔で奏と向き合う。その二人の形相から、海青は母から良い返事が得られ無い事を覚る。 「何だよ、その顔。嫌って言うんじゃないだろうな」 「海青 ・・私はこの島で最後を迎えたい」 「最後って ・・何言ってんだよ! まだそんな年じゃないだろ!」  海青の動揺を予想していたとは言え、涼子は言葉を失い空元気を見せていた姿を解くと、一気に病人と化した。  ベッド横に座っていた奏が涼子の手を握ると、海青に複雑な面持ちを向ける。 「ずっとお母さんの体調が優れないから、先月本土の病院に連れて行ったんだ」  海青は両親が醸し出す空気から嫌な予感がすると耳を塞ぎたくなる。 「海青 ・・済まない」  奏は立ち上がると深々と頭を下げた。 「てめえの頭なんか下げられても何の意味もねぇ! 診断結果を教えろよ!」 「海青、お父さんを責めないで頂戴。私の自己管理が悪かったの」 「だから、オカンの病名は何なんだよ!」 「膵臓癌の末期で、余命数ヶ月と言われた」  謝罪の状態で奏は告げると身体が激しく震え出す。  海青は拳を上げようとした自分を制すると、冷淡で軽蔑の眼差しを父に投げつける。そして心の動揺を少し整えると、もう一度母と向き合った。 「京大病院でもう一度ちゃんと検査しよう。診断が間違っているかもしれないし、何か治療方法があるはずだから。余命だけ告げて何もしないなんて ・・おかしいだろう!」  抑えていた怒気がぶり返してくると声のボリュームが上がってしまう。 「海青 ・・心配してくれてありがとう ・・でも、お母さんもういいの」 「もういいって! 俺の気持ちはどうでもいいのかよ!」 「海青、癌治療を施しても苦しいだけだと思うんだ。だから、ここで・・」 「てめぇは黙ってろ! こんなに悪化するまで放って置きやがって! 本当に、最低の父親で、最悪の夫だ。お前が変わりに死んでしまえ!」  海青は憤怒すると言葉を吐き捨てて、その場から走り去った。
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