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5.抱き始めた想い
東京に戻って来た海青は、勤務先の病院でエレベーターを待っていると、背後から声を掛けられる。
「あっれぇ? 神島? まだ休みじゃなかったっけ?」
同期入職の岩城が露骨に驚いて見せると、エレベーターを待つ海青の隣に立つ。
「あ、ああ。母親の病状が良くなくてな。これからちょくちょく実家に帰る事になるから、今回の休みは短くした」
「へぇ~ そんなの気にせずバンバン休暇取るかと思ったけど。じゃあ俺と今晩の宿直代わる?」
「断る」
「ちぇって、冗談だ、すまん。・・お母さんの具合悪いのは心配だな」
「ああ」
エレベーターが到着する音と共にドアが開くと、二人同時に乗り込む。
「事務局か?」
「おお」
ロッカールームに向かう岩城とは、異なる階数のボタンを、岩城は海青の代わりに押した。
他に同乗する者もおらず静かなエレベーター内で岩城は、含み笑いを浮かべると、階数掲示板を見つめる海青に流し目をおくる。
「実家で何かあった?」
「え? 何で?」
「何か雰囲気が違う ・・両親と会って幼くなっちまったのかな?」
「まさか。向こうでも扱使われたし」
不平を言いながらも、どこか満足気味な海青の苦笑に、岩城の口角も少し上がる。
「あ、もしかして幼馴染が、すっげえ美人になってて、イイ仲になったとか?」
岩城の憶測に湘時の顔が浮かんだ海青は、鼓動が早くなると頬までも熱くなる。
「あっれぇ、もしかして図星? こんな神島初めて見たな。意外と可愛いとこあるんだ」
「あのなぁ~、揶揄うな。美人の幼馴染なんて居ないし、故郷は相変わらず退屈な場所だった」
「そうかなぁ~」
「じゃあ、お疲れ。また明日な」
「ああ」
海青は岩城の尋問から逃れるように、エレベーターを降りるとホッとする。
事務局からの帰り道、ジャケットのポケットに入れていた携帯からの通知音が、海青の意識を奪う。
セフレの一人からのメッセージで、実家での様子を尋ねられたため、既に帰京していると応えると急遽会うことになる。
海青は待ち合わせのバーで、マサキと名乗るセフレとアルコールを飲みながら、実家での様子を滑稽に話した後、例の如くいつものホテルに立ち寄った。
セックスの後シャワーを終えた海青がバスルームから出ると、マサキがベッドに腰掛け意味有り気な笑みを浮かべていた。
「カイ君、今日どうしたの?」
「え? 何が?」
「凄いエロかったから。それにまるでタチみたいに腰振っちゃてさ、普段はドライなカイ君だから、ちょっと驚いた」
マサキはそう告げると、バスローブに包まれる海青の腰に手を回し、力強く自身に引き寄せる。
上目遣いで海青を誘うマサキが求めるものは明らかだった。いつもなら願望に応える事なく一度のセックスで立去るのだが、今夜の海青は身体の底から湧き出る欲情に抗えず、マサキの望む通りに濃厚なキスをした。
「ヒュー、本当にどうしちゃったの? 実家で昔の想い人と再会したとか?」
「まさか、あの島にそんな色気は無いよ」
海青は心を見透かされないように、マサキを押し倒すと彼の身体に口唇を這わす。
海青の瞳にはマサキが映りながらも、脳裏は島で13年振りに再会した湘時で埋め尽くされていた。
湘時が、見知らぬ誰かに身体を預け、喘ぎ、絶頂に達する妖艶な姿を想像するだけで、いつも淡泊な海青が性的高揚感に自身を包み込んだ。
ベッド上で抱き合う相手は湘時ではない。またウケ専門の海青にとって湘時を抱くなど有得ない事だったが、そんな自分を蔑むどころか不思議な幸福感に満たされていた。
「んっっ、ハァ。カイ君から求められるなんて ・・嬉しいな」
「たまにはいいだろ?」
「うん ・・でも毎回こんなカイ君だったら ・・好きになりそうで、危ない」
海青は怪訝な表情で、マサキの乳首に絡めていた舌の動きを止める。
「好きとか、そう言うの禁句だよな」
不機嫌な面持ちでベッドから下りようとする海青の腕を、慌ててマサキが掴む。
「ごめん ・・つい口が滑った」
「おいおい・・ マサキさんこそどうしたんだよ。腕掴むとか変だぜ」
マサキは自分の咄嗟の行動を、せせら笑うと海青の腕をそっと離す。
「全っくだね、ハハ。でもさ、今日のカイ君、他の誰かを想って僕とセックスしてない?」
「え?」
「だからちょっと妬けちゃって、独占したくなった」
「独占って。俺がそう言うの嫌いって知ってるよな? 恋人になったって連絡しなきゃ直ぐに不機嫌になるし、好きだとか言葉にしないと不安がるし、もうそう言うのが全部面倒なんだよ」
「分かってる、だから心配しなくてもいい。いつもドライなカイ君に別の顔を見せられて、僕もつい興奮しちゃっただけだからさ」
「はぁー」
「今まで通り、セフレの関係でまた会ってくれる?」
「おお、面倒な感情を持ち込まないならな」
「約束する」
海青は作り笑いをマサキに向けると、ベッドから飛び降り脱ぎ捨てた服を手にした。
翌朝、海青は病院のロッカールームで白衣を羽織ると、ロッカーの扉に備えられている鏡にニコリとし扉を閉める。
今までに無い軽い足取りで廊下を歩く海青だったが、数人の取巻きを引き連れた同期の徳野尊と遭遇してしまう。
「あれ~ 新米の癖に休暇願を出しまくって、出世する気ゼロの神島君じゃん」
綺麗だった肺が、突然黒煙を吸い込んだように海青は、息苦しさを覚え胸に手を当てる。
「寝不足で、お疲れかな?」
大学の頃は、これほどまでに嫌味な男では無かった同期の変貌に、噂が真実であったと知る。
「ははは、そうかもな。じゃ、俺急ぐから」
徳野は、その場を急ぎ足で立去ろうとする海青に近寄ると、彼の肩に手を置いた。
「もしかして朝帰り?]
海青は気分を害すると不可解な笑みを浮かべる徳野の手を払う。
「昨日見ちゃったんだよね、ホテルに入ってくの」
海青は咄嗟に怪訝な視線を徳野に向けたが、動揺を読み取られないように冷静を装う。
「背中の広いスーツが似合う人が好みなんだ」
「・・勝手だろ。お前こそ、何であんな場所に居たんだ」
海青がセフレと落ち合ちのはLGBT街であるため、徳野がノンケなら足を踏み入れる場所ではないはずだ。
「え? 社会勉強と話のネタかな? 僕を同種に扱わないで欲しいよ。同性なんて気持ちが悪い」
「キモくて悪かったな」
「へぇ~ あっさりと認めるんだぁ ・・まさか女にモテモテの神島君がねぇ~」
「皆に言いたきゃどうぞ」
「言わないよぉ~ 神島君を虐める方が楽しいから」
「じゃ、俺行くから」
海青がその場を立ち去ろうとするが、再び徳野の言葉で足止めを食らう。
「そうそう、そんなにお疲れで、明日の手術大丈夫なのかなぁ?」
「手術?」
「あれ? 聞いてない? 神島君が武田部長の第一助手に抜擢されたよね」
「え? そんなの知らない」
「はぁ? まじで。副院長に気に入られた ・・違った副院長の娘だったっけ」
「何の話をしてるんだ?」
「ま、その内に声が掛るよ。でも神島君って、女性の相手も出来るのかなぁ?」
徳野は海青の耳元で小さく囁くと愉し気にその場を去った。
「手術? 娘?」
海青は副院長の娘との縁談話でもあるのだろうと推測すると、湘時から得られた爽やかな気分が、本来の重苦しさに塗り替えられた気がした。
「これが俺・・って事だ」
ポツリと呟くと診察室に向う海青の後ろ姿は、以前の退屈な空気に包まれた。
徳野から知らされた通り、武田外科部長の助手を務める事になると、副院長に呼び出され告げられる。
海青は、副院長と最後に顔を合わせたのが、いつだったか記憶に無い程に昔で、副病院長室に訪れるのも初めてだった。
「神島君の腕前は聞き及んでいるからね。期待していますよ」
席に座りながら満面の笑顔で告げる副院長は、海青の応答を待たずに続ける。
「それでね、明日の手術、私も見学させて貰います」
「副院長がですか?」
「ええ」
娘の婿に相応しいかを見極める試験を、受けさせられるような気分になった海青に、副院長はここに呼びつけた理由の核心へと会話を進めていく。
「実はね、私の娘が君に手術をして貰ったのだよ」
「え?」
「まぁ、本来なら武田君にやってもらうべきだったのだがね、どうしても神島君が良いと言ってね」
「はぁ」
「覚えていないかな?」
副院長の娘というとこは、苗字は田中。少し考えてみたが、海青の脳裏には印象的な患者の顔が誰も浮かばなかった。
「娘が君に連絡先を渡したようだが、音沙汰がないと嘆いていた」
「連絡先ですか・・」
「まぁ、患者に手を出すような医者は失格だからね。娘には悪いが、そこは君を評価している」
「はい・・」
女性からの誘いが絶えずある海青は、副院長の娘が、どの患者であったか記憶の糸を辿る事さえしなかった。
海青にとって一歩前に踏み出すと、一生抜け出す事の出来ない蟻地獄が待受けている気分で、懸命な答えを導き出す事に意識を集中した。
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